2007年01月24日(水) |
スープの冷める距離、冷めない距離 前編 |
先週末、僕の地元歯科医師会では新年会が行われました。新年の挨拶を兼ね、地元歯科医師会の先生同士の相互交流と地元歯科医師会と関係のある方々を招いての新年会でした。僕は同世代の歯医者の先生方と同じテーブルにつき、話をしておりました。 今回、彼らとの話の中で最も盛り上がった話題は、高齢になった両親のことでした。話をしていたのが僕と同じ40歳代を中心とした先生ばかり。この先生達の両親は、60歳代後半から70歳代後半、中には80歳近い方もいらっしゃるようで、高齢の親御さんをどのように世話しているかお互いに興味があったのです。 話を続けているうち、僕が生まれてから今まで親と同居している話をすると、一同驚きの目で僕を見つめました。
「ずっと両親と一緒なの?よく今まで何もなくやってこられたなあ?」 「自分がやりたいことを自由にできなかったんじゃない?」 「親の干渉がうっとおしく感じたことはなかった?」 等々言われたのですが、中でも極めつけは
「よく奥さんがそのことを承知してくれたなあ?」ということでした。僕が結婚してからも親と同居していることに一同驚いていたのです。 今時の妙齢の女性の中で、心から愛している彼のためとはいえ、彼の両親と同居しても構わないと言える女性が果たしているのだろうか?そんな奇特な女性とよく結婚できたなあと何か珍しい動物でも見つけたかのようなものの言われようだったのです。
彼らのいうことは理解できましたが、正直言って、僕にとって親と同居生活は当たり前の生活であり、自然なことでした。 これまで何回も書いたことですが、僕が生まれ育った家庭環境は大家族でした。一時期、母方の祖祖母、祖父、祖母、叔父、叔母と両親、弟と一緒に暮らしていたわけですから。一つ屋根の下に四世代が住んでいたことになります。世間の中では極めて希少価値的な家庭環境で僕は育ってきたわけです。 そんな僕ですから、独身時代、将来の結婚に対して僕はあることを心に秘めていました。それは、生まれてくるであろう子供も、僕と同様おじいさんやおばあさんが一家にいるような大家族で育って欲しいという願いでした。
ところで、厚生労働省が調べた国民生活基礎調査によれば、平成15(2003)年の時点で日本において核家族世帯は全体の60%、単独世帯が23%を占めています。一方、三世代となると全体の10%、その他の世帯ではほぼ7%となっています。すなわち、10世帯のうち6割が核家族であり、両親と同居しているであろう世帯は10世帯中2世帯しかないということになります。それくらい、現在の日本において大家族が過去のものとなっているということを証でもあります。 核家族には核家族の良さがあり、大家族には大家族の良さがあります。どちらかに優劣をつけようとすることは意味がないことではありますが、僕は自分が育ってきた大家族という環境を将来生まれてくるはずの子供たちにも経験させてやりたいという気持ちが強かったのです。
僕は大家族が故、常に様々な世代の人間の姿を見てきました。それは、同じ一つ屋根の中に様々な年代の人がいるということでした。弟が一桁歳台、僕が10歳代、叔父が20歳代、お袋が30歳代、親父が40歳代、祖母が50歳代、祖父が60歳代、疎祖母が70歳代という時期があったぐらいです。家族が皆各世代を代表するような人であったわけではありませんが、少なくとも各世代の一員であったのは事実。大家族であるために各世代の人たちを社会に出る前に見ることができ、肌で感じることは僕にとって何物にも代え難い体験となりました。このことは僕が社会に出て、全く見ず知らずの世代の人と接するにあたり、変に臆することない自信となったように思います。
そんな僕の希望だったわけですが、実際のところは大きな問題が立ちはだかっていました。それは僕の考えに共感し、受け入れてくれる伴侶となるべき女性がいるかどうかでした。簡単にいえば、僕の両親と同居してくれる結婚相手がいるのかどうかということだったのです。
明日へ続く。
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