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2003年04月13日(日)

岡崎京子の『へルタースケルター』の不穏

岡崎京子の『へルタースケルター』が手元に届いて、そのあまりの突っ走り方に気分が暗くなった。
あんまりに自分や世界観を追い詰め過ぎてて、苦しい。

たけしの事故の前もそうだったけど、こんな作品を読むと、何一つ偶然なんて物はなく、
全てはエネルギーの波であり、たまたま現実世界で事故のような形で噴出したものだけが事件として記憶に残るけれど、それは単に一部高く上がった波頭に過ぎないのかもしれない。

そのうねりを。波の下で重く走る海流を。
見えていた人も不安に思っていた人もいたかも知れないけれど、
だからと言って止める事が出来たとも思えない。


事故でなくとも、何らかの形で噴出したのではないだろうか?
エネルギーを溜めたままではいられない。

もしかして、宝くじにあたるといった、一般にLUCKYと言われる形をとったかもしれないが。
なににせよ。

波は高く上がったのでは。ないかと思う。

運命と自由意志って、何度考えてもわからない。
『へルタースケルター』の読後感はあまりに不穏だ。
その後の事故を知らなかったとしてもやばいと思ったはず。

なにが"やばい"かはともかく、ざわざわした不吉な波動を送ってくる。

運命だったのか。
それとも自由意志だったのか。
自由意志だったとしたら、どこからなら戻れたのか。
何を選ぶ事で、結果事故にたどり着いたのか。

『へルタースケルター』は傑作なのかも知れないけど、きつ過ぎて好きとは言えない。
『リバース・エッジ』とか『チワワちゃん』の方が、愛がある分、息つける。

突風が吹いたり、寒かったり、雷がなったり、天気予報に反して突然雨降ったり、最近の天気もまた不穏だ。
にも負けずに桜がまだちらほら残ってたり、八重桜が咲き出したりしてて。
そんなこんないろいろあるけど、律儀に地球も季節も回ってるんだなーって思うと、
その不変がありがたいような、面倒なような。

それにしても、太陽ってむちゃくちゃ遠くにあるのに、腕に日の光があたるとぽかぽかとぬくくて、
ずーっと真っ暗で真空で静寂な宇宙渡ってきて大気圏抜けて、雲抜けて排気ガス抜けて、ようやく届いて、それでこんなに暖かいんだから、太陽っていう星はそりゃもうultra凄まじく熱いんだろうなーと、
幼稚園児のようなことを考えてしまうのでした。





alain

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