歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年01月30日(火) 女性は子供を産む機械なのだろうか?

初めて告白することなのですが、今から11年前、嫁さんが最初に妊娠した時は残念な結果に終わりました。すなわち、流産だったのです。結婚して間も無く、嫁さんが妊娠したということで、僕たち夫婦は、今後生まれてくるであろう初めてのわが子に期待と不安に満ち溢れていましたが、不幸にしてお腹の子供は育ちませんでした。せっかくできたお腹の子が育たなかったことに僕たち夫婦は、大変大きな精神的ショックを受けました。周囲からは一度の流産は珍しくないなどと慰められたりしたものですが、もしかしたら、僕たち夫婦は子宝に恵まれないのではないか?何ともいえない不安、絶望を感じたものです。子供は思っているよりも簡単にできるものではないことを実感したものです。それ故、二人のチビを授かった今、子供を持つことの有難さをしみじみ感じています。


今年僕がもらった年賀状の中に、大学時代に仲が良かった女性友達からのものがありました。その年賀状にはこんなことが書かれていました。

“昨年の4月に待望の女の子を授かりました。名前は○○と言います。夫と結婚して15年経って初めての子供です。大切に育てていきたいです。”

彼女は僕の大学時代の仲間の中でかなり早くに結婚したのですが、結婚してから子供に恵まれせんでした。僕を含め、大学時代の友人が次々と子供の親になっていく姿を見て、内心穏やかではなかったでしょう。時間だけが経過し、年を重ねるにつれ、自分たち夫婦は子供と縁が無いと諦めようとしていた矢先、子宝に恵まれたのです。彼女の喜びは相当なものでしょう。僕は彼女にお祝いのメッセージを送ったのは言うまでもありません。

既にご存知の方が多いとは思いますが、柳沢厚生労働大臣が発言した内容が物議を醸し出しております。
問題になっているのは島根県松江市で27日あった自民党県議の後援会の集会での発言とのこと。柳沢大臣は、少子化問題にふれた際、「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れつつ、「15〜50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと発言したのだとか。

ここで問題になっているのは、やはり女性の出産を機械に例えて言っていることでしょう。子供を持っている方、いや、そうでない方も重々承知のことだと思いますが、子供を作ることは並大抵のことではありません。単に性行為をして、タイミングが合えばできる代物ではありません。肉体的、精神的、経済的、社会的、環境的などなど様々な要素が複雑に絡み合った中で初めて産むことができるデリケートなもの。世の中には子供が欲しくても諸事情のため子供を産むことができず苦しんでいる夫婦がたくさんいます。機械的に産むようなものではありません。

ところで、世の中には誰一人として同じ人間はいません。同じDNAを持つという点で言えば、子供がそうでしょうが、その子供でさえ父親と母親が持っているDNAを半分ずつ持ってはいるものの、親と全く同じDNAを持っているわけではありません。人間が多様である理由がここにあります。ここに個性というものがあるのです。
一方、機械は、多様性を否定するものです。短時間にできるだけ多くの均一な製品を生産することが目的の機械。限られた時間の中で同じ規格、同じ品質のものを大量に生産するのが機械です。機械によって作り出されたものに多様性があるということは売り物になりません。
人間の子作りの本質を考えると、決して子作りを機械に例えることはできないはず。どうして、子作りが機械に例えられるのか、子供を持つ親として理解に苦しみます。

女性一人あたり子供をたくさん産まないと少子化が進み、将来の日本の経済が成り立たなくなる。柳沢大臣は、そんな話の中にこの例え話を話したようですが、現代の社会状況を見てみれば、子供をたくさん産もうとしても産むことができない環境です。そういった状況の改善をせず、女性だけに産めよ増やせよと号令しても、それは無理な話です。

今回の“女性は子供を産む機械”の例えは、国の厚生行政を司る長である厚生労働大臣として実に不適切な例えであったといえるでしょう。柳沢大臣の大臣としての資質を問われても仕方がありません。早速、安倍総理から注意を受けたそうですが、このような厚生労働大臣を任命したのは安倍総理です。野党からは辞任要求も出ているようですが、近いうちに始まる国会は荒れることが必至でしょうね。


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