2009年04月08日(水) |
いじめに世代間の違いは無い |
パワーハラスメント(パワハラ)に関して労災認定になったとのニュースが流れていました。
厚生労働省は6日、うつ病などの精神疾患や自殺についての労災認定をする際に用いる判断基準を10年ぶりに見直すことを決め、各労働局に通達を出した。パワハラなどが認定できるよう12項目の判断基準が新設された。 精神疾患による労災認定は、ストレスの強い順に3、2、1の3段階で判断される。強度3で新設されたのは、「ひどい嫌がらせ、いじめ、または暴行を受けた」という項目。これまで明確な基準がなかったパワハラによる精神疾患については、この基準で判断できるようにした。強度2では、企業の人員削減や成果主義の導入が進んできたことから、「複数名で担当していた業務を1人で担当」「達成困難なノルマが課された」といった基準を新たに設けた。 (2009年4月7日 読売新聞)
僕の知人、友人から伝え聞く話でも世間でのセクシャルハラスメント(セクハラ)、パワハラというのは相当酷い、悪質なものが多いようです。人間性や人格を否定されるような言動をされ、生きる自信、価値を失い、命を絶っていく。その人が弱いだけでは済まされない問題が潜んでいるように思えてなりません。
僕自身、高校時代にいじめを受けた経験がありますが、いじめを受け続けていると精神が疲れます。何をするにもやる気がおこらず、学校へ行くのも億劫になる。一日が過ぎるのが長いのです。家に帰ると自分の部屋で閉じこもってしまう。学校が休みである週末が待ち遠しい。いじめを受ける現実から逃避することで自分の精神を落ち着かせようとするのです。これは何一つ根本原因の解決にはつながらない、対症療法みたいなものですが、それでも何とか自分を失わず生きていくために、か弱い自分が見出した癒しの方法でした。 “いじめを受けるのはいじめを受ける奴が弱いからだ。そいつが強くなればいいんだ“と高らかに叫ぶ輩もいましたが、自分で解決しようとも解決することができない人も世の中にはいるんだということをわかっていないんだなあと思ったものです。いじめを受け続けると思考まで鈍化してしまい、何も考えられなくなるものなのです。何の気力もわかずただ呆然と過ごす。その一方、いじめはエスカレートし、精神的な傷は更に深いものとなる。その結末は、うつ病などの精神疾患に陥ったり、最悪の場合自ら死を選んでしまう。
上記のニュースのきっかけとなったパワハラによる自殺を見ると、人事とは思えない切実さを感じざるをえないのです。まるで自分がパワハラを受けているような息苦しさを感じさえするのです。
幸いなことに僕には自分の悩みを打ち明けられる人がみつかり、その人の存在が心の拠り所となり、折れそうな心がなんとか折れず、立ち直ることができましたが、世の中には悩みを打ち明けられず、解決の方法を見出されず、傷つき、最悪の場合死に至ってしまう方が少なくありません。 そんな過去のトラウマがあるものですから、僕はついついセクハラ、パワハラのニュースを見てしまうと過敏に反応してしまう傾向があります。
今も昔も変わらず存在するいじめ。上記のようなニュースを見ていると、いじめというのは子供の世界だけに限らず大人の世界でもある。どんな世代にもいじめがあることであることを今更ながら思い知らされます。
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