「夕日を見に行きましょう。」
それが二度目のドライブの誘いでした。
初めてのドライブで私が車に酔ってしまったから、
「今度はほとんど真っ直ぐな道だから大丈夫。^^」
と彼は私を安心させました。
美味しいラーメン屋さんで腹ごしらえしてから、目的地へ向かった私達。
「どこで夕日を見るんですか?」
不思議そうに問いかけた私に、
彼は運転席からパンフレットを渡しました。
パンフレットには美しい雁の写真がありました。
「何を見に行くか分かった?」
そう、その時初めて私は
夕日を背景にして飛来する雁の群れを見に行くことを知らされました。
前の晩、私は取り乱して彼に電話をしていました。
その頃まだあの人と連絡を取り合っていた私。
あの人から言われた言葉、
刃物のように胸に突き刺さったまま離れなかったその言葉を
そのまま誰かに吐き出して、楽になりたかったのです。
「驚いたでしょう。いつも能天気な私がこんなになっちゃって。
引いたんじゃないですか。」
彼は動じる様子も無く、落ち着いて言いました。
「いや、全く驚かないよ。
普段明るい人が全く違う側面を持っていたとしても、
それはよくある、ごく当たり前のことだから。
そんなに人間誰も単純なものじゃないでしょう。
あなたは人の言葉を額面通りに真っ直ぐ受け止める人だから、
普通の人より傷つくんだよ。
確かに俺はあなたの元彼のような言葉は口にしないと思う。
ただ、その彼の言葉にしても色々な想いがあって 吐き捨てるように出てしまった言葉であって、
100%真実の気持ちではないと考えるのが普通だと思う。」
彼が予想していた通り、
夕暮れ前のちょうど良い時間に車は湖に着きました。
湖のほとりにはネイチャーセンターがあって、
家族連れや夫婦など沢山の人がその場所を訪れていました。
車から降りると身に着けていた薄手のジャケットでは震えるほど寒く、
彼は車に積んでいた2つの防寒具のうちの1つを私に着せました。
アウトドア用の防寒具はとても暖かでした。
その上、彼は親が子供にするみたいに
恥ずかしがって遠慮する私の首にグルグルとマフラーを巻きました。
それから、彼は双眼鏡と折りたたみの椅子を2脚持つと、
私を湖の方へ案内しました。
ネイチャーセンターを通って湖のすぐ近くまで来ると、
彼は椅子を2つ出して、
「座りなさい。」
と優しく言いました。
既に湖にはその日一日の仕事を終えた沢山の雁が、
身体を休めるために集まって来ていました。
そして、暮れなずむ空を見上げれば、
どこからともなく幾つもの雁の群れが飛んで来るのが見えました。
彼は1つだけ用意していた双眼鏡を私に手渡して、
「女の人はこういうのを見るのが下手だよね。」
と言いながら使い方を簡単にレクチャーしました。
双眼鏡で美しく壮大な雁の群れを見つめながら、
何故涙が溢れて止まらなかったのでしょう。
私は泣いていることを彼に気付かれないように、
ずっと双眼鏡を握りしめていました。
帰りの車の中で、
彼はその晩予約していてくれたレストランの名前を言いました。
彼が連れて行ってくれるお店はどこも彼の行きつけのお店です。
「お店に着く前にどこかでお手洗いに行きたいの。」
私の唐突な言葉に彼は不思議そうに聞きました。
「トイレならお店の中にあると思うけど?」
私は仕方なく正直に告げました。
「さっき泣いてしまったから、お店に入る前にメイクを直したいの。」 そこには、まだ湖に帰り着いていない沢山の雁たちがいました。
彼等はそこで一生懸命落穂拾いをしているのでした。
私達はしばらく無言でその光景を見つめていました。
「壮大な自然や動物の営みを目の前にすると、
自分の些細な出来事なんて凄くちっぽけだって思っちゃう。」
私の呟きに彼は無言で答えました。
今思い出してもあの時点では感動を恋と錯覚してはいなかった…。
そう確信できるのです。
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