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マーティンが会社の上司が書いたという高価な本を購入してきて、それを眺めながらしみじみ「信じられない。僕は今はこうやって本だって買えるんだ」と言う。スロヴァキアからなけなしの小銭を握り締めてここに来た彼は、しばらくは全く先の見えない暮らしをしていて、本を買うこともできなかった。ここでのスタートはどん底貧乏だったけれど、失業率が高く職にありついても生活に余裕を持てない物価と給与のアンバランスな祖国に帰ることは絶対に嫌だった。だから彼は成功して懐に余裕のある今でも実家に帰ることが恐くて一度も帰っていない。
こんな話を聞く時にいつも自分と比較してしまう。わたしがここに来るとき、何冊本を持ち込んだだろうか。本を買う夢などみたことはない。欲しい本はいつだって買えた。パソコンだって持ってきた。ラゲッジに入らない荷物は郵送した。食べたいものはいつでも食べられた。働き出したら休みをとって海外旅行に繰り出した。わたしだけではないだろう。多くの若い日本人は好き好んで無職を選んでいるのでなければ何かしらの仕事が見つけられてそしてここに来ても恋しくなる日本という存在があるのではないだろうか。わたしは彼のように自分の実家にもう帰りたくないなどと思ったことはない。
彼に会う以前のわたしには世の中にはこんな国があってこんな人がいるというのは薄々知っていてもどこかの遠い国でしかなかった。「本を買うのを夢見てるなんていう日本人に会ったことがなかったよ。そんな人が世の中にいるなんて気付いたこともなかった」と言うと「そりゃそうだよ。リッチな人が貧しい世界を見下ろすことなんてまずないんだ」と言われた。確かに貧しい人がリッチな人を見上げても逆は見えにくい。大半が中流階級で生きている日本という国はとても豊かだ。だから貧しい人が見えにくい。
彼は道を歩いていてホームレスの横を素通りできる人間ではない。必ず何か食べ物を買えるくらいの小銭を置く。きっとそれは彼が空腹がどれほど辛いことか身を持って知っているからだ。自分が体感したことがなくても人の痛みや苦痛を想像できる人間になりたいと思った。わたしは彼にそういうことを沢山教わった。