舌の色はピンク
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2025年01月29日(水) |
初めての経口負荷試験、日帰り入院、プレゼント味 |
4時半に起きてミルクやり。 5時にはやり終わって、哺乳瓶洗って寝室に戻り、6時まで寝れたら上々だなともう一度寝た。 が5時半には娘が泣いて目を覚ましてしまった。 抱っこ抱っことぐずって聞かない。 仕方なく抱っこして居間へ。外はまだ暗かったが、晴れ。 6時くらいまでぼんやりと、抱っこしたままソファに座って過ごした。 娘の朝食は軽めに、トーストとイチゴのヨーグルトのみ。 トーストは半分量しか食べなかったが今日に限ってはちょうどいい。 自分もトーストを焼いて食べ、洗濯物をやっつけ、妻を起こして飯食べさせて、 着替えて出支度して洗い物して、赤子の沐浴準備もしておいてやり、 バタバタはしたものの6時50分にだいたい整えて、 娘にバス乗れるよ電車乗れるよといって玄関行きを促し、 妻と娘の挨拶を見守って、55分に家を出た。 バスはあまり待たなかったが混んでいて座れはしなかった。 ほぼ信号待ちに引っかからなかったので予定より早く荻窪駅に着いた。 総武線に乗り込み、ここでも新宿駅までは座れず。 娘は退屈したのか、一駅ごとに「降りたーい」とごねていた。 新宿駅がタイヘンで、埼京線だかの人身事故の影響で激混み。 山手線を一回見送ってから次の車両に乗ったはいいものの娘が押しつぶされそうに。 みかねた中年男性が、自分の荷物に載せてもいいですよと提案してくれた。 がさらにそれを見ていた女性が優先席を譲ってくれた。ありがたい…。 ぎゅうぎゅうのなかなんとか優先的に娘を抱っこした状態で座り、落ち着けた。 五反田に着いてようやく一息。 池上線に乗り換えたら空いていたから娘に麦茶を飲ませてほっとした。 旗の台には8時前に到着。 踏切と信号で待たされたものの、予定より早く8時過ぎに昭和大学病院へ到着できた。 受付を済ませて4階の小児科へ。 8時半の予約に対して大分早かったが、トイレ入って問診票書いて荷物整理して、 としている間にもう診察がはじまった。 担当の今井先生の横には研修生みたいな女性が二人ついていた。 先生は娘に聴診器をあてるなどして、今日の試験をするにあたり健康面に問題ないかの確認と、 今日これからの流れについての説明、あと次回の外来予約についての話があった。 治療そのものについての説明はなかったが、最後には娘を見て、 がんばってねーと声をかけてくれた。
エスカレーターで2階に降り、渡り廊下を渡って入院病棟へ。 エレベーターで4階へ上がって、それから9時までの20分ほどは受付前で待った。 他の子どもたちも6組ほど待っていた。僕らは2番目。 身長体重を書いたらあとはすることがない。 隣り合わせた母子にかるく挨拶した。 1歳になりたてくらいの男の子かかえたお母さん。感じがいい。 9時になるとまもなく呼ばれ、病室前で簡単に質疑応答。本日の軽い説明。 部屋に通され、また試験についての質疑応答を軽くした後、二床同室となる子が入室。 先ほどの母子だった。 今日は音の出る玩具とか使ってしまうんですが、とことわりを入れると、 いえこちらも使いますので、とお互い和やかに挨拶できた。
まもなく医師から、はじめの経口摂取をお願いしますということで任された。 娘には9時20分にサツマイモのスープに混ぜ込んだピーナッツ0.3gをやった。 すんなり全量飲んでくれて安堵。 3分おきくらいに服をめくってじんましんを確認していたが何もない。 呼吸器の異状も見られなかった。 ただ本人が、SpO2を計測するため足の親指につけた装置をたいそう嫌がって、 取って取ってとぐずっていた。 ベッド上でじっとしているのも退屈なのか、持参してきた雑誌もはじめて図鑑1500も、 そんなにウケがよくない、というかもたなかった。 なだめすかすも、5分が長い。 まだ9時35分か、まだ9時40分か…これが15時まで続くのか…と重たい気持ちに。 どうにか10時になり、はじめにあげてから40分間症状なしということを医師が確認して、 今度は0.7gを摂取させることに。 こちらは小魚に混ぜ込んだ状態で与えた。 本人がスプーンを持ちたがるものの、こぼされてはかなわないので指を重ねて与え続けた。 全部食べきってくれたのはよかったが、数分後、口が痛いと泣きだした。 サツマイモのスープに混ぜた方は粉末状にしてあったが、 小魚の方はただ砕かれた状態だったから、口のなかに残りやすかったのかもしれない。 抱っこしても泣き続け、痛い痛いと繰り返していた。 病室は戸が開け放たれていて、なにか異状を察知したらすぐ看護師さんが気付けるようになっている。 ぱたぱたやってきて、医師にも診てもらい、とりあえずは落ち着かせることに。 看護師さんんはDVDプレイヤーを設置してくれた。 アンパンマンが見れるということで娘はぴたっと落ち着いた。 大人しくなって5分ほどしてから訊くと、もう痛くないとのことだった。水も飲めている。 25分間でDVDは終わったが、看護師さんはまだ観ていていいというし、娘も観たいというからみせておいた。 僕は一度トイレに行かせてもらった。 長丁場だもんなあということで、その後は娘の様子を見つつ妻に経過報告しつつ、小説読んでた。 娘はアンパンマンにかかりきりで横を見向きもしない。 10時45分に単発の咳を確認した。 他の症状はなかったが、その後10分おきくらいに単発の咳がやはりあり、11時15分ごろに一応診てもらった。 喘鳴はないからとりあえず様子見ということに。 11時25分ごろ、蕁麻疹を僕が発見。 腰元にぽつりとできていて、看護師さんにも見てもらった。 背中にもできていて、ちょうどおむつ替えをさせようというタイミングで、足の付け根にも発見。 医師の判断で蕁麻疹用の薬を飲ませることに。40分ほどで効くらしい。 娘の調子は悪くなさそうで、大してかゆがりもしてなかった。 11時40分、咳が増えて来たということで、医師が吸入器を処置。 娘は嫌がったが1分もせず終わり、それからはただアンパンマンを見ていた。 12時15分、症状もだいたい収まって、出きったように見えますねと医師が診断。 今日の結果は陽性となるが、もう退院しても構わないという話になった。 初回の反応が数時間置いてからでてきたものだから、一応予定通り15時までいさせてもらうことにした。 ということで病院食が出た。エビピラフにリンゴ、白菜のサラダ。 僕は横で持参してきたサンドイッチを食べた。 食後も娘はアンパンマンを見ていたが、13時過ぎくらいには切り上げさせて、昼寝させようと試みた。 同室の子も退院となり、他の病室の子も去っていく気配がしていた。 午前中はあちらこちらから悲鳴、絶叫が聞こえていたから、ずいぶん静かになった。 外からは気持ちの良い日差しが入り込んでお昼寝日和。 だというのに娘は全然寝ようとしなかった。朝も早かったのに。 僕は構うでもなく構ったりしていた。 spo2のケーブルをひたすら結ぼうとしたりして遊ぶ娘をやんわりと見守り、 絵本を読んだり、あやしたり悪戯の相手になってやったりしていた。 14時半にまたアンパンマン見たいと言い出したから、ちょうどこれが最後になるなと思い、 セッティングして見せて、僕は帰り支度を進めた。 50分過ぎには医師が現れて、問題なさそうですねと診断。 最終的な診察と今後の治療方針などの話があるのかと思われたが、それは次回の外来でとなるらしい。 朝の時点で2月12日15時にとらされていたから、そのときとなるようだ。 とりあえず今日この後にまた症状が出てくることはそうそうないと見られるから、 あまり心配しないでいいとのことで、明日の保育園登園も問題ないとのことだった。 娘はお疲れさまだった。 9時台の時点でおうち帰りたいと繰り返していたし、 落ち着いてきた14時台でもおうちおうちと言っていたから、帰してやれるのが嬉しい。 なにより深刻な症状まで至らず無事に試験を終えられたことが本当に良かった。 あとはもう会計のみということで本棟1階へ。 入院費用20000円は医療費としてまかなえるらしく、今日かかったのは食事代500円足らずのみ。 交通費の方が高くついたくらいだ。 外へ出るとやや肌寒かったが空気は気持ちよかった。 娘もようやく歩けてすがすがしそうだった。 とはいえ疲れているのか、ちょっとするとへたばって、抱っこと甘えてきた。 今日はもう甘えさせるつもりで、荷物は多かったが抱っこして駅まで向かった。 電車が来るまでの間にリンゴジュースを飲ませてやり、アンパンマンパンも食わせてやった。 ごきげんで頬張って、電車に乗り込み五反田へ。 山手線への乗り換えに階段を下ったがエスカレーター乗りたいとごねて、 降りた後エスカレーターで昇ってまた降りるという挙動を許してやった。 新宿までは優先席に座れた。 乗り換え後、総武線は中野行きだったがおかげで空いていて、さらに三鷹行きに乗り換えても座れたから助かった。 娘はさすがに寝ていた。 が最後のバスの頃にはすっかり起きていて、楽しそうにしていてくれた。 大宮前体育館に着くと、敷地内ですこし遊びたいという。 今日はよく頑張った、とねぎらうつもりで許してやると、今日のストレスを全部発散せるように体を動かしていた。 でもちょっと長かった。 寒くなりかけたころ、帰ることをようやく承知してくれて、17時前に帰宅。 妻は娘の無事の帰宅を喜んで、そのまま風呂へ促してくれた。 入浴が済んで帰宅保湿して、妻を風呂に入れさせてる間荷物を整理して、 洗濯物を取り込み、抱っことごねだした娘を抱っこして、泣く赤子をあやし、大変だった。 18時を前に妻は授乳。 娘にはもう今日だけはと割り切ってアンパンマンを見せてやり、その間に夕飯の準備。 シチューと、鶏肉のバジルソテー。キャベツとトマトに乗せた。 18時15分には夕飯とした。 腹が減っていたから余計に美味く感じた。 40分には終わって、洗い物して赤子を抱っこして、19時からしばらくは娘と妻の遊びを見守るなどしていた。 娘はおままごとでおうどんを作ってお母ちゃんのと渡し、 何味ですかとたずねられて、プレゼント味と答えたらしい。 妻は泣いたそうだ。 19時15分に歯磨きさせて寝室へ。 土星を浮き上がらせるミニプロジェクター装置で妻が娘をあやして、そのまま僕が寝かしつけ。 10分ほどで二人とも寝た。
僕は21時半に目を覚まして居間へ。 赤子は日中ずっと寝ていたらしく、その反動か夜はずっと泣いていた。 抱っこしながら今日の振り返りを妻とやった。 今度のスケジュールなども話し合うことはいろいろあるが、 今日のところは難しい話は置いておこう、とした。 面倒ごとは山ほどある。 家事からやっつけていって、0時半寝支度。 授乳を終えてから1時を過ぎても泣く赤子を抱っこしてあやしてあやして、 民話読み聞かせて1時半就寝。
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