舌の色はピンク
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2025年05月05日(月) 娘二度目の救急車、限界抱っこ、ひたすら看護

6時半起床。晴れ。
娘に起こされて起床。
機嫌は悪く、抱っこ抱っこで居間へ。
当人の希望でテレビを見せてやって、しばらくすると会話もできようなってきた。
熱は38度あって油断ならない。
食欲もないようだったが、スティックパンと水分はとってくれた。
8時に妻を起こして洗濯物もやっつけて、娘を任せて僕は9時前にOKとドラッグストアに買いだし。
帰宅後、家事雑事をやっつけてから昼飯のそうめんの準備に取り掛かったが、
その前に娘のリクエストでイチゴジュースを一緒につくってやった。
10時半ごろ飲ませて、それから15分ほどしたところで娘が戻した。
衣類やソファのカバーなども全部洗浄。洗濯機へ。
本人のことも落ち着かせねばならず大変だった。
10数分してから僕はまた昼飯調理に戻った。
天ぷらを揚げていってるうちに、妻が娘に強く呼びかける声。
行ってみると娘は目が焦点合わずうつろで、ゆらゆらとして、呼びかけにも応じていなかった。
けいれんもあったようだから、すぐに救急車を呼ぶよう妻に言い、僕は身の回りのことを整えて、娘に寄り添っていた。
いつでも出れるよう荷物をまとめていき、調理の中断も済ませ、救急車を待った。
15分弱で救急車は大宮前体育館にやってきた。
荷物と娘をかかえて乗り込んだ。
救急隊員は落ち着いた様子。娘も小康状態といえた。
子どもって休日に限って熱出したりしますよね…というお言葉がなんだかありがたかった。
病院は前回の衛生病院は今日開いてないとのことで、佼成病院へ向かうことに。
けっこう時間がかかって、娘は立ち抱っこを要求して泣き出してしまい、10分くらいは泣いているのをなだめるのに苦労した。
着いても入るのを嫌がっていた。
抱っこのまま診察室へ。
大泣きの叫びっぱなしだったが、先生が聴診器をあてるそぶりを見せると泣き叫びながら両手を自ら挙げていて全員笑った。
先生はそんなに心配してない様子だった。
いまもうけいれんが落ち着いていて、応答もあり、目も合うことから、大事にはいたってないという判断のようだった。
一応、ということで粘膜からの検査はしてもらうことになった。
娘には座薬も投与された。大泣き。
で診察後、1時間待たされた。
ちょっと待っててくださいね、だけでベンチに座ってるよう言い渡されて、実際80分ほど待たされたろうか。
娘が眠っていてくれたからよかったが、それでも最後の15分くらいは泣いていた。
座薬をもらって病院を後に。
とにかくまあ大事に至らないで良かったし、抱っこのまま外に出ると娘も調子を戻していった。
バスで帰りたいというから大通りまで歩いて行くことに。
ただでさえ寝不足なところに3時間近くだっこしっぱなしのここまで疲労があって、
さらに抱っこのまま20分近く歩くのはしんどかったが、娘のためを思えば頑張れた。
うまいことバスに乗れて春日神社前までの15分間くらいは休めた。
で降りてからはまた抱っこで5分ちょっと歩いて帰宅。
娘は帰宅してもしんどそうで、りんごジュースだけ飲んで、妻とアンパンマンの映画をみていた。
僕は荷物の整理、洗濯物の整理、自分の昼飯の素麺を食べて、また家事雑事。
16時ごろから娘と一緒に居間でゴロン。
30分弱は休めた。
17時前に起きた娘は熱が40度あって、解熱剤を飲ませることにした。
18時くらいにはその効果もあってか元気を取り戻してきて、普段通りの会話、笑顔を見せれるように。
妻と一緒にしみじみ感動した。
息子は泣いていた。
今日が初節句なのに…。でも妻は僕らが留守の間に写真をとってくれていたようで助かった。
娘は今日もシャワーなしで、タオルで身体を拭いて、お着換えだけさせた。
19時前に息子は寝つかせに。
それから娘は食欲も出てきたようで、ミートソースパスタも食べてくれた。
怖いから少量にしたが、唐揚げやリンゴもちょっとずつ食べてくれた。
とても機嫌よく過ごしてくれて、絵本読んで歯磨きして、19時半過ぎに寝室へ。
4人で一緒に寝室で過ごし、妻は20時半前に退室。
僕ももう少ししてから居間に戻った。

21時から座薬チャレンジ。
娘は深く眠りこけていて、ほとんど抵抗なく行けた。
21時半から飯を食い、風呂に入って、22時過ぎからは寝室で二人を見守り。
息子が泣きっぱなしで大変だった。
それだけで30分。
しかたなくミルクを用意して、飲ませ、もう23時。
自分の時間は何も持てない。
せいぜい日記書くくらいか。
23時半に活動終了。
寝支度して0時前寝室。


れどれ |MAIL