2007年01月15日(月) |
携帯メールは親展ではないか? |
歯医者稼業をしていると、他の医療関係者と患者情報、医療情報のやり取り、交換を行うことがあります。その際、主たる手段として手紙でやりとりをするのですが、この手紙は親展です。すなわち、宛先の先生以外は内容を知られてはならない、手紙の内容を読んでもいけないものです。理由は簡単です。患者さんの個人情報をやり取りしているからです。医療上の正当な理由が無い限り、手紙の内容を他人に公表すれば刑法や個人情報保護法に抵触するのは明らかです。
このような手紙の親展に関することは何も医療だけの話だけではありません。他人宛の手紙を勝手に封を切り、中身を見てしまうということはあってはならないことなのです。いくら微妙なやり取りであったとしても、関係者以外が手紙の内容を見ることは礼儀に反することであるはずです。 それでは、手紙に代わり他人との情報伝達に欠かせない手段となってきたメールはどうでしょう?僕はメールも手紙と同じだと思うのです。すなわち、メールも親展が基本ではないかと思うのです。 送信者は受信者を指名してメールを送るわけです。決して受信者以外に内容を知ってほしくない、公開することを前提としていないはずです。そのことを無視して、他人がメールを覗き見することは公序良俗に反する行為ではないでしょうか。
最近、よく見聞きする中で、友人宛、知人宛、家族宛のメール、中でも携帯メールを本人の了承なく覗き見て、自分が知らなかった情報を知るきっかけになり、そのことが元で人間不信に陥り、取り返しの付かない事態、修羅場に陥るケースが多発しています。以前から自分が関係しないところ、自分のあずかり知らぬ所でおかしく感じていることがあった。何か隠し事をしているのではないか?そんな思いから、つい自分と親しい人の携帯メールを本人の許可なく覗いてしまい、秘密を知ってしまう。その秘密が自分との信頼関係を大いに裏切るものであり、どうしても我慢できず親しい人と衝突してしまう。こういった話は枚挙にいとまがありません。
いろいろと意見はあることでしょう。自分の親しい周囲に対し、隠れてやましいこと、知られたくないことを行っている方が悪いと指摘する意見もあることでしょう。携帯メールを見て確かめたいと思ってしまうような挙動不審なことを起す方が悪いという意見があることは承知しています。 また、メールを覗き見られることを前提として、都合の悪いメールを消去しない、履歴を残さないといった手段を講じない方が悪いと言われる方もいることでしょう。これはこれでいろいろと問題があることでしょうが・・・。
こういった意見があることを承知で僕は敢えて言いたいのですが、どんな理由があるにせよ、携帯メールは本人の了承無しに覗き見することは間違っていると思うのです。携帯メールが親展であると考えれば、それを本人の了承無しに覗き見た時点で、これまで築き上げてきた人間関係を自ら壊していると言っても過言ではない。本人の了承無しに携帯メールを覗き見る行為は、自らが親しい家族、知人、友人、恋人を信用していないことを宣言してしまっているように思えてなりません。 世間では、携帯メールを覗きみた時点で家族や周囲の人の様々な事情が明らかなり、その人に対し不信感をもったという話が数多くありますが、それ以前の話として、勝手に人の携帯メールを見るという行為の良し悪しの問題が棚上げされているようなケースが多いように思えてなりません。互いを信頼、信用している間柄であれば、互いの携帯メールを覗き見ることは決してやってはいけない行為ではないでしょうか?親しき仲にも礼儀ありと言います。携帯メールにもこのことが大いに当てはまると思うのです。
もし、どうしても他人の携帯メールを覗き見するのであれば、その人との人間関係を壊す、取り返しのつかないことになっても後悔しないという強い気持ちを持たないとやってはいけないと僕は考えます。
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