My life as a cat
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2021年05月29日(土) まさかのFromage

ロクちゃんがはじめて言葉を発する時はなんて言うんだろう。パパ?ママ?クロちゃん?ロクちゃん?はたまたピッピとかカッカ?それともYoutubeでプレイするとピタリと泣き止んで画面に食いついて見入ってるくらい彼が熱狂的な"Teletubbies"?一生懸命喋ろうとするロクちゃんを見ながら夫婦で話してた。そしてある日ロクちゃんが発する喃語がフランス語の"R"のようだと気づく。"Arrrrrrrrrrr"と聞こえる。ママが毎日一生懸命日本語で話しかけてるのに、彼が発しはじめた音はまさかのママがちゃんと発音できないフランス語のRであった。そして日が経つにつれてその音が"Fromage"と聞こえるようになってきた。チーズは本当は大好きだが、頻繁には食べないようにしてる。我が家は一般的なフランス家庭のように冷蔵庫には必ず何かしらのチーズがあるということはない。小児科医に渡された離乳食の与え方という紙に"食べなければ少しバターを加える"などと書かれているのを見て、やれやれと思っていたところに、まさかの息子のはじめての単語が"Fromage"だなんて。彼の中にはもう立派にフランス人の芽が息吹いてるのではないかと感じずにはいられない出来事だった。

フランスでは今月やっとレストランのテラス席のみ開放となり、半年ぶりにレストランで食事した。ロクちゃんにとっては人生初のレストランとなった(まぁ彼にとっては大抵のものは人生初だが)。コロナ渦でこの世に生を受けた彼があれこれと制限付きの暮らしの中で、祖父母にも抱かれたこともないままどんどん大きくなっていってしまうのを寂しく感じていたので、一緒にレストランへ行ったことは、希望の第一歩のようだった。

"For Sama(邦題:娘は戦場で生まれた)"を観た。シリア紛争の真っ只中のアレッポで産声をあげたサマ。ジャーナリストの母がカメラを回し続けて記録した娘に捧げるドキュメンタリー映画。サマの両親は反体制派であるものの、そういった政治的な立場から撮られたものではなく、戦火の中の子供達にフォーカスされていた。人はみんな命の宿った時から壮絶なストーリーを抱えてる。ロクチャンがわたしの中に宿った時から、両親は一つ一つの出来事にいちいち一喜一憂し、彼の住処や寝床を整え、やっとそこへ姿を見せた小さな生命は母親の人生をがらりと変えてしまう。どんなに小さな子供だって、人々の希望や愛、沢山の気持ちを背負ってる。そして人の人生を変えてしまうくらいの影響力を持ってる。そんな壮絶なストーリーが一瞬にして絶たれる。街は破壊され尽くされて、瓦礫の山。それでも人々は意外にも冗談を言い合ったりして笑いながら生きている。この人達はもうこういった悲惨な状況に慣れてしまって鈍感になってしまっているのだ。もちろん自分の家族に被害が及べば泣き叫ぶ。しかし、泣いても泣いても救われないのだから、笑って生きる以外にないのだろう。慣れというのは恐い。この映画がはじまって1時間くらいはショックで泣きどうしだったわたしだって、もう終盤にさしかかるころには子供達が血を流しているのが"当たり前"の映像のように見えてしまっているのだから。


Michelina |MAIL