2007年01月12日(金) |
飲酒運転防止装置付き自動車開発で思ったこと |
年明けのことですが、ネットサーフィンをしているとこのようなニュースが流れていました。
トヨタ自動車は、運転前にハンドルに備え付けられた特殊なセンサーで運転手の手のひらの汗の成分を分析し、血中アルコール濃度を測るようにするのだとか。アルコール濃度が一定量を超えるとエンジンがかからないようにするのだそうです。 また、発進と同時に運転手の目の瞳孔を社内カメラで撮影し、瞳孔の焦点が定まっているか確認するのだとか。ハンドル操作から蛇行運転などがないかをチェックするそうです。これら複数の運転手の情報から飲酒運転でないかどうかを車自身が判断し、飲酒運転に該当するようであれば、車は自動減速して停止するのだとか。 これまで先行して開発されている呼気でアルコール濃度を測定する装置と異なり、運転手の状況を確実にチェックでき、特別な動作も必要でないことが特徴で、飲酒運転による事故を防止する技術開発にはずみがつくとのこと。
昨年、道路交通法による改正で飲酒運転に対する罰則が強化されました。また、来春にはさらに飲酒運転に対する罰則が厳罰化されそうです。このことは、昨日のここでも取り上げられていました。 確かに一頃に比べれば飲酒運転による事故は減少しているのは事実で、道路交通法改正による効果が出てきているのは確かです。恥ずかしい話ですが、以前であれば呑み会に車で参加しても、酒を飲むことに関して咎められることはありませんでしたが、今では酒を勧めた者に対しても処罰の適用となっていることから、車で呑み会に参加した時はアルコールを飲まなく済むようになりました。以前であれば “ちょっと一杯くらいいいだろう?”とか“酔いを醒ましてから帰ればいいじゃない”と言われたものですが、今ではそのようなことは言われなくなりました。 また、代行運転などのサービスが普及し、車で呑み会に参加しても金さえ払えば自宅まで自家用車を運んでくれることもできるようになりました。 現実はどうかというと飲酒運転による事故は減りこそすれ、依然として多くの飲酒運転事故が報告されているのは皆さんご存知の通りです。罪を厳罰化しても飲んで運転する輩は確実に存在しているのです。 そんな輩が酒を飲んで車を運転しようとしても、運転できないようにする画期的なシステムの開発が自動車業界で急ピッチで繰り広げられているようで、世界の自動車界をリードするトヨタ自動車が開発に乗り出したことで、この流れは更に加速することが予想されます。飲酒した輩がハンドルを握っても車が動かない。そんな時代がもうすぐそこに来ている。
このシステムが全ての車に導入されるならば、飲酒運転による事故は激減することでしょう。中には改造する輩によってこういった飲酒運転防止装置が改造され、飲酒していても運転できる車が闇で売られるような時代がくるかもしれないくらいです。
飲酒運転を無くすにはここまでしないといけないのかもしれません。飲酒運転による事故で犠牲になった方の無念を考えると、飲酒運転撲滅は至上命題と言っても過言ではないかもしれません。 その一方で、僕は何か違和感を覚えます。それは、人間というのは信用されないものなのだろうかということです。 かつては、飲酒運転に対し寛大である社会風潮もありました。これはよくないことであったとは思います。飲酒運転をしてはいけないのに飲酒し運転をしてしまう輩も、本人に自覚がないし、理性があるとは思えません。理性がないような輩のために飲酒運転防止装置の付いた自動車が普及する。一見すれば飲酒運転撲滅のためにいいのかもしれませんが、人間の理性、判断力を発揮する機会が失われてしまう、強いていれば人間が状況判断し、行動すること事態が否定されてしまう世の中に進んでいってしまうのではないか?僕はそんな一抹の不安を感じるのです。 飲酒運転防止技術が他に応用され、為政者の中に悪賢い者がいれば、自分の都合のよい社会に作り上げてしまわないかという危険を感じます。町中至る所に為政者による監視の目が光り、逆らう者がいれば瞬時に感知し、しょっぴかれる世界。人間の主体性、多様性が根本から否定される社会。考えてみただけでも恐ろしく感じるのは僕だけでしょうか?それとも、考えすぎなのでしょうか?
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