舌の色はピンク
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2024年12月13日(金) |
個室でお世話、流血、赤子にミルクをやる多幸感 |
2時以降は、息子は20分おきくらいに泣いて起きてを繰り返していた。ちょくちょく添い乳を試し、その都度僕は介助。体勢が安定せず、なかなか疲れる。 うたた寝は15分程度を数回できた。朝までに、トータル3時間くらいは寝れたろうか。 妻は腹の痛み以外は経過良好のようで、水分補給もゼリー飲料もしっかりとれていた。 新生児が羊水を吐くという話を助産師さんから聞かされていて、産まれた時間の12時間後となる午前2時から3時はとくに警戒していたが、結局吐かず。 まあまあ飲んだしまあまあ寝たし、十分いい子だった。
8時まで面倒を見て、帰宅。 義母から娘の面倒を引き継ぎ。 本当にいい子していたらしい。義弟の出番はなかったそうだ。 洗い物やお片付けも義母が気を利かせてくれたようで、最低限しかない。助かる。 娘はひたすらアンパンマンを求めるマシーンになってしまったが… とりあえず保育園登園を目指して着替え保湿。 だがちっとも応じてくれない。 あらゆる手立てを尽くしてもだめ。 義母は9時を前においとま。 僕は娘を抱きかかえ、オムツをアンパンマンの顔に見立てて、 新しいオムツよー元気100倍! と言って飛び上がる遊びをしてみていた。 大ウケだったのだが、何回目かで思い切り頭頂部を天井…というか天井の低い部分にぶつけてしまい、 くらくらとした。 まもなく流血して焦った。 額から垂れた血が鼻の頭で二つに割れてしたたる。 とっさにタオルで抑え、血の滲みを確認。 頭部は流血しやすい。それでこの量なら大事には至るまいと判断。 とはいえ血はしたたり続けるし、患部は痛い。 娘は空気が読めるので、立ち尽くして大人しくしていた。 僕は簡単な計算ができること、流血がましになったことを確認して、 一方でこれは利用できるとも思い、うずくまって、 お父ちゃん無理そうだ、一人で着替えてもらえるかな、 と娘にお願いしてみた。 「オムツと着替え持って来てくれる?」 「うん!」 といい、嘘みたいに素直に従ってくれた。 難なく着替えはクリア。 頭は痛んだが、保育園に連れていくのは問題ないと判断して、のろのろ準備して玄関へ。 娘は自転車に乗るなり、スーパーは?と繰り返し、
保育園に向かっていることを察すると大いにぐずりだした。 だが着いてみると大きな抵抗はせず、階段も自力で昇り、 無事に預かってもらえた。 僕は園を出てからすぐに検索をかけた。 頭部の打撲は諸症状が出たらすぐ病院へとのことだ。 痛みはあるがふらついてもない、めまいや寒気もない。 6時間症状なければまず大丈夫だろう。 スーパーで買い物して、帰宅後は最低限の雑事して、洗濯物干して、それから昼飯。 パック寿司。美味い。 茶がないので白湯を飲んだ。 普段ならこっから残った家事やらをするところ、 今日は休んだ方が良さそうだと思い、 ホットカーペットの上で寝れる体制整えて寝た。 2時間くらいは眠れたろうか。 具合はなかなかいい。 予定通りシチューを作った。 煮込み時間の間に荷物整理や洗濯物取り込みなどを進めていった。 風呂の準備も済ませ、15時40分に家を出て保育園へ。 娘はおやつを食べ終わるところで、パパ、パパ、と駆け寄って来た。 教室を出た途端に、お父ちゃんお父ちゃんと甘えた声。 パパというのはあれ、他の子達のを真似てるのだなきっと。 嬉々として自転車に乗り込み、なおもスーパー行きをねだる。 じゃあ小さいスーパー行こう、と提案してプチマルエツへ。 これなら数分のロスで済む。 妻用の板チョコだけ買って退散。 娘もそれで満足してくれた。
帰宅してすぐ風呂行きとしたかったがまずスティックパンをねだられ、 次はアンパンマンを見たいという。 時間に余裕もたせてはいたから一旦見せて、 その後は僕自身がズボンを足首まで下げて ペンギン歩きで浴室まで向かって見せると真似てくれた。 シャワーは大人しく浴びてくれたものの、湯船に入れる時間はなく、 しかし昨日と違って湯船を満たしてはいたから、 娘が入りたがってしまい説得もききいれてもらえず。 ちょっとだけね、と浸からせると30秒で納得してくれた。えらい。 保湿着替えをばたばたとしているうちに義母が来宅。 引き継ぎをして、娘に挨拶。 今日もまた大泣き。 それを振り切って玄関へ。 居間の気配からすると、1分少々で落ち着かせてくれたようだ。 義母に感謝しつつ出発。
17時前に産婦人科に着き、2階に上がってみるとちょうど妻が点滴スタンドを杖代わりに廊下をヒイヒイ歩いていた。 ものすごくくたびれていたが、歩けているのは素晴らしい。 部屋に入って荷物整理していると助産師さんが現れ、妻に話かけつつ、ちょうど息子が起き出したから授乳をしてみることに。 奇しくもここで病院食が運ばれて来た。 全粥と白菜やカボチャの煮物。 地味だが美味しそうだ。 飢えまくってる妻は見るからに食べたがっていたが授乳を優先。 僕は助産師さんからミルク作りを教わった。 久しぶりとはいえさすがに覚えてはいた。 あげてみると懐かしい多幸感。 赤子と擬似的にひとつになれたような感覚。 げっぷだしでさらなり。 満足度高かった。 助産師がいうには、今夜は昨夜とはまるで違う、赤子は30分眠り続けたらラッキーと思え、 とにかく泣くし、泣いたら飲ませろ…と脅された。 しばらくはやるべきことに追われた。 義父へのLINEも送った。 近況を知った妻が「怒って」いるから子供の写真も送れないと。
やることは多く、なかなかまとまった時間は取れなかったが、 脅されたほどには大変ではなく、小刻みにすこし眠れもした。 妻もノーマーク爆牌党を読み進めていた。 僕は夕飯には、昨日の深夜にもこっそり食べた和風弁当を食べた。 9マスあって400円。しかも美味い。 駅弁なら1200円はとるところだ。 赤子は朝だか昼に沐浴されて胎脂が落ち、きれいになっていた。 もう娘ともそんなに似ていない。 眼光のするどさがすばらしい。 目がパッチリしていてなかなかいい顔つきだ。 0時を過ぎてからは眠気と歯の痛み、わずかだが残っている頭痛で、なかなか大変だった。 さいわい妻の調子が悪くなく、サポートは最低限で済んでいた。 夜の間はとくに何ができるわけでもなく、まどろんだり雑談したり赤子の顔見たりの繰り返し。
翌日へ。
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