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■ Final:マヒロ③
冷たい風が吹き込む。冬の温度。寒い。いつからあたしを待っていたのか、シュウスケの顔はやけに白く見えた。
「雨、止んだの?」 「つい、さっき」
紫がかった藍色の空を見上げ、シュウスケが答えた。向かい合ったのは、久々な気がする。前に開けた時は、偶然に会えた。あの時は嬉しい気持ちはひとつもなくて、悲しいだけで、でも無理して笑った。今は。よくわからない。シュウスケが何を思っているのか、何がしたいのか。あたしを、どういうふうに見ているのか。
どうしたって期待するに決まってる。好きな人にキスされて、抱きしめられたら、誰だって期待するに決まってる。だけどそうしないのは、あの夏のことがあるからだ。
先輩とはもう戻らない。シュウスケはそう言った。でも、それとこれとは別だ。それくらい、あたしだってわかってる。
だから期待して。 だけど期待しないで。 だって離れられない。
幾ら手を伸ばしても届かなかった窓。でも今こうして見ると、少し近いように思えた。前にこうやって話した時は、とても遠く感じたのに。もしかすると、あれはあたしの心の距離だったかもしれない。今は――今なら。お互いの手なら届きそうな気がした。
シュウスケが真っ直ぐに、あたしを見ている。真っ黒の艶のある髪が、風で揺れる。「俺さ」不意にシュウスケが口を開いた。
なに、と聞き返す前に、遮られる。
「俺さ。お前の事、大事なんだと思う」 「…え…?」 「お前のこと、好きなんだと思う」
何でもないことのように、至極当たり前のような顔で、あたしを見据えた。
「なに、言ってるの?」
けれどその内容は、あたしの頭に上手く入らなくて。だからつい、笑ってしまった。その場にはそぐわない笑い声。でもおかしくて。
期待してた。でも。そんなこと、現実味がなさすぎる。
「なんの、じょうだ…」 「冗談じゃねえよ」
眉を寄せる、低い声音。その表情に笑うのを止めた。
「好きとか嫌いとかそんなん以前に、大事だって、わかったんだよ。今更とか都合良いとか思われてもいいし、言われてもいい。でもこれだけは、言いたかった」
「シュウ…」
「さんざん泣かせたし傷つけた俺が、今更お前の事を大事とか言うのはおかしいって、わかってる。恋愛感情とは少し違うかもしれない。お前はずっと傍にいたし、家族みたいに――思ってたし。でも俺は。お前を大事に思ってるって。知って欲しいって…思った」
一気に言い切ると、疲れたように息を吸って吐く。一連の動作を見ながら、どうしても自分のことを言われているような気がしなかった。あたしは首を傾けて、シュウスケを見返す。
「家族と同じ、なんでしょ…?」 「…つ。家族にキスなんかするかよ」
窓から少し身を乗り出せば、身を震わせるような寒風が吹いた。
「…本気で、言ってるの?」
本当は相手の顔を見れば冗談かどうかなんて、すぐにわかった。とても真剣に話してくれている、ということも。でも心がすぐに馴染まない。シュウスケがあたしを『大事』だとか、そんなこと。そんなこと、あるとは思えなくて。
「傍に、いてほしい」
小さく、でもはっきりと耳に届く声。
「嘘だ、」 「嘘じゃない」
頬を撫でる冷えた風。氷のように感じるはずなのに、でも不思議と寒くなかった。髪が頬に張り付く。もう充分に雨は拭いたはずなのに。
「泣くなよ」 「え…?」
言われて頬が熱いことに気付く。拭えば、きらきらした水滴が指に付いた。
あたし、泣いてる。
泣いてることが、わからなかった。どうして泣いてるんだろう。あたし。悲しくないのに。苦しくないのに。むしろ――。
今までもさんざん泣いた。悲しくて苦しくて辛くて、泣き喚いた。息も出来ないくらいたくさん泣いた。 泣くのはいつだって息苦しくて、頭が痛くて、いいことなんてひとつもない。だから、泣くことは嫌いだし苦手だった。
「泣くなって」 「…だって、勝手に出るんだもん」
あたし、変なのかな。幾らでも零れ落ちてゆく。でも胸が苦しくない。
何度も目を擦るあたしを、シュウスケが困ったように見つめる。そうされれば、余計に涙は止まらなかった。
「しゅう、すけ」 「なに」
震える唇。でもそれは悲しさからじゃない。
「あたしの傍に、いてくれるの…?」 「――俺は、そう言った」 「…っ」
ああそうなんだ。
嬉しくても涙って出るんだ。そんなこと、忘れてしまってた。
2008年06月23日(月)
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