舌の色はピンク
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5時起床。晴れ。 せっかくこの時間に起きたのだから、寝ている娘に着替え保湿してしまおうと試みた。 これが大失敗。 ズボンを脱がした時点で泣かれてしまった。 抱っこして落ち着かせたが、30分ほどかけてゆっくりと、足にだけは保湿クリームを塗っていった。 抱っこは1時間近くした。 全然泣き止まないので仕方なく居間へ。 抱っこしたまましばらく過ごし、6時半過ぎにそのまま朝飯準備へ。 飯はよく食べてくれた。 朝が早かっただけあって、着替え以外は進んでいった。 ゴミ出し行こうかと誘うと行くという。 その流れに乗じて着替えを果たし、ひと通りの朝支度を済ませてやれた。 妻は今朝はもう朝食がとれない。 しばらく面倒みれないからと、娘の髪を丹念に編んでやっていた。 8時15分に家を出て登園。 30分を前に帰宅できて、懸念であった朝をクリアできた感があり高揚した。
準備整えて40分過ぎに妻と家を出た。大荷物。とはいえ10分程度で産院には着く。 まだ実感はとぼしいながら、ようやくこの日、ここまで辿り着けたと思うと感慨深かった。
9時に受付後、2階の個室へ。 荷物を開けていって、妻は尿検査やら血圧検査を。 さらに点滴のために注射。これが太い針だったようで、痛みに喘いでいた。 助産師さんは動きも語りも迅速でしごてきっぽいお姉さん。 妻を任せられる安心感があった。 僕は自転車で一時帰宅へ。 OKに寄って飲食物を買い、家では義母のために娘用の飯を整えていった。 自分の昼飯は味噌ラーメン。具沢山で美味しい。 片付けを進めているうちに義母が来宅。 図書館で借りた紙芝居だけ置きに来たらしい。 5分もせず去っていき、僕の方もそれから掃除機がけやらを済ませて病院に戻った。
予定通り12時に戻って、妻は相変わらず待機中。 逆転検事をクリアするのだと意気込んでいたものの、結局寝てしまったらしい。 着圧タイツを必死こいて履かせ、雑談しつつ手術の開始を待ち、 13時を前に手術時間の遅延を告げられた。 お産が入ったらしい。仕方のないことだ。 妻はもう早く腹切るなら切ってくれという構え。
僕の方もなんだかドキドキしてしまって落ちつかなかった。
遅延は長引かず、13時半に手術室の方へ案内された。 さっそくカーテンで仕切られ、廊下で待つ僕には中の様子は伺えない。 二つのお守りを握りしめてただ待っていた。 血圧低下の影響のせいか妻は吐き気を訴え、かなり気持ち悪そうにしていた。
14時に手術開始。 緊張感に呑まれつつ、妻の要請に従ってところどころ写真に収めたり、動画を撮って見守った。 10分後、赤子が取り上げられた。 まずは無事に出てきたことに安堵と感激。 呻きまくっていた妻は、子どもの顔を見せてもらって泣いていた。 次いで、僕も涙ぐんでしまった。 まだ安心はできない。新生児には心配がつきないし、妻の手術も終わっていない。 数分して、とりあえず赤ちゃんは元気なこと、 心臓に雑音も聞こえないことが知らされた。 14時9分産まれ、3010g。 助産師さんに子どもを渡され抱き抱える。 今時点で目に見える障害もなさそうだ。 よかったと感じ入る。 30分ほどして、妻の方の手術も終わった。 ようやく安堵できた。 お疲れさまと声をかけた。 妻にも息子の顔をよく見せた。 娘と似ている、と笑った。 娘そっくりなのだ。 新生児にしては顔もできあがっているし、髪もよく生えている。 目は切れ長で、ちょっと大きめの鼻と小さなおちょぼ口。 胎脂で白んでいる容貌につきこれから印象は変わるものと思われるが、第一印象は娘がまた出てきただった。
添い寝と添い乳は、妻の方は痛みで大変そうだったが、息子は吸い付きがよく、上手だった。 子宮収縮とやらで腹はかなり痛むらしく、添い乳も長くは続けられず。 痛み止めの追加を要求していた。 僕は写真動画をひととおり撮って、妻の要望であった胎盤も写真に収めた。 助産師さんの計らいで、妻は胎盤を触らせてもらってもいた。 食べれると言っていて笑った。 僕は義母に連絡をとって、無事の出産と保育園お迎えについてのオーダーをした。 分娩台からはしばらく動けない。術後2時間はこのままということだった。 息子を抱きかかえながらしばらく過ごし、15時45分ごろに義母と娘が来院。 僕は待ち合いで出迎え。娘は見るからに固かった。 義母が言うには、保育園お迎えがちょうどお昼寝明けで、随分ぐずられたらしい。 院内では機嫌悪そうでもなかったが良くもなく、全体的に反応が薄い。 分娩台で妻の顔を見ても同じだった。 初めて見る弟に対しても何の反応も向けない。 ちょっとあやしてみたら笑顔を見せたからそれでよしとして、妻とタッチさせ、僕と娘は退散。 自転車に乗せる前に、弟会えた?と聞くと、会えた!という。 お姉ちゃんになったね、といえば、なった!という。 それだけで十分だ。
16時過ぎに娘と一時帰宅。 バナナバナナと言っていたが実際に食べたがったのはアンパンマンパン。 さらにアンパンマン見せろと要求。 パンだけ食べさせて、凍らせたアンパンマンミニフィギュアを餌に風呂へ。 入れさせるまでは苦労したが、シャワーは順当に浴びてくれたし、出るのも素直だった。 オムツいっちょでアンパンマンを視聴したがったのを承知して、見せながら保湿着替え。 僕も服を着て、予定通り16時45分に義母が来宅。 最低限の引き継ぎだけして、僕は娘に行ってきますの挨拶。 今夜はお父ちゃんもお母ちゃんもいないのだと言い聞かせる。 娘はちゃんと言うことを理解しているようで、大泣き。 絶対やだ、という態度が顕著だったが、祖母が宥めを引き受けてくれて、僕はまもく家を出た。
17時前に病院に戻ってみると、妻は個室に移動したところだった。 今は痛み止めが効いてきてましなのだと言っていた。
息子も移動ベッドに乗せられてやって来た。 こっからは妻と雑談しつつ各方面に報告。 僕は会社に電話もいれた。 友人諸兄からの温かい反応はありがたい。 とはいえ、第一子に比べればやはり、メッセージなどは多くなかった。 妻とはのんびりとした時間を過ごせた。 こんな風にやることに追われず、ゆったりと時間過ごせるのは久しぶりだねえと感じ入った。 が、痛み止めが切れてくるたびに妻は痛い痛いと繰り返す。 そういうものだと割り切って、僕は必要以上に心配しないことにした。 18時くらいに僕は買って来たビビン丼を、 何も食べられない妻には悪いので視界に入らないようにして食べた。美味かった。 妻はチョコ食べたい、チョコくわせろとうめいていた。
たまにオムツ替えしつつ、添い乳試しつつ、今日の日記を書いたり、 息子をただ眺めたり、妻の介助したり連絡取ったり、 たまにまどろんでみたりで時間はあっちゅーまに過ぎていく。 持参して来た白井智之のミステリー・オーバードーズはほとんど読み進められない。 そうとはいえ時間はある。 0時過ぎ、痛み止めの効いている状態で添い乳をすこしでもできた妻は少し安心して、しばらく眠っていた。 1時過ぎにはまた添い乳。 あまり吸わないのは、吸い方吸わせ方の問題よりかは、吸うより眠気の方がまさってしまっているように見えた。
翌日へ。
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