はぐれ雲日記
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2002年02月02日(土) 東村山美住町

西武新宿線の小平駅から 西武拝島線・西武遊園地行に乗って一駅
八坂という駅があります。
野暮用で、時々この駅を降りますが、「ああ一度、こんなところに住んでみたいな」
思わずつぶやいてしまうほどの、武蔵野の面影が濃いしっとりとした街です。

駅を降りてすぐ水道道路。せいせいとする広い散歩道。
地下には、狭山湖、多摩湖(村山貯水池)の水を運ぶ水道管があるのでこのように呼ばれ
散歩道、サイクリングロードとして親しまれているようです。
美住町区域は三角形 にまとまっています。三角(みすみ)」を、美しく住むという意味で、「美住町」となりました。環境がバツグンに良く、地価も大変高いそうです。

さて、この水道道路に沿って多摩湖方面に向かって左手にすばらしい中央公園があります。
くだんの図書館もここにあります。道路の右手にはゲートボール場。
ゲートボール場の奥にゲートボールをする人たちの休憩所を兼ねた物置があります。
電気は通っては無く、夜の灯りは水道道路のポツンとした街路灯だけですね。
とにかく、ホームレスの鈴木さんはこちらの休憩所兼物置をついの住処としてしまったわけです。

以上は事実。これからは村山方面の人や同僚の噂の域を出ない話をもとにした
推察ですが、おそらく、この緑豊かな文京地区に住みついてしまった鈴木さんを
地元の大人は眉をひそめていたのでは?
子どもの前でも「汚い、」「何をするかわからないからそばにいっちゃ駄目」「邪魔だよな〜」
くらい言っていたのかな・・・と感じました。 あくまでも推測ですが。

こんなことになる前に自治会や市で、話合われていたのかな。 現実的な対策をさ。
生命の大切さじゃなくって・・・。住宅の大切さとか。公共物の扱いについて。
もちろん、ホームレスの方たちとの共存を話合ってくれれば一番良かったのですが。


寛文12年4月、京都三条橋の下で20歳あまりの乞食女の遺体が発見された。死因は自害で、かたらわには辞世の句が残されていた。

   「 ながらえば ありつる程の 浮世ぞと 
                    思えば残る 言の葉もなし 」


平成14年1月 東村山 美住町に立ちてどんかく 三首

家がありあまるといふのにホームレス

やめてくれ 誰かを真似て 殺すのは

集団のガキに殺されるために産まれたのか神なんて豚



鈍角 |MAIL

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