舌の色はピンク
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2025年03月23日(日) |
オールバック、多摩動物園、花粉症ひどい |
6時半起床。晴れ。 昨晩は息子の世話を3時の一度きりで済んだ。 今朝も娘の機嫌は良い。 のりのりで居間へ移動し、朝飯のピザトーストを食べきってもらった。 自分の分の朝食トーストも用意して食べ、妻は8時半前に起こした。 朝支度は順当に済んでいき、髪もセットした。 オールバックにしてスプレーで固めた。 うん、なかなかいいんじゃないだろうか。 男の前髪ないのが嫌いらしい妻には評判良くなかったが…
8時半過ぎに娘と一緒にまずは家を出た。 図書館でエレファントヘッドを借りてからOK行って9時過ぎ帰宅。 妻の出支度も進んでいって、10時近くに4人で家を出た。 一家そろってのお出かけも慣れてきたが、娘はとても楽しそうだ。 はじめは僕と手をつなぎ、しばらくしてから妻の方に交代して、 やはり僕がいいということで最後の方はまた僕と手をつないで西荻へ。 おにぎり屋にだけ寄って、僕は大葉味噌を、妻はフキノトウ味噌とえび天むすを買った。 駅ではやはりベビーカーのエレベーター移動に苦労する。 というか待つ… さいわい電車はちょうどよく来てくれて、さっさと吉祥寺へ。 だがこちらでもやはりエレベーターで待つ、待つ、待つ… それもホームから改札へ、改札からまた1階へと、複数回乗らないと行けないのだから面倒だ。 吉祥寺駅から出るのに10分以上かかってしまった。 その上駅前の信号は僕がこの世で最もといっていいくらい嫌いな横断歩道。 だが天気はいい…。 暖かい、というか暑いくらいの春の陽気。 娘は歩きから抱っこになってしまったが、井の頭公園に着いて動物園の気配を感じ始めるとまた歩いてくれた。 今回は道筋上、水生園から入った。 鳥のいちいちに娘は興味をもってくれていたようだった。 とはいえ腹も減った、娘もお腹ペコペコと繰り返しているし、動物園の方へ向かっていった。 思ったより距離が長く苦労した。 ようやっとベンチで一息。 買ってきたおにぎりなどを皆で食べた。 娘のものはOKで買ったおかかおにぎりで、それにコールスローを好んで食べていた。 僕はサンドイッチとカフェオレも買ってきていたから妻と分けて食した。 妻と娘は先に食べ終えて、ペンギンやらモルモットやらを観に行っていた。 僕は息子を見守っていた。ベビーカーで寝っぱなしだった。 それからしばらくは道なりに動物を見ていって、 芝生に辿り着いてから妻はクレープを買い、僕と娘はあたりを散策して、 最終的に新幹線型の乗り物に乗せてやることにした。 搭乗は妻と娘。 そんなに並ばず乗せてやれたし、数分間はぐるぐる回っていて、これで一人100円は特価だ。 だが娘はこういうとき特有の渋い顔をし続けていた。 まあ楽しんでくれてはいたはずだけれども。 この頃にはそれなりに皆疲れていて、陽射しも暑く、帰宅を検討し始めた。 最後に妻と娘でリスの小路だけ楽しんで、帰路へ。 授乳についてするかしないかの話し合いが妻との間であったが結局帰宅を選び、 さっさか歩いて駅へ向かった。 娘は疲れたようで、僕は抱っこしていた。 だが僕は花粉症がここ数年で一番つらくへとへとだった。 西荻へ着いてからさらに悪化。 抱っこ紐に切り替えたから体力的には問題なかったものの、鼻水と涙が地獄だった。
13時半前帰宅。 荷物の整理、妻と息子の風呂サポート、着替え、洗濯物取り込みなど済ませて、14時過ぎに僕はダウン。 で娘を寝室に誘って寝かしつけ。 だが寝ない。 それなりに疲れているだろうと思われたのに、寝ない。 結局15時半過ぎまで娘は寝なかった。 16時前に僕は抜け出して家事雑事、さらに作業もちょっとだけした。 16時半には娘のおやつも用意したが娘は起きず。 僕は花粉症の症状が治まってきていたが妻は悪化。 17時に娘は起きて、焼き芋をすこし食べ、それから僕と大宮前体育館へ。 キッズルームはしまっている時間だから自転車をこがせただけ。 それでも楽しんでいたようだった。
帰宅後は風呂へ。 妻は息子と寝室でへばっていた。 娘を保湿着替えさせてから一人で娘制御しつつ夕飯調理。 昨晩妻の作ってくれた切り干し大根、余していたお赤飯、ちゃっちゃと作った豚汁。 美味かった。 だ息子が泣き通していたから抱っこがタイヘンだった。 妻は食後、またダウン。 花粉症の辛さはお互い様なので同情する。 僕は息子を抱っこしながら娘を構っていた。 19時半に妻は戻ってきてダーウィンを視聴。 僕は抱っこ紐で息子をあやしつつ部屋の片づけなどもして、 20時から娘の寝かしつけのため皆で寝室へ。 だが息子はちょっとでも抱っこ紐をゆるめると泣くし、娘は僕に執着して寝ない。 20時20分に諦めて僕と妻は役割を交代。 娘はそれから10分程度で寝てくれた。 僕も15分ほどまどろんで、21時に居間に戻った。 息子は眠ってくれていたが妻は憔悴していた。 僕は家事雑事の後30分ほど作業して、22時から妻と一緒に義弟と電話。 義父の扱いについての電話相談で、要は仲介役を義弟によろしく頼んだ。 それなりに話はまとまった。ありがたいことだ。 だが義父への不快感は募る。 これからはなおも不快な思いにさらされるだろう…まあしかたないか…
1時間ほど作業して、日記、家事、寝支度。 民話読み聞かせて1時半すぎ就寝。
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