はぐれ雲日記
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小学校のころ、川口にしばらく住んでいた。 キューポラの町。鉄錆びた町。ブリキの臭いがした。 すぐ裏は”坂下鉄工所”という町工場だった。 5、6人のあんちゃんが機械油で真っ黒になって朝から晩まで働いていた。 その中にターぼうという年のころ18、9のくらいのいつもとびきり上機嫌のあんちゃんがいて 仕事中、のべつまくなしに歌を歌いまくっていた。 別れの一本杉。 ごめんねチコちゃん。りんご村から。美しい十代。 達者でな。錆びたナイフ・・・。 ちょっと九ちゃんに似たにきび面で、よくもまあと思うほど次から次へと大声で歌いまくった。 夜になってハダカ電球が点っても、仕事に歌謡曲にしばしも休まず精出していた。 窓は全部開放されていたので学校帰りなど、遠くからでもその歌声は聴こえた。
「ひっさしぶりにい〜手をひいてぇ〜おやこでーあるけるうれしさにいぃぃーーー」 歌の途中で「ターぼう!」とだれが呼んでも知らんぷり。 「ここがここがあ〜二重橋ィー記念のしゃっしんを撮りましょうねえーーーーー!」 と最後まで”東京だよおっかさん”を歌いきらないと絶対返事はしない。 たとえ社長が来てなにか尋ねてもだ。 社長はしかたなく手をブラブラさせたりして、歌のキリの良いところが来るまで キマリ悪そうな顔をしながらも、手持ち無沙汰でじっと待っている。
どんな寒い朝でも上機嫌で私たち子ども等には「おっはよー!」帰った時には「おかえりィッ!」 と声をかけてくれるので、ターぼうは近所でも人気者だった 土曜の午後など、鉄錆びた窓は子ども達が鈴なりに顔を連ねてターぼうの歌声に聞きほれた。 おかげで色んな歌を覚えることができた。 ♪ABC〜XYZそれがおいらのくちぐせさあ〜 子ども達も加わりみんなで大合唱となるこの曲。 18番はフランク永井の”有楽町で会いましょう” だが、ABCXYZなどと言う そんな口癖ってあるんだろうか? いまになって思うと不思議ではある。
高度成長期、中卒が”金の卵”ともてはやされたころの話である。 石油ストーブの普及で、石炭を使うダルマストーブが急滅し、キューポラの火も消えた。 しばらくして坂下鉄工所も工場(こうば)を閉鎖。 ターぼうをはじめとするあんちゃん達は田舎へ帰ったり東京へ再就職したりして、みんないなくなってしまった。
いなくなってしばらく経ってからも、三丁目の垣根の角を曲がり、ぽっかり浮かぶ雲を見上げたりすると ターぼうの歌声が風にのって聞こえてくるような気がした。
♪これこれ石の地蔵さ〜ん。西へ行くのはこっちかえ〜。だまっていてはわからなあい。 ターぼうの大好きな祐ちゃんもひばりちゃんも天国に召され 昭和も徐々に遠くなりつつある・・・。
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