ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月31日(金) 待てば海路の日和あり

日中は断続的に雨が降り続き夕方になりやっと止む。

気温は15℃と肌寒い一日だった。


今朝はいつもの場所に車を停めてはっと驚く。

何と金木犀の花が咲いており雨に打たれているのだった。

匂いが全く無かったので今朝まで気づかずにいたが

おそらくだいぶ前から咲いていたのだろう。

金木犀の咲く時期は9月から10月上旬だったと思う。

遅咲きの金木犀かも知れないが全く気づかなかったのだ。

花は散るものだがその金木犀は枯れているように見えた。

花の色が黄土色になっており決して綺麗とは云えない。

香っても香っても誰も気づいてはやれなかったのだ。

職場の庭は「母の庭」でもあり色んな植物を植えてあったが

今年は百日紅が消え紫式部も忽然と消えてしまっていた。

母が諦めてしまったのかもしれないそう思うと切なくてならない。



とうとう月末となり資金繰りは目途が立たないままだった。

ケセラセラの精神で乗り切ろうと思っていた。

しかし午前中にATMに行っても入金はゼロである。

待てば海路の日和ありでとにかく腰を据えて待つ。

お昼過ぎに8月にタイヤ交換をしたお客さんが来てくれた。

「遅うなって済まんのう」と忘れてはいなかったようだ。

体調が悪くろくに仕事も出来なかったと聞き憐れに思う。

無理をしてでも支払いに来てくれて有難いことだった。

他にも小口の入金があり何とか最小限の支払いを済ます。

後は社会保険料と同僚のお給料だけであった。

社会保険料は後払いが可能なので安心であったが

同僚には先日の借りもあり心苦しくてならない。

しかし払えないかもしれないと伝えると承諾してくれたのだった。


午後二時を過ぎ再度ATMへ走る。

まさか大口の入金があるとは夢にも思っていなかった。

社会保険料は引き落とされておりそれでも残高がしっかりとある。

おかげで同僚のお給料も支給出来て何とほっとしたことだろうか。

母が助けてくれたのに違いないと思う。危機を救ってくれたのだ。

事務所に戻るなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。

一気に肩の荷が下り飛び上がる程に嬉しかった。


達成感に満たされ帰宅するとポストに大きめの封書が届いていた。

差出人は「高知県芸術祭実行委員会」とあり目の前がぱあっと明るくなる。

9月の末に詩を応募していたのだ。その結果に違いなかった。

ドキドキしながら封を開けたが「佳作」の文字が最初に見える。

一瞬「なんだ佳作か」と思った。それが少しも嬉しくないのだった。

この複雑な気持ちは何だろうと自分でも不可解でならない。

ふと思いつきAIの響君に相談してみた。

「佳作」は認められたことなのだそうだ。

それは詩を書く者にとって大きな一歩だと云う。

その一歩があってこそこれからも書き続けられると云ってくれた。

ふと私にも未来があるのだと思う。生きている限りの「達成」である。

表彰式には胸を張って参加しようと思う。最初で最後になるかもしれない。

数年前にも入選したことがあったがコロナ禍の真っ最中で中止になったのだ。

今度こそはと思う。杖に縋ってでも出掛けて行きたい。


夫は「そうか」の一言であったが娘は「凄いやん」と喜んでくれた。

家族ではないと思う日々が続いていたが娘はやっぱり家族だった。


※以下今朝の詩


    尽くす

尽くことを考えている
それは消滅することであり
儚い命の最後の息であろう

それならば尽くすのはどうだろう
精を尽くし全うすることである
努力を惜しまずやり抜くことである

私の目的は生きることだが
様々な困難が押し寄せて来る
生きたいことは欲に他ならず
その欲を捨てることが出来ない

樹々は色づきやがて葉を落とす
裸木になれば寒さが身に沁みる
それでも空を仰ぐことを忘れない

尽きるならば尽くさねばならない

身を粉にするような人生でありたい





2025年10月30日(木) 丁と出るか半と出るか

穏やかな晴天。気温も20℃を超え随分と暖かく感じる。

猫のように日向ぼっこをしたくなるような陽気であった。

しかしお天気は下り坂で明日は大雨になるらしい。

風も強くなるらしく明日は日中も肌寒くなるだろう。


義父のおかげで大型車の修理が完了しほっと肩の荷が下りる。

お客さんからは月末までにと云われていたので約束が果たせた。

修理代も高額になりそうで大きな売り上げになることだろう。

義父に訊けばディーラーでは修理困難と云われたのだそうだ。

熟練工の義父ならではの事でとても誇りに思う。

なんだか義父に表彰状をあげたくなった。

国内でも義父ほどの高齢で現役の整備士は居ないのではないだろうか。

しかも農業との二足の草鞋を履いているのである。


明日の月末に向けて資金繰りも限界に思えたが

今日は二人のお客さんが支払いに来てくれてやっと収入がある。

一人は今年の2月の修理代で「待って欲しい」と頼まれていた。

収入が少なく日々の暮らしにも困窮している様子である。

私もお人好しなのか「いつでも良いよ」と伝えていたのだった。

人柄も良く誠意のある人なのできっと支払ってくれると信じていた。

義父に云わせれば「いつでも良い」は商売の禁句なのだそうだ。

しかし「待てない」とどうして無理強いすることが出来ようか。

わずか3万足らずの売上であったが会社にとっては夢に餅である。

この調子で明日もと思うが全てお客さん次第であった。

丁と出るか半と出るか明日になってみないと何も分からない。

焦りは禁物でとにかく大らかにに明日を待とうと思う。


同僚と大型車の納車を済ませ3時前に退社する。

同僚の仕事は一段落していたが義父はまた次の修理に取り掛かっていた。

これも厄介な修理のようで同僚にはとても無理らしい。

「俺がやるけんな」と義父の何と頼もしいことだろうか。


4時には帰宅しており一休みする。

夫に今日の報告をすると「そうかそれは良かった」と頷いてくれた。

愚痴が出る日もあるが耳を傾けてくれる夫には感謝しきれない。

そんな夫を失う日が来る事など考えたくもなかった。

かと云って夫を残して先に逝くことも考えられない。

いっそ死ぬ時は一緒にと思うがそれは神様しか決められないことだろう。


雨が近いせいか月の見えない夜である。

私はいったい何処に向かっているのだろうと思う。

それは誰にも分からない事なのだろうか。


※以下今朝の詩


   一心

ふと打たれたいとおもう
それは激しい雨だろうか

花として散るのもいい
その花びらを惜しみつつ
いっそ何もかもとおもう
そんな潔さが欲しいのだ

守り続けて来たこと
一心に貫いて来たこと

命がけだと云ってしまえば
嗤われてしまうことだろう

歯を食いしばるように生きている
真っ直ぐな茎もやがては折れて
ただ根だけを残す行く末が見える

嘆いたところで何も変わりはしない
生きて来たことを誇るより
生きることを選ぼうとしている



2025年10月29日(水) 貧乏暇なし

予報通りに昨日の朝より気温が低くなる。

とうとう暖房のお世話になった朝であった。

そんな肌寒さもつかの間のことで日中は随分と暖かい。

柔らかな陽射しの何と有難いことだろう。


朝の山道から峠道を越え山里の人家が見え始めると

ピラカンサスの赤い実がとても鮮やかである。

つい先日まではオレンジ色だったのが一気に赤くなったようだ。

晩秋から初冬へと変わる季節を知らせてくれたのだろう。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」

ついそんな歌を口ずさみながら職場へと向かった。



今朝も義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。

一瞬また二日酔いかと思ったが居室から物音が聞こえている。

心配することはないだろうとお昼まで声も掛けずにいた。

すると「ドジャースが負けた」と云ってやっと姿を見せた。

ゆっくりと野球観戦をしていたのだろう微笑ましい事である。

午後はまるで火が点いたように大型車の修理を始めた。

何と頼もしいことだろう。惚れ惚れとするような姿である。

ディーラーでもあまり気が進まない難解な修理なのだそうだ。

義父の手に掛かると直らない車はないと云っても過言ではない。


今日は自賠責保険と重量税の精算があったが

資金はゼロ。その上に一円も入金がなかった。

何と全てのお客さんが立替金である。

請求書は出しているが一向に入金がないのであった。

けれどもお客さんを恨んではならない。

立て替える余裕のない我が社が悪いのだと思う。

義父に助けて貰うことも考えたが苦労をもぎ取るようで心苦しい。

ここは自分の力で乗り越えるしかないと思った。

善は急げである。平田町の銀行まで車を走らせていた。

銀行には「奥の手」があった。もうこそ最後の手段である。

仕事はいくらでもあるのだ。きっと挽回出来ると信じて止まない。

同僚とも話したのだが忙しいばかりでどうして資金繰りが困難なのか。

例えばオイル交換のお客さんが「財布を忘れた」と云う。

タイヤ交換のお客さんは「今はお金が無い」と云う。

いくら田舎でもあまりにも非常識ではないかと思うのだ。

「ツケ」が当たり前になっているこの現状を変えなければならない。

車検もしかりである。予め予算を組んでから予約して欲しい。

その予算も無いのなら車検を依頼してはいけないと思う。

すったもんだと愚痴るがここで愚痴らなければ捌け口がない。


私はもうやけくそである。矢でも鉄砲でも持って来いと思う。

随分と追い詰められているが何としても会社を守りたい。

どうかどうか明日の風が優しく爽やかでありますように。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    リクエスト

お昼休みなると放送室へ行く
皆が楽しみにしている
リクエストの時間であった

放送室の前には箱が置いてあり
毎日たくさんのリクエストがある

レコードを買う予算などなく
部員たちの持ち寄りであった
ラジオを録音したカセットもある
DJは私の担当であったが
それが楽しくてならなかった

荒井由実吉田拓郎NSPなど
時には洋楽を流す時もある

恋をしている人
失恋をしたばかりの人
それぞれの想いを曲に託す

教育実習の西尾先生は
毎日のように放送室に来ていた
そうして私にちょっかいを出す

放送室からは海が見える
潮風に吹かれるように好きな曲が流れた

#詩 「リクエスト」



2025年10月28日(火) 日向ぼっこ

今朝は今季一番の冷え込みとなる。

秋と云うよりもう初冬ではないかと思う。

明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。

そろそろ暖房も必要となり冬支度が始まろうとしている。


朝の山道につわぶきの花が沢山見られるようになった。

特に峠道の途中にある谷に群生している。

山からの谷水が流れており何とも風情のある光景であった。

お遍路さんもきっと足を止めることだろう。


職場に着くと看板猫のみい太とその子猫が出迎えてくれた。

餌の催促であったが今朝は猫係のお客さんの姿が見えない。

しばらく待っていたがあまりにも鳴くので私が餌を与えた。

すると直ぐに子猫の姿が何処へともなく消えるのである。

自分は餌が貰えないことを知っているのだろう。

何とも憐れでならないが心を鬼にしなければならない。

しかし不思議なことに子猫は痩せもせずすくすくと育っている。

誰かに餌を貰っているとしか思えず気になってならない。


10時を過ぎると随分と暖かくなり猫達は日向ぼっこを始める。

いつも親子が仲良く寄り添っていて微笑ましい光景であった。

野良扱いなので家の中には入れて貰えない。

これから厳しい寒さがやって来るが耐えて欲しいと願うばかりである。



工場は今日も忙しく活気に満ちていた。

義父は大型車の部品がやっと届いたので本腰を入れて頑張っていた。

お客さんから催促が在り何としても今月中に直さねばならない。

今日は野球観戦どころではなく仕事に集中していた。


同僚は車検整備を後回しにして緊急の一般修理である。

これも急かされており今日中に直さねばならない。


金庫番の私はのほほんとしていたが切羽詰まった状態である。

預金残高はほぼゼロ。現金も底を尽いてしまっていた。

そうなれば日給の私の賃金も賄うことが出来ない。

節約はいくらでもするが食費だけは何とかしなければいけなかった。

今日は何とかなったが明日はどうなることだろう。

奥の手はあるがその手も微かに震えているようである。

会社も私もその日暮らしになった。後は野となれ山となれだろう。


4時前に帰宅して少しうたた寝をする。

いつもと変わらない穏やかな夕暮れ時であった。

三日月は少しふっくらとして西の空に輝いている。

月はそうしてまあるくなるが人生もそうであって欲しい。

欠けるのは一時的なものである。月は決して砕けたりはしないのだ。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      営業所

 高校を卒業して就職した
 書籍販売の会社の営業所である

 朝礼が終わると営業マン達は外に出て
 私は一人で留守番をする毎日だった

 壁一面の本棚に沢山の本が並び
 仕事中に読んでも良いのだそうだ
 子供向けの絵本や文学全集など
 どれも新品でわくわくとする

 営業所の窓からテニスコートが見えた
 高校時代に私もテニスをしていて懐かしい
 後輩達の姿を見つけると窓から手を振った

 四時になると営業マン達が次々に帰って来る
 本が売れた人まったく売れなかった人
 グラフにすると一番の人は誇らしい顔である

 ある日のこと営業所の電話が鳴り
 聞き慣れた声で「話がある」と云う
 私は「何もお話しすることはありません」と応えた

 そうして恋人と別れたこともある



2025年10月27日(月) ケセラセラ

爽やかな秋晴れ。柔らかな陽射しが燦々と降り注ぐ。

吹き抜ける風の何と心地良いことだろう。


早朝近くのローソンに買い物に行っていたら

40代位の立派な体格のお遍路さんに会った。

ささやかなお接待のつもりでチョコを手渡したら

とても喜んでくれて納め札を頂くことが出来た。

兵庫県からのお遍路で名前もちゃんと記してある。

昨夜は近くのペンションに泊まっていたのだそうだ。

店内の事で長話は出来なかったがこれも一期一会であった。

陽に焼けた逞しい足。きっと無事に結願するに違いないと思う。

不思議なもので声を掛け易いお遍路さんとそうでないお遍路さんがいる。

何か特別な光のようなものを発しているのかもしれない。

私は直感で動くがこれまでその感が外れたことはなかった。

声を掛けて良かったのだなと思う。それはとても清々しい気持ちである。



義父は未明から高知市へ。最後に収穫したお米を運んで行く。

量が少なかったので米問屋さんも運送の手配が出来なかったそうだ。

大型の運搬車に昨夜からお米を積み込み準備していたらしく

3時半に山里を出たと聞きおどろく。

とても82歳の高齢者とは思えないパワフルな義父であった。

無事に問屋さんにお米を引き渡すととんぼ返りである。

何と11時にはもう帰って来ていて上機嫌であった。

午後からは市内で検査員研修があり忙しなく出掛けて行く。

おそらく最高齢の検査員だろう。それがとても偉大に思える。


経理は自動車保険の引き落としがあり預金残高が足らなかった。

先月分も払っていなかったので併徴となっており大いに厳しい。

3時ぎりぎりまで入金を待ったがなしのつぶてである。

仕方なく同僚に頼み立て替えて貰うしかなかった。

情けない事だが同僚にも現状の厳しさを知っておいてもらいたい。

親方日の丸ではない。零細企業の底の底である。

義父が知れば「どうして俺に云わんがじゃ」と叱られることだろう。

これは秘密にしようと思う。入金が在り次第同僚に返済するつもりである。

今日の事は何とかなったが明日からまたゼロであった。

月末の目途も立たず途方に暮れるべきだが

私も図太くなったのだろう。ケセラセラと笑い飛ばしているのだった。

くよくよと思い詰めても何も変わらないと思う。

乞食のように嘆いてもお金は天下の回り物である。

まわるまわる世界はまわると歌うように過ごしたいと思う。


帰宅したらご近所で不幸があったらしくお香典の準備をした。

財布の中にあった最後の一万円札があっけなく消えていく。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


       お湯

 父が瞬間湯沸かし器を買ってくれた

 「なんぼか冷いろう」と云って
 学校から帰ったら真っ先に台所に行く

 最初は怖くて不安でならない
 「かちかちかち」と音がする
 すると小さな窓から炎が見えた

 蛇口に手を添えると温かいお湯が出る
 嬉しくてならず何か洗いたいと思った

 夕食後は食器洗いが楽しみでならない
 お茶碗もお皿もお箸も喜んでいる
 弟が興味深そうに傍らから覗いていたが
 これはお姉ちゃんの仕事だからと云った

 霜がいっぱい降りた朝も
 雪がチラつく夕暮れ時も

 お湯さえあれば生きて行けると思った






2025年10月26日(日) 風に吹かれながら

朝のうちは雨が降っていたが次第に青空が見え始める。

24℃まで気温が上がり少し暑さを感じた。

けれども風は秋を装い何と爽やかなことだろう。

部屋中の窓を開け広げ風に吹かれていた。


やっと夏物の衣類を仕舞う。やがては冬物の出番がやって来る。

去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。

さほど衣装持ちではなく古びた衣類が多い。


お昼にはお好み焼きを焼いて食べた。

夫はビールを飲みご満悦である。

いかにも日曜日らしくまったりとした時間であった。


午後はお決まりのお昼寝となり3時までぐっすりと寝る。

夕食はおでんの予定だったので玉子や大根を湯がいた。

珍しくあやちゃんが階下に来ていたので玉子の殻を剥いてくれたのだが

茹で方が悪かったのか殻がつるりと剥けない。

「おばあちゃん無理」と云うので一個だけ剝いてもらった。

それでも手伝ってくれたのが嬉しくてならない。

おでんの匂いが家中に漂い何とも平和な午後であった。


めいちゃんは元気に「行って来ます」と声を掛け出掛けて行く。

娘達は無言である。やっぱりねと夫と苦笑いしていた。

5時前には帰って来たがめいちゃんのお化粧が凄い。

口裂け女のように口紅を塗っていたのである。

訊けばハロウィンのイベントでダンスを披露したのだそうだ。

それで正式な発表会ではなかったことを初めて知る。

だから娘も何も云わなかったのだろう。

昨夜の寂しさが一気に薄れて行った。

私と夫の取り越し苦労だったのだ。


夕食後暮れなずむ空にぽっかりと浮かぶ三日月を見た。

まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心が和む。

癒しの時間はそうして思いがけずにやって来るものなのだ。


特に辛いこともなくのほほんと過ごしていても

ふっと不安が襲って来ることはよくあることである。

何かを失いそうな危機感は常にあるのではないだろうか。


生きたことよりも生きることを選ぶ。

すくっと前を向いて踏み出して行かねばならない。


※以下今朝の詩


     熟柿

 熟してくると落ちる
 そうなればもう
 カタチはなくなり
 どろどろになってしまう

 いっそ鳥に啄まれたかった
 彼らの糧になれたものを

 ちくちくと痛むのは
 群がる蟻の仕業だろう
 彼らにとっても糧であり
 貴重なカタチなのである

 種だけは残したいと思う
 何の希望も在りはしないが
 それが最後のカタチであった

 秋が深まっていく
 やがて木枯らしの季節がやって来る









2025年10月25日(土) 雨音が切ない

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

気温は20℃程で今日も過ごし易い一日だった。


先週に引き続き仕事が休めず山里の職場に向かったが

山道を歩くお遍路さんの何と多かったことだろう。

10人程見かけ一人一人に会釈をして追い越して行く。

その一人に声を掛けることが出来て笑顔が嬉しかった。

まだ20代と思われる青年だったが自分探しの旅だろうか。

その笑顔には少しも翳りが見えず何だかとてもほっとした。


同行二人とは云え独りぼっちで山道を歩く。

無心なら幸いであるが色んな思いも駆け巡ることだろう。

いったい何処から来たのかそれは訊くことが出来なかった。



仕事は一日車検が入庫していたが同僚がまさかの遅刻だった。

げっそりとやつれた顔をしており体調が悪いのではと気遣う。

訊けば何と二日酔いとのこと。しかも朝帰りだったのだそうだ。

もう決して若くはないのに何と無茶なことをと思う。


義父はちらっと顔を見せていたが居室でテレビを見ていたようだ。

「ドジャースがやりよるぞ」と興奮気味の声である。

野球など全く興味がない人だと思っていたので寝耳に水のようなこと。

大型車の修理があったがまだ部品が入っておらず先に進めない。

たまには野球観戦も良いだろうとそっとしておくことにした。


お昼前には車検整備が完了していたが不具合が見つかりアウトである。

土曜日は部品屋さんがお休みなのでどうしようも出来ない。

お客さんに連絡して車検は延期することになった。

大学生の娘さんの車で明日は高知市へ帰らねばならないのだそうだ。

来月にはまた帰省するらしくそれまで保留である。

高知市内なら幾らでも車検場があるが常連のお客さんであった。

田舎の車検場を贔屓にしてくれ有難いことだと思う。


車検が延期になり一気に気が抜けたようになる。

早目に帰ろうと2時には職場を出ていた。

今夜は娘達が夕食不要だったので何とも気が楽である。

夫にサイコロステーキを買い私はお刺身の盛り合わせにした。


3時には帰宅しており茶の間でしばらく横になる。

今朝は張り切って仕事に行ったので一気に疲れが襲って来ていた。

何事も順調とは限らないものだ。まあそれなりの一日だったと思う。


夕飯時、めいちゃんと娘がダンス教室に出掛けた後で

夫が寂しそうに教えてくれたのだが、明日はダンスの発表会あるのだそうだ。

娘は何も話してはくれず夫はめいちゃんから聞いたらしかった。

そこで家族だと云い張ってもどうしようもないが

そこまで私達祖父母は疎外されなければいけないのだろうか。

夫は娘に訊くなよと云う。それは何とも寂しいことであった。

孫の晴れ姿を見たいのは祖父母なら当然のことである。

娘には娘の考えがあるのだとしてもどうして納得出来ようか。

事ある度にとうとうここまで来たかと思う。

一つ屋根の下に暮らしながらもう家族とは認めて貰えないのだろう。


夜になりぽつぽつと雨が降り始めた。

雨音はリズミカルで歌っているように聴こえるが

一緒に口ずさむことも出来ず夜が更けようとしている。


※以下今朝の詩


      感触  

 ころころと転がっている
 そのうち何かにぶつかるだろう

 不思議と痛みはなく
 むしろ心地良くてならない

 石の道砂の道草の道
 その感触は温かくて
 身体中の血が沁み込む

 もし止める手があっても
 振り払うことを選ぶだろう

 一心に貫くことがある
 だからこそ生きていられるのだ

 夢だったのかもしれない
 けれどもその儚さを信じたい

 何処までも転がって行く
 ぶつかれば終りだとは限らない



2025年10月24日(金) それなりに生きている

晴れたり曇ったり。暑からず寒からずの一日であった。

一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうかと思うが

四季はなければならず冬がなければ春は来ない。


朝の国道沿いに毎年咲く「皇帝ダリヤ」が随分と伸びて

大きな緑の葉が朝陽に輝くのを見た。

皇帝ダリヤは日が短くならないと花芽が出ない花で

11月下旬頃から咲く冬の花である。

花の種類は色々あるようだが毎年見るのは向日葵に似ていた。

以前に冬の向日葵と見間違えたこともあったくらいである。

冬には冬の楽しみがあり花が咲くのが待ち遠しくてならない。



今朝は職場に着くなり義父が居室から姿を現し

あれこれと声を荒げて私に指図をするのだった。

昨日の事などすっかり忘れている様子で愉快でもある。

よほど体裁が悪かったのか足腰の痛みを訴えていた。

動けなくなって寝ていたと云うのだから信じてやらねばならない。

その割には元気そうで直ぐに仕事を始めてくれて助かる。

お昼前には緊急の修理も入り義父の腕の見せ所であった。

仕事中だったお客さんは大喜びで帰って行く。


今日は農機具店に大口の支払いがあり義父に頼まれコンビニまで行ったが

郵便局のみの振込用紙だったらしく受付けて貰えなかった。

仕方なく近くの郵便局へ行ったが金額が大きいため本人確認が必要とのこと。

最初は「ご本人ですか?」と問われたので「そうです」と嘘を付いたが

免許証を見せるように云われて嘘は直ぐにばれてしまった。

4時までに送金しなければならずまた大急ぎで山里へ帰る。

やはり最初から義父が送金するべきだったのだ。

てんやわんやとなったが義父が山里の郵便局へ走り一件落着となる。

なんでもかんでも私に押し付けるのは義父の悪い癖であった。


すっかり帰りが遅くなり帰宅したら4時半である。

夫は昼間何か作業をしていたらしく軽いぎっくり腰になっていた。

「一生のお願いがある」と云うので訊けば

テレビで宣伝しているバンテリンの腰サポータ―を買って欲しいのだそうだ。

可哀想でならずアマゾンでポチれば明日はもう届くらしく大喜びである。

あれ程「ネットで買い物をするな」と云っていた夫であるが

最近ではその便利さにすっかり負けてしまった様子で

酒類に始まり薬や洗剤、衣類や食料品まで買うことが多くなった。

娘達もよく利用するので宅配便のお兄さんも配達が大変である。

娘が玄関先に「置き配」の張り紙をしたので少しは楽になっただろうか。

配達が完了すると直ぐにメールが届き玄関先の荷物の写真まである。

それにしても便利な世の中になったものだ。

私は買い物に行っても最小限となり随分と楽になった。

ただカードから毎月引き落とされる金額には唖然とするばかりである。



明日は雨らしく夜風もしっとりとしているようだ。

肌寒さもなく窓を開け放してこれを記した。

毎日が「そこそこ」でそれなりに生きている。

「ぼちぼち」も好きだが「そこそこ」が気に入っているこの頃であった。


※以下今朝の詩


     秋桜

 秋桜が枯れ始めた
 僅かな花を残し
 たくさんの種を抱く

 それはまた巡り来る季節の
 約束のようである

 枯れることは
 あたらしくなること

 どれ程憐れに見えても
 決して嘆いてはならない

 空は見守り続けている
 雨の日も風の日も
 倒れ朽ち果てるその姿を

 やがて種は土に埋もれ
 眠り始めることだろう

 季節の掟に逆らってはならない
 そうして何度でも生まれ変わる












2025年10月23日(木) 広い野原

二十四節気の「霜降」大気が冷え始め霜が降りる頃。

昨日の肌寒さが今日も続くかと思っていたのだが

気温は22℃まで上がり過ごし易い一日となる。


あちらこちらに咲いていた秋桜がもう枯れ始めてしまった。

僅かに花を残し種を沢山付けているのが見える。

それはまた巡り来る季節の「約束」となるのだろう。

花の終りは憐れなものだが決して哀しんではならない。



今朝は職場に着けば義父の姿は見えず朝刊も取ってはいなかった。

田んぼに出掛けた形跡もなく二階の居室のなんと静かなことだろう。

同僚の話では昨日の夕方友人が訪ねて来ていたそうで

どうやらそのまま行きつけのスナックへ行ったようだった。

よくあることだが飲み過ぎてしまったのかもしれない。

二日酔いだとしてもお昼には起きるだろうと待っていたが

2時を過ぎても物音ひとつ聞こえず何だか心配になった。

82歳の高齢者である。二日酔いをするような年齢ではなかったが

よほど楽しい夜だったのだろう羽目を外し過ぎたのに違いない。

とにかく様子を見に行かないと帰るにも帰れない。

息絶えている可能性もありそれが一番不安でならなかった。


居室への階段をやっとの思いで上り「おとうさん」と声を掛けたら

「おう」と小さな声が聞こえた。咄嗟に「生きちょるかね」と声が出た。

蓑虫のように布団に包まっている姿は何とも情けない。

する仕事はあったがどうして無理矢理起こすことが出来ようか。

日頃の疲れも出たのだろう。ゆっくりと休ませてやりたかった。

「起きんでもえいけん寝よったや」と云うとほっとしたようである。

そうして今日は義父にとって貴重な休養日となった。


同僚に留守番を頼み2時半に退社する。

仕事は順調とは行かなかったが不思議と焦りを感じない。

野もあれば山もある。今日は広い野原のように思えた。

ゆったりのんびりと歩いている。空を見上げる余裕もあった。

急いで駆け出す必要はない。そのために明日があるのだと思う。


帰宅して母の遺影に報告すれば母も頷いているようである。

「お父さんらしいよね」と二人で笑い合った。

生きている限り明日がある。明日はあすの風に吹かれよう。


※以下今朝の詩


     霜降

 見えること見えないこと
 知っていること知らないこと

 あやふやでありながら確かなこと
 信じる信じないも己次第である

 霜降の朝であった
 季節は晩秋から初冬へと向かう
 野を彩っていた花は枯れ始め
 たくさんの種を残そうとする

 その行く末を知らないことは
 また巡り来る季節への憧憬か
 夢を夢で終わらせないために
 すくっと前へと歩み始める

 果てしない空の彼方に
 見知らぬ町があるように
 雲を追い駆け風に身を任せる

 どれほどの希望だろうか
 きっと知らないほうがいい




2025年10月22日(水) 恋をしよう

幸い小雨であったが一日中降り続く。

気温は16℃と低目で冷たい雨となった。

11月中旬の気温だそうで一気に晩秋のようになる。


つわぶきの花を楽しみに峠道を上ったが

生憎の雨で項垂れており憐れでならない。

茎の長い花なので雨を凌げなかったのだろう。

けれどもまだ咲いたばかりである。

青空が見え始めるときっと元気になるに違いない。


雨遍路さんも多い朝だった。これも憐れに見えて

雨合羽を着ていないお遍路さんもいて心配でならない。

笠を被ってはいるがどんなにか冷たいことだろう。

延光寺に着くまで一日中歩き続けなければいけないのだ。



仕事は一気に順調となりほっと肩の荷が下りたようだった。

義父は昨夜遅くまで片付けをしていたそうで見違えるように整理されていた。

大型車の難解な修理もしなければならず工場の中に入れてある。

そうして同僚に今日の仕事の指示をすると車検を2台済ませてくれる。

午後は大型車の修理を始めており工場は活気に満ちていた。

どうか順調にとひたすら願うばかりであった。


取引先の部品屋さんが集金に来て全額支払ったが

また一気に預金残高が少なくなり前途が暗くなる。

しかしまだゼロではないので何とかなるだろうと思う事にした。

月末まで綱渡りとなるが決して足を踏み外してはならない。


仕事を終えればリハビリが待っていたが

今日もキャンセルがあったらしく直ぐに順番が来る。

リハビリ中に薄っすらと目を開けてみた。

やはりU君はかなりのイケメンで俳優の誰かに似ている。

その俳優の名を思い出せずそれがもどかしくもあった。

恋をしようと思う。おそらく人生最後の恋だろう。


帰宅して娘に恐る恐る今朝の物音について訊いてみたら

「静かやったねえ」と褒めてくれて何とほっとしたことか。

「うるさかった」と云われたらもう限界にも思える。

この調子で明日からも忍び足で頑張らねばならない。


それにしても肌寒い夜だこと。

一気に寒くなったせいか今夜は血圧が177もあった。

神経質な者だから納得が行かず3回も測ったが変わらない。

けれども特に自覚症状はなく至って元気な夜である。

毎年冬になると死が頭を過るが今年はあっけらかんと過ごしたい。

人間だもの死ぬ時は死ぬ。生かされることだってある。

生きたい願いだって叶うかもしれないのだ。

殺せるものなら殺してみなさい。雨の暗闇に向かい叫んでみた。


※以下今朝の詩

    
      内緒

 ひそひそと雨が降っている
 誰にも知られたくないように
 これは内緒の話である

 例えば山肌に咲く一輪の花
 つわぶきの花は晩秋を知らせ
 旅人のこころを和ませるが
 誰も手折ろうとはしないのだ

 雨に濡れ雨に打たれる
 その姿を見つけたら
 そっと通り過ぎて欲しい

 そんな存在で在りたい
 ひそやかないのちである

 雨はやがて止むだろう
 そうして何事も無かったように
 見上げる空が輝き始める




2025年10月21日(火) 抜き足差し足忍び足

曇り日。山里では少しだけにわか雨が降った。

気温は22℃までしか上がらず一気に秋らしくなる。

朝の山道では山肌からこぼれるように「つわぶきの花」が咲く。

辺りを見回してみたがその一輪だけであった。

きっと真っ先に季節を知らせに来てくれたのだろう。

晩秋の花である。向日葵を小さくしたような花でとても愛らしい。


今朝は娘婿から苦言があり一日中気になってならなかった。

毎朝4時に起きて活動を始めるのだがその物音が耳に付くらしい。

足音だろうか杖の音だろうか咳かもしれないし頭を悩ます。

私には直接云わず夫に告げてから出勤したようだった。

夫には「気をつけろよ」と云われたが気のつけようがない。

とにかく明日の朝から忍び足で動いてみようと思う。

云ってくれなかったらずっと無神経な私だったことだろう。

そう思うと娘婿の苦言も有難く受け止めなければならない。


仕事は順調とは行かず義父に振り回された一日だった。

車検整備が完了した車が2台あったのだが車検をしてくれないのだ。

まだ工場の片付けが終わっておらず今日中に済ませたかったようだ。

幸いお客さんから苦情はなかったがどうにも気になってならない。

田舎の車検場だからと安気に考えることが出来なかった。


2時半になりもう諦めようと義父に声を掛けて帰ろうとしたが

私の苛立ちが伝わっていたのだろう「明日まで待てや」と声がする。

それで義父も気になっていたことが分かり何だかほっとした。


帰り道の県道で団体のお遍路さん達を見かける。

老若男女ざっと数えても30人程だったろうか。

まるで遠足のように行列を作りダム湖の橋を渡っている。

伊予鉄の観光バスも見えていたが乗り込む気配はなかった。

おそらく延光寺までそのまま歩き続けるのだろう。

おしゃべりをしながら歩いているのかとても楽しそうに見えた。

バス遍路も良いものだなと思う。憧れていた時期もあったが

この足ではとても無理だろうと諦めざる得なかった。

そうして夢は夢として遠ざかって行くのだろう。


4時前には帰宅しており茶の間で寝転んでいた。

疲れているようで眠くならないのが不思議である。

テレビは高市首相の話題ばかりであった。

息子のお嫁さんだった人にどこか似ており好感は抱けるが

果たして国政を務められるのかと思うと心細さも感じる。

政治にはあまり関心のない私でもこの国で暮らして行かねばならない。


娘と夕食の支度をしながらそれとなく訊いてみたら

やはり私の足音がうるさく目が覚めてしまうのだそうだ。

5時までは自室でひっそりと詩を書いているが

その後は階下の台所で朝食の準備をしなければならない。

娘達の寝ている部屋は台所の真上なので余計に音が響くのだろう。

娘の提案でスリッパを履かないこと。歩く時は忍び足で歩くこと。

何だか三日坊主になってしまいそうだが明日から実行することになった。


親しき仲にも礼儀在りである。家族だからこそ疎かにしてはならない。

生きているだけで迷惑をかける位なら死んだ方がましだ。


※以下今朝の詩


      声

 おいでおいでこっちだよ
 何処からか呼ぶ声がする

 それは山の向こうのようで
 空の彼方のような気がする

 たなびく雲の声だろうか
 それとも鳥の声だろうか

 行かなくちゃとおもう
 きっと誰かが待っている

 羽根を失くしたのは遠い日
 若さゆえの過ちであった
 傷口はもう癒えたようで
 時々思い出したように疼く

 もう飛べやしないだろう
 けれども飛びたいとおもう

 おいでおいでこっちだよ

 声ならば信じよう
 声ならばきっと待っていてくれる



2025年10月20日(月) そこそこの一日

曇り日。雨が降りそうで降らず一日が暮れた。

気温は25℃程で夏日ではあったが随分と涼しく感じる。

明日から次第に気温が下がり始めやっと秋めいて来そうだ。

北海道北部では初雪が降ったらしくもう真冬と云っても良いだろう。

つかの間の秋であった。これから過酷な冬の暮らしが始まる。


仕事は今日も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうだった。

明日はまた大型車が入庫するため義父は工場の片付けに精を出す。

なにしろ何屋さんかと思うほどお米でいっぱいなのだった。

予約販売はほぼ終わったがまだ最後の出荷をするのだそうだ。

昨日は一日中田んぼを耕していたらしく気が済んだのだろう。

今日は機嫌も良く工場の仕事の段取りもしてくれた。


事務仕事は午前中で片付き午後はのらりくらりと過ごす。

SNSのX社から英語のメールが届いており詳しい内容が分からない。

AIの響君に翻訳して貰ったら会費の請求らしかった。

けれども添付ファイルが付いており詐欺メールの可能性もあるとのこと。

とにかく慎重に対処せねばならずファイルは決して開いてはならない。

響君のアドバイスでカード会社に確認を取ったら

確かに今日付けでX社から請求が来ていることが分かる。

その時点で詐欺ではないことが分かったが何だか気味が悪かった。

いくらアメリカの会社でも日本語で送信出来なかったのかと思う。

響君のアドバイスがなければパニックになっているところだった。

何と詳しく調べてくれて親切なアドバイスには感謝しかない。


一件落着したところでまた無性にアイスが食べたくなり

山里のお店に走ったらアイスの売り場でお遍路さんと一緒になった。

咄嗟に「私に買わせて下さい」と声が出てしまう。

ささやかなお接待のつもりであったがお遍路さんが喜んでくれて

とても清々しい気持ちになった。これも一期一会であろう。

お遍路さんは延光寺に向かっており夕方までには着きそうであった。

「何処からおい出たのですか?」と訊くと

昨夜泊まった民宿の名を云い少し拍子抜けがしたが

あれこれと訊くのも失礼に思いそのまま手を振って別れた。

その笑顔が今も目に浮かび旅の無事を祈らずにいられない。


2時半に退社。丁度6時間の定時であった。

義父に来客が来ており「もう帰るのか」と云われたが笑い飛ばす。

もう今日のノルマはなかった。さっさと家に帰りたい。

少しでも横になりたくてたまらなかった。


夕飯は「寄せ鍋」にしたが汗が噴き出る。

扇風機を回しながらはふはふと食べた。

夫が「これは明日の晩までありそうなぞ」とぼやくのも愉快である。

明日の朝にはおうどんを入れて食べるのが楽しみであった。


雨は降らないまま夜が更けようとしている。

窓を開け放せば心地よい夜風が吹き込んで来ていた。

「そこそこ」の一日だったのだろう。

私はそこそこに満たされている。


※以下今朝の詩

    
      出発

 千切れんばかりに手を振っていた
 その姿が小さくなり見えなくなる

 確かに別れの夢であったが
 少しも哀しくはなかった
 何と清々しい別れだろう

 車窓から真っ青な海が見え
 陽射しを浴びて輝いている
 その真っ只中にきみがいた

 二十五年の歳月が遠くなる
 きみは掛け替えのない記憶となり
 私の人生に栞を挟んだのだろう

 何ひとつ失ってなどいない
 きみの声もきみの笑顔も
 あれは最後ではなかったのだ

 秋が深まっていく
 やがて木枯らしの季節がやって来る
 そうして待ち侘びる春があった

 きみの未来に幸多かれと祈る
 別れこそが出発なのに違いない










2025年10月19日(日) 秋の花火

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。

秋を招く雨かも知れないが日中は今日も蒸し暑かった。

サニーマートに買い物に行くと秋の装いの人が多く驚く。

長袖の人、重ね着をしている人、カーディガンを羽織っている人もいる。

外気は28℃の夏日であるのに暑くはないのだろうかと不思議でならない。

店内は冷房が効いていたが決して肌寒くはなかった。

10月は衣替えの季節だがもう夏服を仕舞ってしまったのだろうか。

臨機応変にと思うが暑さを感じるのも人それぞれなのだろう。

私は人一倍暑がりなのでまだまだ夏の装いで胸を張っている。


ゆっくりのんびりの日曜日であった。

今朝は夫が掃除機を掛けてくれて大助かりである。

床の拭き掃除もままならない。あちこちに埃が見えていた。

そうして殺風景な庭先。花苗は今日も買いに行かない。

そのうち娘が整えてくれるだろうと思うが

彼女も日曜日は一気に疲れが出ているようだった。


午後は図書館にも行かずごろごろと寝てばかりである。

道に迷った嫌な夢を見てしまい夢の中で焦りまくった。

それも車ではなく自転車に乗っておりしんどくてならない。

国道かと思いきや山道も走っており人影も見当たらないのである。

夫に電話をして迎えに来て貰おうとしたが携帯電話を持っていなかった。


3時間程寝ただろうか、目覚めたらぐったりと疲労感に襲われる。

自室で冷たいコーヒを飲んだり煙草を吸ったりしたがすっきりしない。

無性にアイスが食べたくなり近所のローソンへ走った。

迷わず「チョコもなかジャンボ」を買い求め直ぐに食べたのは云うまでもない。

なんと美味しいことだろう。頭も身体もすっきりと元気になった。


娘達が夕食不要とのことで輸入肉のステーキを一枚焼く。

夫は魚よりも肉を食べたがり大喜びであった。

私は魚が好きなので秋刀魚が良かったのだが今夜は我慢する。

夫の美味しい顔が見られて何よりも幸せだと思った。


娘達も牛肉を買って来ており今夜は焼き肉のようだったが

食卓にはあやちゃんの姿もめいちゃんの姿も見えない。

要らぬ口を叩いてはならず娘には何も云えなかったが

そんな夕食が当たり前になっていることが哀しかった。

核家族には違いなかったが何とも受け入れ難い現実である。


雨は止んでおり何処からか打ち上げ花火の音が鳴り響いていた。

何の情報もなかったが秋祭りかもしれないと思う。

音だけで花火は見えないが秋の花火も風情があるものだ。

何となくしんみりとするのは秋の夜のせいかもしれない。


随分と生きて来たように思うが後どれ位だろうといつも思う。

思い残すことはないが命が尽きることが怖くてならない。


※以下今朝の詩

      いのち
   
 最後ではないかといつも思う
 心細さは何処から来るのだろう

 あれは春の日はらはらと散った
 風に舞い吹雪のような花びらのこと

 夏には緑に随分と助けられた
 強い陽射しに照らされながら
 影になれば生きていられたのだ

 秋はもの哀しい季節であった
 今度は葉がはらはらと散る
 もうどうしようもないと思う

 やがて木枯らしが吹き始め
 何も纏うものがなくなったが
 骨のような枝を守り続けた

 生きてさえいればと思う
 季節は何度でも巡って来る

 心細さを打ち消すように
 今はただ風に吹かれている





2025年10月18日(土) 鈴なりの柿の実

晴れのち曇り。気温は28℃程だったが蒸し暑さを感じる。

明日は雨の予報だが少しずつ気温が低くなりそうだった。

北海道には雪が近づいているらしい。

同じ日本でも北と南とでは随分と違うものだ。


夏の名残を感じながら柿の実が色づき鈴なりになっている。

今年は何処の柿も沢山なっており秋らしい風景である。

職場の敷地内に義祖母が暮らしていた家があり

柿の木が二本あるがそれもたわわに実っている。

いつの秋だったかハクビシンに食い荒らされて

義祖母が「柿どろぼうがいる」と大騒ぎしたことも懐かしい。

義父は柿を好んで食べるが友人は大好物だそうでまた欲しがっているようだ。

友人を喜ばせようと柿の木に登る義父は少年のように見える。



カーブスどころではなくなり今日は仕事だった。

朝一番に昨日手配していた部品が入り車検整備がやっと終わる。

直ぐに車検をと思ったが義父は籾摺り機の掃除に精を出していた。

それは念入りでエアーを吹き付けて隅々まで綺麗にする。

今年のお米を一粒でも残す訳にはいかないのだ。

そうして丁寧に手入れをしておけば来年の為になるだろう。


お昼にやっと車検である。私はすっかり待ちくたびれていた。

書類を書き終えたら今日の仕事はもうなかったが

午後から義父が親戚の法事に行かねばならず送り出すまではと思う。

例の険悪な故人であったが残された親族には何の罪も在りはしない。

遠い親戚であってもしっかりと義理を果たす義父であった。


義父を無事に送り出し2時に退社する。

こんなに早く帰れるのは滅多にないことであった。

サニーマートに寄ればもの凄く混雑しており驚く。

車は何とか停めることが出来たが人に酔いそうであった。

夫が「すき焼きを食べたい」と云っていたので食材を買い求める。

牛肉も奮発して2パック買った。


3時には帰宅しており「えらい早いな」と夫が驚いていた。

娘は休みだったが今日は参観日で学校へ行っているようである。

洗濯物を畳まねばならず寝転ぶのは後回しにした。

畳み終えるとばたんきゅうである。30分程眠り込んでいたようだ。


今日はお舅さんの43年目の命日であったが

起き上がることが出来ずお線香も上げに行けなかった。

夫が「俺が代表する」と云ってくれて義妹宅に行ってくれる。

43年とは大昔にも思えるが記憶はとても鮮やかであった。

57歳の短い生涯であったが思い残すことも多かったことだろう。

みんなみんな幸せに暮らしていることを伝えたくてならない。


私にもやがて命日が出来るが春だろうか秋だろうかと思う。

命日だからと云って娘や息子や孫達に負担を掛けたくはなかった。

死んでしまえばそれでお終いだと思って欲しい。

幸せな人生であった。もう思い残すことなど在りはしないのだ。


※以下今朝の詩


     旅

 さあ何処に行こう
 わくわくと楽しみでならない

 行き当たりばったりの旅である
 目的など何ひとつありはしない

 車窓から見える風景は
 すっかり秋のようであった
 苅田には子雀が飛び交い
 芒の若い穂が風に揺れている
 セイタカアワダチソウの黄色

 切符を握りしめていた
 それは何処の駅なのだろう
 知らない町の名が記されている

 海だろうか山だろうか
 夢だろうか現だろうか

 行ってみないと分からない
 旅は始まったばかりである






2025年10月17日(金) 山あり谷あり

爽やかな秋晴れに思えたが今日も真夏日となる。

しかしそよ吹く風は心地よく夏の名残を和らげてくれた。


あちらこちらで秋桜が満開となり写真を撮りたくてならない。

特に山里の民家の畑の傍には真っ白い秋桜が咲いており心を奪われる。

それは一輪ではなくまるでブーケのように見えるのだった。

今朝こそはと思ったが県道沿いのことで車を停めることが出来なかった。

数年前の私ならどんな場所であっても駆け出して行ったことだろう。

情熱のようなものはあるが実行力が随分と廃れたように思う。

ただそんな秋桜に毎朝会えることだけが救いであった。



職場に着けば義父がそわそわと落ち着かない。

週末は雨のようで今日は田んぼを耕しに行きたかったようだ。

しかし工場の仕事が忙しくそれどころではなかったのだ。

「もう限界ぞ、どっちかを止めんと何ともならん」と声を荒げる。

82歳の高齢となり二足の草鞋にも余程の無理があるのだろう。

「じゃあ工場を止めるかね」と私が云うと一瞬どきっとしたようだ。

そうかと思うと「仕事をする」と云い出し工具を手にしている。

そうなればもう要らぬ口は叩いてはならず義父の意思に任せるしかない。

厄介な修理を午前中に終わらせお昼には宿毛市まで納車に行ってくれた。

義父でなければ出来ない仕事がある事を自覚してこその事だった。

田んぼは待ってくれるがお客さんは待ってはくれない。

何を優先するべきか義父も真剣に考えた結果だろうと思う。


同僚は車検整備をほぼ終わらせていたがお客さんからの要望があり

それを完璧に果たすまでは完了とは云えなかった。

故障個所が「分からない」と云うのだった。

分からないものをいつまでも眺めていても埒が明かない。

義父にそれを伝えると直ぐに助け舟を出してくれた。

しかし部品が明日にならないと入らず今日の完了は無理となる。

車検となれば私も休むわけには行かず明日は出勤することになった。


3時に退社。大型車を預けていたディーラーに行かねばならず

義父を伴い市内へと走った。義父の機嫌はすこぶる良く会話が弾む。

もうすっかり田んぼの事は忘れているようだった。

工場の仕事も同僚一人で整う日もきっと来るだろう。

どうか焦らずに気長に待って欲しいと願うばかりであった。


帰宅して母に「明日も仕事やけんね」と手を合わせる。

遺影は満面の笑顔であったが母も疲れていることだろう。

今日もはらはらしながら見守ってくれたのだと思う。

毎日が順調とは限らない。山あり谷ありの日々であった。


※以下今朝の詩


    谷

 山あれば谷あり
 今は谷ではあるまいか

 清らかな谷川の流れ
 蹲って水に触れると
 はっとするほど冷たい

 ちいさな魚が群れている
 何と心地良さそうなこと
 苔を食べて生きている
 その緑が生きる糧であった

 さらさらと音がする
 水も生きているのに違いない
 岩肌を潜り抜け野に辿り着く

 たとえ谷底であっても
 光はきっと届くだろう
 木漏れ日は優しく降り注ぐ

 名も知らぬ花も咲く
 決して手折ってはならない
 その命の何と尊いことだろう

 見上げれば高い山が見える
 爽やかな風が吹き抜けて
 空がいっそう近くなるのだった










2025年10月16日(木) 秋の日は釣瓶落とし

曇りのち晴れて今日も30℃を超える真夏日となる。

10月も半分を過ぎたと云うのに異常な暑さであった。

人一倍汗っかきの私は朝からもう汗をかいている。

衣類は半袖のままで秋服の出番を待つばかりである。


今朝は山道で4人のお遍路さんを見かけその内二人は外国人だった。

60歳位だろうかご夫婦のように見える。

丁度道が狭くなっており窓から声を掛けることが出来た。

「グッドモーニング」を笑顔で交わし合い嬉しくてならない。

「お気をつけて」と日本語で告げると「アリガトー」と手を挙げてくれた。

何と清々しい朝だろう。これもささやかなご縁なのだと思う。

声を掛けるタイミングは結構難しく勇気も必要であった。

また全ての外国人が英語を話すとも限らない。

何も伝わらなかったらどんなに寂しいことだろうか。



職場に着くと義父の姿があり今日も忙しくなりそうだった。

車検のお客さんが来店すると義父が応対してくれとても助かる。

あれこれと不具合があるようでお客さんも安心した様子であった。

女の私が聞いたところで説明も出来なかっただろう。

同僚は例の大型車に苦戦しており一向に整備が終わりそうにない。

おまけに持病の腰痛が悪化したらしく昨夜も眠れなかったそうだ。

ゆっくりと休ませてやりたかったがこの忙しさである。

無理を強いてしまって何とも可哀想でならなかった。


午後はお米の色選が出来上がったと知らせがあり義父が引き取りに行く。

ほぼ予約販売となり待ち兼ねているお客さんも多い。

遅植えの稲は早稲よりずっと美味しいのだそうだ。

そうこうしているうちにやっと大型車の車検整備が終わる。

同僚は痛む腰をかがめながら次の車検整備に取り掛かっていた。

3時に義父が帰って来て平田町のコンビニでアイスを買って来てくれる。

お弁当も買って来ており遅い昼食となった。

私は義父の傍らでバニラアイスを食べた。何と美味しいことだろう。

義父の昼食が終わると大型車の車検である。

義父は上機嫌でテキパキと頑張ってくれて大助かりであった。

車検完了の書類を書き終えるともう4時前である。

娘に電話して買い物を頼もうかと思ったがそれも可哀想に思う。

仕事が忙しくこのところずっと残業が続いているのだった。


5時までには帰り着くだろうと時速90キロで走る。

今日は眠気もなくひたすらの帰り道であった。

何とか買い物を済ませ帰宅したら丁度5時である。

寝転ぶ時間など無かったが達成感で満たされていた。

仕事は忙しいほど嬉しい。いくらでも仕事をしたいと思う。


夕食後はつかの間自室で寛いでいたが秋の日は釣瓶落としである。

何だか大急ぎで夜の訪れを感じる。辺りは直ぐに真っ暗になった。

曇っているのだろうか一番星は見つけられなかったが

雲の上ではきっと輝いていることだろう。


母の遺影に手を合わせ「お疲れさん」と声を掛けた。

朝になれば「今日も頑張ろうね」と声を掛ける。

母は死んではいなかった。毎日私と一緒に仕事に励んでいるのであった。


※以下今朝の詩


      波


 強くなったり弱くなったり
 まるで押し寄せる波のようである

 裸足になって波打ち際を駆けた
 あれはいつのことだったのだろう
 ずいぶんと昔のことのように思う

 若さは輝いているようで
 残酷な記憶にもなり得る

 傷ついたと思った時には
 傷つけていることを忘れてはならない

 長い髪を惜しみなく切った
 その艶やかな黒髪が愛しい

 生きていても良いのだろうか
 断ち切ることも出来ただろう
 波音に訊ねても応えはしない

 秋の海であるその青さが眩しい
 陽射しに揉まれるように波が
 強くなったり弱くなったりする

 生きて未来を見届けようと思う
 どのような人生になるのだろうか




2025年10月15日(水) ネットの海

曇りの予報だったが陽射しは十分にあった。

夕方からぽつぽつと雨が降り始め今は本降りになっている。

遠雷も聴こえており明日の朝にかけて強い雨となりそうである。


今朝は良心市で「里芋」「大根の間引き菜」「新生姜」を買った。

どれも一袋百円で何と安く助かることだろう。

いつものように料金箱は置いておらずマグカップにお金を入れる。

これこそが山奥の良心市であった。

良心市の屋根の下には腰掛けも置いて在りそろそろみかんも並ぶ頃。

「お遍路さん食べて下さいね」と毎年貼り紙が見られる。

3軒ほどの集落だがどの家の人だろうといつも思う。

きっと穏やかな心優しい人なのに違いない。



職場に着くと義父がもう籾摺りを始めていた。

昼までには袋詰めを終わらせ「色選」に持って行くのだそうだ。

色選の機械は持っておらず平田町の農家に委託している。

精米したお米は真っ白でなければならず

変色して黒くなっているお米を選別するのである。

予定通りにお昼には全てのお米を運び込みほっと安堵であった。


今日はちゃんと昼食も食べてくれて午後から一般修理に取り掛かる。

義父でなければ出来ない修理だったので大助かりであった。

同僚は大型車に手こずっており車検は明日になりそうである。

そうそう順調に行かないのは今に始まったことではなく

同僚のペースに任せるしかないだろう。


整形外科のリハビリと診察日だったので3時前に退社したが

高速運転中に睡魔に襲われやっとの思いで病院に着く。

U君に話したら仕事の疲れではないかと気に掛けてくれた。

リハビリ中はやはり目を開けられない。

胸がドキドキしておりまともに顔を見たら気絶しそうだった。

これはやはり恋なのに違いないと思う。


骨密度の検査の後やっと診察であったが時計が気になってならない。

薬局へ行けばもう5時近くになっていた。

夕飯の買い物は娘に頼んであったが少しでも早く帰りたかった。

何だかとても長い一日だったように思う。


やっと家に帰り着くと外までいい匂いが漂っていた。

何と娘が鶏の唐揚げを揚げてくれていて「夢に餅」の気分である。

他にも「巾着玉子」と「鰹のタタキ」もあり驚く。

3千円の食費しか渡していなかったのによく買えたものだと思う。

夫が「さすがやな」と娘を褒めるのが微笑ましくてならなかった。


食後は15分程自室で休み煙草を3本も吸う。

今日はネットで不思議な「モノ」を見つけ再度確認してみた。

とある投稿サイトであったが私の名で短歌が投稿してあったのだ。

まったく身に覚えはなく狐につままれたような気分である。

誰かが私の名を語って投稿したとしか思えないがいったい誰だろう。

普通なら憤慨するところだが私は大いに感動したのだった。

そこに並んだ短歌の何と素晴らしいことだろう。

とても私には詠めそうにない感性に満ち溢れていた。

こんな歌が詠めたらどんなにか満たされることだろうと思う。

もしかしたら同姓同名だったのかもしれないが

もしそうならその人を探し求めたいものである。


ネットの海を漂い続けていると思いがけない事もあるものだ。

それは決して嬉しい事ばかりではないけれど

鯛にはなれない雑魚の私にとってそんな海こそが生きる場所に思える。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     耳垢

 それは大きな耳垢だった
 確か左の耳である
 母の膝枕をしている時
 温かなお腹に触れたのだ

 私は5歳位ではなかったか
 幼い頃の記憶は曖昧であるが
 何故かそれだけは憶えている

 「おとうさんにみせんといかん」

 鼻紙にそれを包むと
 まるで宝物のように握りしめていた

 たかが耳垢であったが
 それは私の一部であったのだろう
 子供心に失くしてはならないと思う

 父の帰りを待っていた
 窓から夕陽が見えている
 みかん色の空が嬉しくてならない

 季節は夏の終りではなかったか
 夕風が心地よく吹き抜けていた














2025年10月14日(火) 秋の夜長

すっかり日が暮れたが気温はまだ28℃もある。

日中も10月とは思えない暑さであった。

週間予報では来週辺りから気温が下がり始めるそうだ。

いよいよ本格的な秋の到来となることだろう。


朝の国道で6人のお遍路さんを見かけそれぞれに会釈をして追い抜く。

おそらく足摺岬の金剛福寺に向かっているのだろう。

一日ではとても無理に思える距離であった。

大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうだったが

民宿に泊まるにもそれが毎晩となれば大きな出費となる。

余程経済的に余裕がないと無理な話であった。


国道から山道に入ると道端の芒が朝陽を浴びて輝いている。

その傍らにはセイタカアワダチソウの黄色が鮮やかであった。

ポツンと一軒家はなく小さな集落が所々にあるのだが

民家の庭先には秋桜が咲き紅い鶏頭の花が燃えているように咲いている。

良心市には里芋が沢山並んでおり見ただけでほっこりと心が和む。

今日は買わずに通り過ぎたが明日は買ってみようかと思う。



職場に着くと義父の姿が見えなかったが隣町の宿毛市まで

車検の車を引き取りに行ってくれていたようだ。

9時前には帰り着き早速に同僚が整備を始める。

漁業組合の保冷車なので同僚があまり好まない大型車であった。

一般修理も2台入庫しており今週も忙しくなりそうである。


義父は稲刈りが完全に終ったようでほっと寛いでいた。

午前中にコンバインも丁寧に洗い終える。

それから籾摺りと袋詰めに取り掛かり昼食も食べようとしない。

そのまま2時になり「腹が減った」とやっと食べたくなったようだ。

今朝ご飯を炊き忘れたと云うので急いでお弁当を買いに走る。

よほど空腹だったのだろうガツガツと掻き込むように食べていた。

疲れもあるだろうが何とも朗らかで上機嫌である。


義父と同僚の様子を見ながら3時前に退社した。

最近運転中によくアクセルとブレーキの感覚が分からなくなる。

息子にも注意されたが運転に集中し慎重を怠ってはならない。

特に駐車する時は決して踏み間違えてはいけないのだ。

最近の高齢者の事故は殆どそれが原因であった。


買い物を済ませ無事に家に帰り着くととてもほっとする。

夫はエンジン音で私の帰宅が直ぐに分かるようで

外に出て来て買い物の重い荷物を運んでくれるのが日課であった。

何と助かることだろう。「ありがとね」と伝える事を決して忘れない。


夕飯は娘とあれこれ作ったが今日は娘婿の帰りが遅かった。

そのせいかめいちゃんの姿も見えずあやちゃんは当然の如しである。

今に始まった事ではないと思うがやはり寂しいものであった。

今更家族の真似事をしようとも思ってはいない。

ただささやかな家族のふれあいを求めてしまう時がある。

たとえば「晩ご飯は何?」そんな一言であった。


秋の夜長だろうか。何だか真っ暗な空が切なくてならない。

窓からは星も見えずいっそう寂しくなるのだった。


※以下今朝の詩


     行列

 ざわざわと騒がしい
 この行列は何だろう

 人々が押し寄せて来る
 足を踏む音が響き渡り
 溢れんばかりの息である

 遠ざかることが出来ない
 やがて呑み込まれてしまう
 混乱の末に潰されるだろう

 はらはらと散るのは夏の名残
 まるで死骸のように積もる
 そうして秋をまとった風が
 道を吹き抜けていくのを見た

 行列は何処までも続き
 最後尾の面影は遠く霞む

 見届けなくてはならない

 季節が移り変わろうとしている
 その真っ只中の出来事であった






2025年10月13日(月) 心を動かす

秋晴れには違いなかったが真夏日となり厳しい残暑となった。

県内でも10月の観測史上で初の気温となった処もあるようだ。

異常気象にも思えるがやがてはこれが当たり前になるのだろう。

日本の四季から秋が消えてしまうのかもしれない。


気になっていた台風23号はやはり八丈島を襲ったが

今日はまったく報道がなく東京都なのにと思う。

これがもし都心だったら大騒ぎになっていたことだろう。

SNSで知ったのだが東京電力が復旧作業に力を尽くしているとのこと。

水道の様子は分からないが一刻も早い復旧を祈るばかりである。




月曜日なのにする仕事がない。何とも気が参る休日であった。

余程の貧乏性なのか仕事人間なのか連休はもううんざりに思う。

お天気が良いので何処かに出掛けたかったがまたもや夫に却下された。

娘夫婦が仕事だったので孫達を心配したのだろう。

めいちゃんは昨夜からまあちゃんの家に泊まりに行っていた。

いつ帰って来るやら分からず留守にする訳にはいかない。


昼食後はまた茶の間でごろごろと寝転ぶ。

録画してあった「ポツンと一軒家」を最後まで見た。

いつも思うのだが本当に突然に訪ねて行くのだろうか。

それにしては昼食の用意など準備万端に思える。


その後一時間程眠り込んでいた。もう寝るのにも飽きていたようだ。

自室に行けば室温が32℃もあり信じられないような暑さである。

扇風機で我慢していたが長くは居られずまた茶の間へ戻る。

「ミヤネ屋」を見ていたが興味がない万博の話題ばかりであった。


ふと閃いたのは休日には図書館で過ごすのはどうだろうと思う。

一日中は無理だが午後だけでも行けばきっと充実するのではないか。

何よりも図書館で過ごせば煙草を吸わなくても済む。

これは良い考えだと思った。しかし問題は実行力である。

思うだけで実行に移さないのが私の悪い癖であった。

とにかく時間を有意義に過ごさねばならない。

ごろごろと寝てばかりで死んでしまうのも情けないことである。

最終的には気の向くままであるが「変わる」努力も必要ではないだろうか。


夕食後はお風呂だったがアマゾンに注文してあった入浴剤が届いていた。

「日本の名湯シリーズ」で12種類もあり楽しみでならない。

今日は十和田湖の温泉だったがゆったりと湯船に浸かり何とも幸せである。

短い秋が終り寒い冬が来ればより一層幸せになることだろう。


楽しみは自分で見つける。きっと身近な処にあるのに違いない。

その為には心を動かさねばならない。心が息をするかのように。

その息が続く限り命を全う出来るのではないだろうか。


※以下今朝の詩


      丘

 なだらかな丘の途中である
 もう少しあと少しなのだろう

 芒の穂がしなやかに風に揺れ
 薄紫の野菊が陽射しを浴びる

 兎はくるくると紅い瞳で見ていた
 父も母も居ない独りぼっちである

 けれども少しも寂しくはない
 見上げればいつだって空があり
 その青さは鏡のように姿を映す

 だから泣いてはいけないと思う

 やがては息絶える日が来るが
 不安や怖れは風がさらって行く
 息をすればするほど命が輝くのだった

 もう少しあと少しである

 丘を越えれば何が待っているのだろう
 きっときっと満たされるのに違いない



2025年10月12日(日) 普通とは何だろう

曇りのち晴れ。気温は真夏日となり蒸し暑さを感じる。

週間天気予報を見ているとまだまだ暑さが続くようだった。

おそらくその後一気に寒さがやって来るのだろう。


気掛かりな台風23号はやはり八丈島直撃となりそうである。

今日は「パニック状態」と報道があり避けられない恐怖を感じた。

断水はまだ回復しておらず停電も続いているとのこと。

その上にまたもやの台風となれば何とも気の毒でならない。

決して他人事ではない。明日は我が身だと思うばかりである。



平穏を有難く受け止めのんびりと元気に過ごす。

何処かに出掛けたくなり夫に申し出たが即却下であった。

せめてお昼は外食をと願ったがそれも却下となった。

余程外出が億劫なのだろう。どうして無理強いが出来ようか。


朝のうちに買い物に行きお好み焼きの材料を買って来る。

巨大なお好み焼きを焼きはふはふと食べた。

夫はビールを飲み上機嫌である。

お腹がはち切れそうに満腹となり午後はひたすら寝て過ごす。

夫が高知が舞台のドラマを録画してくれていたのだが

30分も見ないうちに眠り込んでしまっていた。

目覚めれば3時を過ぎておりもうどうしようもない。


その後は一時間程自室で過ごしたが相変わらずの煙草であった。

立て続けに5本も吸っていまい我ながらうんざりである。

寝ている間は休煙が出来ていても元も子もない有り様であった。

自分が情けなくてならないが「これは病気だ」と思うしかない。


夕飯は「豚汁」だったがまだ少し早過ぎたようだった。

室温が30℃もありエアコン無しでは暑くて食べられない。

ふと寒い冬が恋しく思う。「おでん」や「お鍋」の季節である。


夕方めいちゃんをチラッと見かけたがそれっきりであった。

夕食時にも姿を見せず娘がトレーに並べ二階へと運ぶ。

あやちゃんは声も聴こえず昨夜から姿を見せない。

娘が「ご飯よ」と声を掛けていたが返事も聴こえなかった。


何とも侘しいものだがこれが今の「我が家」である。

普通ではないのかもしれないが「普通」だと思いたい。

いったいこれ以上の何を望めば良いのか見当も着かなくなった。


この日記を書き終えると孫達に声を掛けて眠るのが日課だが

「おやすみい」と声が返って来るとほっと嬉しくてならない。


※以下今朝の詩

  
     箱

 ぐるぐるとしていて
 何も書けそうにない

 いったい私は何処に
 居るのだろうと思う

 なんだか小さな箱に
 閉じ籠っているよう

 箱には壁もあり
 蓋もあるのだが
 叩くことも
 覗くこともなかった

 そもそも書くと云う行為は
 ささやかな同意であり
 己を認識することではないか

 名の無い草であるならば
 いったい何と呼べばいいのか

 もがけば傾く箱であった
 そうしてひっくり返れば
 蓋が開くのかもしれない



2025年10月11日(土) 十年一昔

日中は小雨だったが日が暮れてから本降りの雨になった。

気温はそう高くないがまるで梅雨時のような蒸し暑さである。

気になる台風23号は太平洋上を北上しており

やはり前回と同じく伊豆諸島に接近しそうである。

八丈島では大きな被害があったがまたもやの災難であった。

停電や断水は復旧していたのだろうか。報道は極めて少ない。


今朝は朝ドラ「チョっちゃん」が最終回だった。

黒柳徹子の母親が主人公であったが

逆境にも負けず強く前向きに歩む姿が印象的なドラマであった。

終わってしまうと何だか寂しさが込み上げて来る。


仕事は三連休の予定だったが気なってならず同僚に電話すると

昨日延期になった車検は入庫していないとのこと。

義父は朝から乗用車で出掛けたらしく行方も分からないらしい。

特に急ぎの仕事もないようなので予定通りに休ませてもらった。


カーブスまでの時間潰しに10年前の10月の日記を読む。

十年一昔とはよく云ったもので正に「昔」のことである。

3歳の幼いあやちゃん、歩き始めたばかりの1歳のめいちゃん。

私達夫婦は孫三昧をしており懐かしい光景を一気に思い出す。

その当時には家族団欒もあり夕食も賑やかだったようだ。

孫達の成長は当然の事だが「家族」は何処に消えたのだろうと思う。

あまりにも今とは掛け離れており読みながら複雑な気持ちになった。

もう昔の事なのだ。過ぎ去った事なのに違いない。

それを「寂しさ」と呼ぶには何とも切なくてならなかった。


気を取り直してカーブスへ行けば顔なじみのお仲間さんが多い。

今日は唯一の友人だと思っている「ともちゃん」とも会えて嬉しかった。

最愛のご主人を亡くして2年が過ぎたが随分と明るくなったように思う。


昼食にラーメンとお赤飯を食べた。

栗の入っているお赤飯が無性に食べたかったのだ。

一昨日の事だが娘婿が誰かに貰ったらしく栗を沢山持ち帰っていた。

てっきり娘が茹でるだろうと思っていたのだが翌朝にはそれが消えている。

夫も不思議に思ったらしく「あの栗はどうしたがやろう」と呟いていた。

娘に訊けば分かる事だが敢えてそれをしなかった。

ただ私達には食べさせるつもりのない栗だったことは分かる。

何と寂しい事だろうと思うが「たかが栗」だと忘れることにした。

10年前とは確かに違う家族の成りの果てでもある。


こんがらがってしまった糸のような暮しであった。

繋がっているようでぷっつりと切れている。

その糸を手繰り寄せてはならない。それが我が家の掟となった。


娘は口癖のように「いつまでもここには居ない」と云っていたが

私達夫婦はもうとっくに覚悟しておりその日を待っている。

二十年となれば二昔である。すっかり老いてしまった二人の姿が目に浮かぶ。



※以下今朝の詩


    母の夢


 深いようでいて浅いのだ
 眠りの淵を彷徨っていると
 死んだはずの母に会える

 それは笑顔とは限らず
 時には睨みつけて
 争いを始めるのだが
 その憎らしさが愉快だった

 死んでなどいなかったのだ
 こんなにも生きている

 面影は波に揉まれるように
 押し寄せてきたり
 遠ざかったりするが
 砂に足跡を残しながら
 カタチとして記憶になる

 伝えることは何もない
 ただ母としてそこに在る

 黄泉の国はそう遠くはない




2025年10月10日(金) 初めてのおつかい

爽やかな晴天。気温は30℃に届かず過ごし易い一日だった。

すっかり枯れ始めた彼岸花の何と憐れなことだろう。

白い彼岸花は特に幽霊のように見える。

紫陽花と同じで潔く散れない定めであり受け止めるしかない。

そうして深まって行く秋であるが夏の名残がまだ漂っている。

八日目の蝉ではないかと思う法師蝉のか細い声が茜色の空に響く。


山里では義父が稲刈りの準備をしていた。

週末は雨になりそうなので今日一日でと決めたのだろう。

運搬車にコンバインを積むと勇ましく出掛けて行く。

今度こそ最後の稲刈りに思うが詳しくは訊けなかった。

いったいどれ程の稲を植えているのか見当も着かない。

田んぼは「丁」や「反」で表すので余計に分からないのだった。


工場は今日の車検予約が延期となり同僚が暇になる。

義父にとっては好都合で同僚が籾を運ぶことになった。

直ぐ近くの田んぼだったが何と気忙しいことだろう。

午後にはバッテリー上りのお客さんから電話があり

一か八かで私が添え掛けに行くことになった。

今は昔のようにブースターケーブルを使うことはなく

コンパクトな充電機を用いるのだが私はもちろん初めてのことである。

丁度同僚が籾を下ろしに帰って来ていたので使い方を教えてもらう。

思ったよりも簡単で何とか出来そうであった。

5分程車を走らせお客さんのお宅に着くと

こんな私でも頼りにしてくれて大喜びである。

ボンネットを開けてバッテリーに充電機のコードを着けると

直ぐにエンジンが掛かり私も嬉しくてならない。

何事もやれば出来ると大きな自信に繋がった。

出張料金は千円であるが他の修理代と一緒に払うとのこと。

おそらく年末になるだろうと少しがっかりした。

田舎あるあるでそんなお客さんも多いのである。


3時には稲刈りが終了。義父が帰り着くのを見届け帰路に就いた。

無性にアイスが食べたくなり山里のお店で買い求め食べながら帰る。

ラジオは「ぶちぬきフライデー」で高知放送の番組であった。

お昼にメッセージを送信していたので気になってならない。

しかし一向に読まれずおそらくボツになったのだろう。

諦めずに来週も送ってみようと思う。金曜日の楽しみであった。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅。

今日はめいちゃんが「陸上競技会」に参加していたので

結果が知りたくてならなかったが余程疲れたのか眠り込んでいた。

娘に訊いても「知らない」と何とそっけないことだろう。

入賞はなかったのかもしれず訊かない方が良いのだろうと思う。


あやちゃんは両親と一緒に笑顔で夕食を食べていた。

何と嬉しそうな顔だろう。見ただけでほっとせずにはいられない。


明日は車検の予約が入っておらず三連休が出来ることになった。

実はあまり嬉しなく家でごろごろするのが嫌でたまらない。

カーブスには行くつもりだが後は煙草と昼寝である。

そんな自分をどうして好きになれようか。もううんざりであった。


好きなように過ごせばそれが一番なのだろう。

のんびりと元気にと思うが精気が失われるように思う。

自分を持て余すとはきっとそう云うことなのだろう。


風が吹けば揺れる。雨が降れば濡れる。

それが当たり前のことだとどうして云えるだろうか。


※以下今朝の詩


    一歩

 草むらを歩いている
 露が少し冷たくなった

 セイタカアワダチソウは
 三角の黄色い帽子がよく似合う
 たくさんの仲間がいて
 まるで遠足の風景である

 私は颯爽とは歩けない
 左足が不自由なので
 杖に頼らねばならない

 兎だった頃には野を駆けたが
 何だか遠い昔のことにおもう
 もう仲間もいなくなってしまい
 独りぼっちの秋の日であった

 ゆっくりと一歩ずつ進む
 草を掻き分けながら歩く

 いったい何処に辿り着くのか
 明日がきっと未来なのだろう



2025年10月09日(木) そこそこに

爽やかな秋晴れとは行かず今日も真夏の暑さとなる。

ただ風があり過ごし易く秋には違いなかった。


台風22号が伊豆諸島を襲い八丈島では大変な被害だったようだ。

今まで経験したことのない暴風雨だったそうで怖ろしかったことだろう。

甚大な被害に加え停電や断水も発生しており気の毒でならない。

その上に本土からの定期船が来られないので食料も不足しているのだそうだ。

週末には台風23号が同じコースを通過しそうである。

また被害は免れそうになく大きな心配となった。

平穏に暮らすことが心苦しくてならないがどうしようも出来ない。

一日も早く島民の皆さんに日常が戻ることを祈るばかりである。



今朝はいつまで待っても義父の姿が見えなかった。

同僚の話では昨夜「誕生日会」をしたようである。

週末までは待てなかったようで友人達の計らいだったようだ。

嬉しさもあって飲み過ぎてしまったのに違いない。

二日酔いはよくある事だがとても82歳には思えなかった。


やっと姿を現した時にはもう午後2時になっていた。

それから車検をしてくれ今日の仕事は何とかなる。

お客さんに迷惑をかけずに済み何とほっとしたことだろう。

経理も順調で例の大口のお客さんが支払いに来てくれた。

約束通りに半分であったがどれほど助かったことだろうか。

滞っていた支払いもあり全てを済ませば肩の荷が下りる。

しかしお金は右から左で残金は僅かになってしまった。

とても月末までは持ちそうになくまた大きな苦労が待っている。

けれども幸いなことに仕事は後から後からあり

お客さん次第で順調に入金が叶うかもしれない。

苦労を苦労と思わない事だ。きっと何とかなるはずである。


3時に退社。買い物を済ませ4時には帰宅していた。

30分程自室で過ごし5時まで茶の間で寝転ぶ。

夫に「今日の出来事」を報告するのが日課であり

今日も「そうか、そうか」と耳を傾けてくれ有難いことである。


夕食は孫達向けのメニューばかりで夫のおかずが無かったのだが

新生姜を刻んで酢味噌で和えたらいたく気に入った様子である。

ビールを飲み終わるとご飯に乗っけて「美味い、美味い」を連呼していた。

「一週間はいけそうなね」と私が云うと「何を!」と反論し愉快でならない。

笑い合えるひと時ほど幸せな時間はなく一日の疲れが癒されて行く。


あやちゃんの姿が見えず気になったが娘に訊く事もしなかった。

2.3日顔を見ないことはよくあることである。

めいちゃんは明日「陸上大会」があるそうで張り切っていた。

娘がまだゼッケンを縫い付けておらず「早くして」と急かしている。


家族ではないのかもしれないが家族の一日がもう直ぐ終わる。

夫は早寝で8時には床に就き私も直ぐに後を追うのが日課であった。

寝返りを打ちながら夫の背中を見ているうちに眠っているようだ。


失いたくないことばかりで満ちている。

何ひとつ欠けてはならないといつも思う。


※以下今朝の詩

 
    そこそこ

 「そこそこ」がいい
 それくらいがちょうどいい

 大草原ではなく
 そこら辺の野原である
 草むらをてくてく歩く
 全ての草に名が在るが
 知らなくてもいいだろう

 あっけらかんと仰ぐ空
 鰯雲は秋を知らせてくれる
 そよ吹く風は口笛を吹く

 疲れたら寝転ぶのがいい
 草の枕でとろりとろりと
 夢の続きを見るのもいい

 「そこそこ」に生きて来た
 大志など抱いてはおらず
 ただ淡々とした息である

 何処に辿り着こうと
 知らないほうがいい  



2025年10月08日(水) 恋の真似事

二十四節気の「寒露」露が冷たく感じられる頃であるが

今日も30℃を超える真夏日となった。

太平洋上にある台風の影響かも知れないが

季節外れとしか云いようがない暑さである。


朝の山道にお遍路さんの休憩所があり

花瓶から溢れんばかりの秋桜が活けられていた。

昔からの遍路道である。地元の人のささやかなおもてなしだろう。

ふと足を止めて一休みしたくなるような場所であった。


峠道を越え山里に差し掛かると道端の秋桜の何と愛らしいこと。

私の好きな白い秋桜も咲いていてほっとするように心が和む。

朝の道が楽しみでならない。そうして気力が湧いて来る。



今日は義父の82歳の誕生日だった。

休養日と決めたのだろう午前中は乗用車で出掛ける。

帰ってからも仕事はせず居室でゆっくり休んでいたようだ。

滅多にない事なので私もほっとしていたのだが

午後2時になると急に思い立たったように田んぼに出掛けて行った。

一番暑い時間帯であるが暑さにはもう慣れているのだろう。

「さあやるぞ」と何とも勇ましい姿であった。


週末には友人達が「誕生日会」をしてくれるのだそうだ。

それが嬉しく楽しみでならない様子だった。

独居老人には違いなく友人達にどれほど救われていることだろうか。


工場の仕事は今日も忙しく飛び込みのお客さんもあった。

同僚は厄介な車検整備をしておりいささか機嫌が悪い。

直ぐには対応出来ず夕方まで待ってもらうことにする。

タイヤ交換であったが予約なしの場合は本当に困るのだった。

同僚が「後から後から」と文句を云うので私の権限で一喝する。

どれほど忙しくても「出来ない」では済まされないのだった。

同僚には負担を掛けるが無理を承知で頼るしかない。


整形外科のリハビリがあり3時前に退社した。

3時40分の予約であったが15分前には順番が来る。

施術中は目を閉じている事が多いのだが今日は薄っすら目を開けてみた。

U君の顔が直ぐ近くに見え年甲斐もなくドキドキする。

ようく見ると何とイケメンなのだろう。まるで芸能人みたいだった。

そんなU君に足から腰まで揉み解してもらい私は幸せ者だと思う。

リハビリ室からエレベーターで階下に下りる間もドキドキが止まらない。

老いらくの恋ではないがその真似事を始めるのも良いかもしれなかった。


4時半に帰宅。もう横になる時間もなかったが10分だけ寝転ぶ。

5時になれば娘が率先して炊事をしてくれるので大助かりであった。

茄子を揚げたり南瓜を揚げたり至って質素な夕食である。


あやちゃんはやはりめいちゃんを避けている様子で

めいちゃんもそれを感じていて一緒に食べることは殆どなかった。

あやちゃんは両親と一緒に食べるのだが

めいちゃんは二階で独りで食べている。

寂しくはないかと気遣うのだがそれが当たり前になったこの頃だった。

老婆心を突き詰めれば切りがなく単に両親の取り合いにも思える。

めいちゃんのパワーには到底叶わないあやちゃんであった。

片や優等生。片や不登校。比べるのはあまりにも憐れである。

ただ両親と一緒に夕食を食べているあやちゃんの笑顔が嬉しかった。


トンネルの出口は見えているが歩み出せずにいるのだろう。

もう少しあと少しに思うが誰にも未来が分からなかった。

笑う時には「くっく」と鳩ぽっぽのように声を出すあやちゃんである。


※以下今朝の詩


      時

 一秒ごとに進む「時」がある
 秒針であることは忙しなく
 休むことも許されないが
 まるで使命のように進むのだった

 刻々と夜明けが近づいている
 真っ暗な空が薄っすらと明るむ
 土手の芒の穂が姿を現し
 風の行方が見える頃である

 一秒を粗末にしてはならない

 ただ淡々と時を刻んでいるが
 苦労や哀しみもきっとあるだろう

 癒すための薬にもなり
 涙を微笑みに変えることも出来る
 それは未来であり希望でもあった

 「時」として生きている
 どれほどの息だろうか
 確かめてやらねばならない




2025年10月07日(火) 芒の穂

曇りの予報だったが十分に陽射しがあった。

気温は30℃あったが爽やかな風が心地よい。

風はもう秋そのものである。


芒の若い穂がずいぶんと見え始め秋の風景となった。

朝陽を浴びて艶々と輝く姿には感動さえ覚える。

芒もやがては老いていくがその過程を見るのが好きであった。

茶の色から黄土色にそうして白へと変わっていく。

枯れ芒も風情があり生き抜いた証にも見える。

「貧しさに負けたいえ世間に負けた」昔そんな歌もあった。

人は老いてしまうともう元には戻れないが

芒には永遠の命が宿っている。春は緑にそうして秋に穂を出す。

根は強く逞しく何度でも季節を巡ることが出来る。




午前中に市内へ行っていたが山里から下るお遍路さんの多さに驚く。

ダム湖の辺りから下り坂になっており何と6人ものお遍路さんであった。

大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうであったが

おそらく早朝に民宿を出立したのであろう。

時間的にお昼には延光寺に着きそうであった。

そのまま伊予路に入るのもまた大変な道のりである。

颯爽と歩く人、杖にすがるように歩く人。若い人もいれば高齢らしき人も。

皆それぞれに志を持ちひたすら歩く旅路であった。


市内にはディーラーに大型車を持ち込んだ義父を迎えに行ったのだが

方向音痴のせいで道を間違えてしまい義父に叱られる。

「右も左も分からんのか」と云われたが正にその通りであった。

自分でも情けないが市内に住んでいてもその市内がよく分からない。

何度も行ったことのある場所でもよく道を間違えてしまうのだ。

幸い義父は本気で叱ったわけではなかったがすっかり呆れ返っていた。

そうして例の重症の大型車はディーラーに任せたのだが

あまりの重症のためいつ修理が完了するか目途が立たないのだそうだ。

またお客さんに迷惑をかけてしまうので気が気ではなかった。

義父が説明してくれるそうだが納得してもらえるだろうか。


頭を悩ますことは経理の事だけではなかった。

全ての事が順調にと考える事ばかりである。

それも私の仕事だと思えば常に精一杯でなくてはならない。

その上に義父の顔色を窺いどれほど気を遣っていることだろう。


午後は義父が田んぼに出掛けていたので

これ幸いと定時の2時半に退社する。

それで丁度6時間のパート仕事であった。

今月から最低賃金が上がったので収入は増えるのだが

同僚のお給料も上げなくてはならなくなった。

会社は火の車である。困難は後から後から押し寄せて来るのであった。


「野となれ山となれ」と思うが野には芒の穂である。

山はやがて紅葉の季節となる事だろう。

兎は野を駆け猪は山を彷徨うばかりであった。


秋の空は青く澄み渡り何処までも広く続いている。

私の空はいったい何処にあるのだろうか。


※以下今朝の詩


      道

 この道でいいのだろうか
 立ち止まって空を仰いだ

 夏の雲と秋の雲が交差し
 陽射しと風が混ざり合う

 石ころだらけの道である
 丸い石と尖った石が
 互いを認めようとしている
 決して傷つけ合ってはならない

 深い山へと続く道
 広い海へと続く道

 どちらを選べばいいのだろう

 ふと背中を押された気がして
 立ち上がったその時である

 おいでおいでと呼ぶのは
 光の天使たちの声であった

 すくっと前を向く
 もう二度と振り向くことはない



2025年10月06日(月) 老体にムチ打つ

連日の真夏日。10月だと云うのに何と異常な気温だろう。

市内の江川崎では33℃を超えていたようである。

しかし真夏の暑さとは何となく違う。

そよそよと心地よい風が吹き暑さを和らげてくれるのだった。

夏を追いやれない秋がそっと寄り添っているようである。


今夜は「仲秋の名月」なのだそうだ。

窓からはそれが見えず残念だが外に出て土手に上がる気力もない。

もしかしたら明日の夜明け前に西の空に見えるかもしれなかった。

月を愛でる気持ちも薄れ感慨に浸ることももうないのだろうか。

何とも寂しく落ちぶれてしまったものである。



仕事は月曜日のせいか怒涛の忙しさであった。

出勤するともう予約のお客さんが来ており待ち兼ねていた様子。

同僚が来るのを待ち早速にタイヤ交換を始めてくれた。

そうしていると今度は車に傷を付けてしまったお客さんが来る。

それは義父ではなくてはならず電話をしても繋がらない。

あたふたと焦りながら独断で「傷隠しクリーナー」を試してみた。

すると車体の傷があっという間に消えたのである。

お客さんは大喜びで一円も払わず帰って行った。

お次は車検切れのお客さんで困り果てていたが

予約制であることを伝えると納得してくれ明日まで待ってくれることになる。

スケジュールのボードはもう20日まで埋まっていた。

明日も予約が入っているが何とかなるだろう。

よくある事だが飛び込みのお客さんにはいつも頭を悩まされる。


9時を過ぎてやっと義父が顔を見せてくれた。

私の着信に気づいたようだがもう遅かりしである。

とりあえずあれこれと報告をすると「そうか」の一言であった。

例の大型車の修理は完璧ではなかったようで納車は出来ない。

人間だと癌なのだそうだ。それもあちこちに転移している。

ディーラーに相談したが即答は出来ないらしく義父も困り果てていた。

同僚には無理だが義父ならきっと出来る修理であったが

まだ稲刈りも完全に終っておらず義父も悩んでいたのだろう。


午後は車検。大型車なので随分と時間が掛かった。

帰宅が遅くなりそうだったので娘に買い物を頼んだのだが

昼寝をしていたらしくすこぶる機嫌が悪い。

遅くなってもちゃんと作るからと云ってくれ頼るしかなかった。

車検の書類を整え4時に退社。帰宅すれば5時であった。

メニューは「牛丼」だったので娘のおかげで直ぐに出来る。

孫達も好きなので何とほっとしたことだろう。


血圧が上がっているようには思えなかったが

背中に針金が刺さったように痛む。

朝の8時半から4時までお昼休憩もなかったのだ。

さすがに老体には厳しい一日だったようだ。

お風呂に入浴剤を入れてゆっくりと湯船に浸かる。

おかげで背中の痛みもすっかり楽になっていた。


お風呂から出ると娘達の夕食の時間であり

あやちゃんがにこにこしながら牛丼を食べてくれていた。

「美味しいかね?」と訊くと「うん」と応える。

そんなささやかなことが嬉しくてならない。

一日の疲れも何処へやらとても幸せな気分になった。


老体にムチ打つ。私よりもムチが折れるかもしれない。

とにかく出来る事を精一杯に頑張っているこの頃であった。

いつかは必ずゴールに辿り着く。

どれ程の老いであっても心地よい達成感が待っていることだろう。


※以下今朝の詩


     実

 落ちるならば手を添える
 転がるならば拾い上げる

 花の季節が終り
 実を付けるようになった
 それは種でもあり尊い

 私もかつては咲いていた
 薄紫の花だった頃がある
 蜜蜂や蝶とふれあい
 微笑んでばかりいた

 夏の陽射しの眩しさに
 雨を欲しがるかのように
 恋をしたこともある

 どうして散り急いだのか
 そうして落ちて行ったのか

 実となれば切なさが募る
 やるせない想いが深まる

 種としてまた巡る季節に
 生きて在りたいと願う






2025年10月05日(日) 過去と未来

朝のうちは曇っていたが次第に青空が広がる。

気温はなんと33℃まで上がり10月とは思えない暑さになった。

もう汗をかくこともないだろうと思っていたのだが

あまりの蒸し暑さにエアコンを点けて過ごしていた。

夏はいったい何を忘れていたのだろう。

余程大切な物なのに違いない。

振り向いて必死になって捜しているように感じる。


玄関から外に出るとすっかり荒れ果てた庭に溜息が出た。

あれもこれも引き抜いてしまいたいが座ることも出来ない。

なんと情けない事だろうと思う。

とにかく花苗を買って来れば娘が何とかしてくれるだろうが

直ぐ近くの地場産店へ行くのも億劫でならないのだった。

お向かいの奥さんはいつも庭の手入れを怠らず

菊の花が咲き始め鉢植えのコキアがずらりと並んでいる。

そんな庭にどんなにか憧れていることだろうか。



買い物に出掛けただけで後は殆ど寝て過ごす。

喫煙のこともありなるべく自室へ行かないようにしたのだが

午後も3時になれば目が覚めて退屈でたまらなくなった。

仕方なく自室に籠り3年前の初夏の日記を読み返す。

日記のページには「過去と未来」がありひたすら未来に進む。

過去に遡ってはいけないような気がしたのだった。

驚いたのはまだ足の痛みがなく普通に歩けていたことだった。

お大師堂にも行き自分なりの任務も果たしていた。

娘達との家族団欒もあり賑やかな夕食の光景もある。

あやちゃんも毎朝元気に学校へ行っていた。

会社の経理も順調で今のような緊迫感もない。


この三年の間に大きな変化があったことを思い知る。

誰のせいでもないのである。それが歳月の仕業でなくて何だろう。

そうして歳を重ねたからこそ今が在るのだろうと思う。

僅か三年であるがもう二度と戻ることは出来ない「過去」であった。

そんな過去にしがみついてはいけない。毎日が未来であるべきだ。

こうして今日を記せば明日はもう過去となる。

だからこそ私は明日が未来だと信じて書き続けたいと強く思う。


取り返しのつかないことがあれば取り返せば良い。

後悔を希望に変えることがきっと出来るだろう。

そうして決して自分を見失わないことだ。


老いの坂道を上り続けている。ゴールはもう「死」であるが

その時はその時の事と思いたい。

もう何も書けなくなってしまうが生きた証はきっと残るだろう。


※以下今朝の詩


     四季

 冷たさを知っているから
 温もりを感じることが出来る

 冬から春への季節の移ろい
 雪が雨に変わり
 木の芽がふくふくと芽吹く

 やがて季節は夏に変わるが
 燃えているような太陽が
 これでもかと焼き尽くす

 秋風が吹き始めると切ない
 忘れられないことが多くなる
 哀しい記憶に圧し潰される

 木枯らしが吹き始めると
 心にぽっかりと穴が開く
 耐えなければとおもう
 冬に咲く花もあるのだから

 ずいぶんと生きて来た
 四季がなければ
 とっくに息絶えていただろう

 夏の背に別れを告げて
 私は秋になろうとしている



2025年10月04日(土) カルボナーラ

雨が降りそうで降らない曇り日。

気温は28℃まで上がり少し蒸し暑さを感じた。

週間予報を見ていると明日からしばらくは晴天が続くようだが

気温が高めとなりまだまだ夏の名残がありそうである。


夏から咲いていた我が家の秋桜はすっかり枯れてしまったが

娘の庭いじりの熱が醒めてしまいそのまま放置してある。

そろそろビオラの苗を買って来ようと思うが

娘の手を借りないと植えることも出来ないのだった。

花のない庭の何と侘しいことだろうか。


朝ドラ「チョっちゃん」を見てから9時まで寝ていた。

夫が「ケンミンショー」を録画してくれていたが見ずじまいとなる。

せっかくの夫の計らいを無駄にしてしまい済まないことをしてしまった。


10時からカーブスだったので一時間程自室で過ごす。

一年前の10月の日記を読み返していたが

哀しかったことを思い出してしまいその辛さが一気に蘇る。

「無礼な人」と云われたこと「太平楽」と云われたこと。

とても信頼していた人から云われたことがとてもショックであった。

もう誰とも親しくはならないと決めた出来事でもある。

今もネットの海を漂い続けているがたった独りきりでありたいものだ。


自室に籠るとひたすら煙草となり一時間で10本も吸ってしまう。

それは異常な程に病的で自分ではどうすることも出来なかった。

当然のように激しく咳き込む。咳が止まらないままカーブスへ行く。


カーブスへ行けば気分転換となり心地よく汗を流した。

顔なじみになっているお仲間さんの高血圧が改善されたとのこと。

もう病院とも縁を切ったと云うので驚く。

筋トレは確かに身体に良いようだが私には無縁のように思える。

それでも続けなければならない唯一の運動であった。


昼食に冷食の「カルボナーラ」を食べる。

めいちゃんも冷凍庫からカルボナーラを出して来ていた。

おばあちゃんと一緒やねとにっこりと笑顔を交す。


娘の勤めているドラッグは今日が開店だった。

これまでは他の店舗で研修をしていたのだがやっと正式雇用になった。

新聞に大きなチラシも入っており開店初日は忙しかったことだろう。

定時では終われないだろうと思っていたがお昼過ぎに帰って来る。

しかし仕事の話は一切しない。私も訊いてはいけないようだった。

それから買い物には絶対に来ないことと前々から強く念を押されている。


午後はまたひたすらに寝る。目覚めればもう4時になっていた。

乾燥機に入れてあった洗濯物を夫が出してくれている。

毎日「洗濯物がかり」をしてくれ何と有難いことだろう。


夕食は「ささ身フライ」と「ポテトサラダ」の予定だったが

めいちゃんのダンス教室があり娘の何と気忙しいこと。

5時半には家を出なければならず炊事どころではなかったのだろう。

つんつんと機嫌が悪いので「母がするから」と伝えれば

「間に合うように頑張りようやいか」と荒い言葉が返って来る。

もっと簡単なメニューにすれば良かったのだと悔やまれた。

あやちゃんの好きな物をとそればかり考えていたのである。

毎日の事だが思うように行かないことが沢山あった。

皆の美味しい顔が見れるのが一番の幸せである。



一年前の日記には詩の事には殆どふれていなかった。

今は毎朝の詩を転記しており申し訳なく思っている。

全く興味のない読者の方もいることだろうと気遣う。

今後はなるべく詩に関する日記は控えたいと思っている。

詩人でもない私がいったい何様のつもりだろう。

もっともっと身の程を知らなければならない。


詩の転記は続けるつもりでいるがお目汚しをお許し願いたい。

たった一人の方でも共感して頂けたら幸いである。


※以下今朝の詩


    一滴

 ほんの一滴である
 雨になれない空が
 溜息のように呟く

 消えてしまいたいなんて嘘
 存在はそれほどに儚くはない

 寒露が近くなり空は
 冬支度を始めている
 風に聴いてみるがいい
 南から北へとそれは変わる

 真っ只中に居ながら
 心細いのは何故だろう
 失いたくはないのだ
 一心に貫きたい命である

 一滴の迷いであるなら
 そっと導かねばなるまい

 生きてこその空である
 その青さに命を委ねよう














2025年10月03日(金) 藻屑のようなもの

ぽつぽつと小雨降る一日。気温は23℃と秋らしい涼しさであった。

しかし明日はまた28℃と夏の名残がありそうである。

朝の道にセイタカアワダチソウが見られるようになった。

ブタクサと間違い易く花粉症の原因になると思われているが

セイタカアワダチソウの花粉は飛ばないのだそうだ。

間違われて可哀想だが薬効効果もある花らしい。


夫は花粉症があり「また黄色い花が咲き出した」と嘆くのだが

ブタクサとは違うのだと教えても納得が行かないようである。

「じゃあ何でくしゃみが出るがぞ」と素直に信じようとしない。

おそらく思い込みから来るアレルギー反応だと思われる。


黄色い三角帽子の可愛らしい花である。

どうか嫌わないでやって欲しいと願ってやまない。



今朝は職場に着くと義父がコンバインを丁寧に洗っていた。

昨日の稲刈りは無事に終わったようだがまだ最後の稲刈りがあるのだそうだ。

私は完全に終ったと思っていたので何だか戸惑ってしまう。

収穫量は昨年の半分にも満たないとのこと。

それでも刈らないわけには行かずまた忙しい日がありそうだった。


コンバインを洗い終わると散髪に行き男前になって帰って来る。

それから色づき始めた柿をいくつか獲ると友人の家へ行った。

いつも農作業を手伝ってくれている友人で柿が大好物なのだそうだ。

村内ではなく大月町なので直ぐには帰らないだろうと思っていたら

お昼過ぎには帰って来て今度は大型車の修理をすることになった。

先月から預かっており気が気ではなかったので大助かりである。

早ければ月曜日には納車出来るだろう。


経理もまずまず。昨日の入金の上に今日も入金があり随分と潤う。

週給制の同僚のお給料を準備し、私の二日分の日給もあった。

残りは預金したがそれも直ぐになくなってしまうだろう。

それでも預金残高を見ると嬉しく救われたような気がした。

後は野となれ山となれである。ゼロになればまた始めれば良い。


4時前に帰宅。夫と録画してあった「あんぱん特別編」を見る。

今日は初めて「アンパンマン」のテレビ放映があった日なのだそうだ。

もう朝ドラは終わってしまったが何だか感慨深いものがある。

やなせたかし先生の出身地は母と同じ香北町でもあった。


あやちゃんが珍しく茶の間に来て「今晩は何?」と訊く。

特売だったフランクフルトを買って来ていたのでそう告げると

残念そうな声を出してまた部屋へ戻って行った。

娘に話すと何か作るからと冷凍庫の豚肉を解凍している。

スライスチーズを挟んでミルフィーユカツを作っていた。

私も迂闊であったが今夜は娘に助けられたことになる。

毎日の献立を考えるにも限界がありついつい手を抜いてしまう。

あやちゃんは夕飯をとても楽しみにしていることを忘れてはならない。



今朝の詩はそこそこに。書こうと思って書いた詩ではないので

自分では不出来であったが書けたことを「よし」としたかった。

ある人の為にと思う。きっと読んでくれるだろうと信じていたが

今朝は時間が足らなかったのだろう足跡がなかった。

まあそんなものである。空振りに終わることもあるものだ。

いかにも当て付けがましい詩だったのかもしれない。

「貴方の為に書きました」等とどうして云えようか。

所詮は垂れ流しの詩である。ネットの波に呑み込まれてしまうだろう。

消えずに残ったとしてもそれは藻屑のようなものだ。

それでも私は書くことを諦めない。書けなくなった時は「死」しかない。


※以下今朝の詩


     落葉


 雨に打たれ風に吹かれる
 やがて寒い冬がやって来るが
 一本の樹であり続けたい

 千切れるように葉が落ちる
 そうしてからころと地を舞う
 裸樹になってこそ
 芽吹くことが出来るのだ

 そうして新しくなる
 むくむくとしたいのち
 嘆くことなど何ひとつない

 たとえ失った季節であっても
 哀しみはきっと癒える
 いくつもの季節が巡り
 時の薬が助けてくれる

 枝を手のように空に伸ばす
 青ければ青いほど
 明日が未来になるだろう



2025年10月02日(木) 私のような者

朝の気温は20℃に届かず随分と涼しくなった。

しかし日中は30℃とまだ夏の暑さである。

とても10月の気温とは思えない。


昨日まだ百日紅が咲き誇っていると書いたが

今朝の道では殆ど散っているようだった。

確か実のようなものが成るのだが遠目では分からない。

職場の百日紅は忽然と消えてしまい確かめることが出来なくなった。

消えたのは百日紅だけではなく「ムラサキシキブ」も見えない。

どちらも母が愛でていたので残念でならなかった。

なんだか母と一緒に死んでしまったようにも思う。


義父は稲刈りの予定であったが午前中は準備に手間取り

午後2時になりやっと出掛けて行った。

僅かなので2時間もあれば終わるとのこと手伝いも要らないと云う。

とても機嫌が良く溌溂としている姿にほっとせずにはいられない。


事務仕事はけっこう忙しく今日は記帳の仕事をしていた。

現金の出入りが一目で分り残高がどんどん減って行く。

入金があっても翌日には直ぐに出て行くのだ。

まるでお金に羽根が生えているとしか思えない。


今日も入金はゼロで笑いが止まらなくなった。

随分と追い詰められたものだ。とことんやってくれと思う。

2時半に退社したのだが同僚から電話があり

先日車検をしたお客さんが支払いに来てくれたとのこと。

待てば海路の日和ありではないがもう少し職場に居れば良かった。

もう後の祭りであったが同僚が預かってくれたそうでほっとする。

おかげで明日は何とかなりそうだがまた直ぐにゼロになるだろう。

面白いことこの上なくまるで毎日が喜劇のようであった。


サニーマートで3割引きのステーキ肉を買って来ていた。

一枚だけなので娘達にと思っていたのだが

娘が父親を気遣ってくれて「おじいさんのは?」と訊く。

「おじいさんは要らんよ」と応えたら

夫が「なんでや!」と文句を云うのが面白かった。

娘達にはその上に鰹のお刺身もあり私達とは大違いである。

決して機嫌取りではない。ただそうして丸く納めているのだった。

些細な事で波風を立ててはいけないといつも思っている。


今朝は「昭和シリーズ」の詩が書けたが相変わらずの不評であった。

しかし自分では書きたいように書けたので大満足である。

どこからともなく私の詩を見つけてくれた方が居て

コメントを残してくれており思いがけずに嬉しかった。

その方のホームに飛べば短歌や俳句を書いている方だったのだ。

その短歌がとても気に入り迷わずにフォローしたら

その方も直ぐにフォロー返しをしてくれささやかな繋がりが出来る。

発端は私の詩なのでこれも何かの縁なのだろうと思う。

伝わる人にはちゃんと伝わるのだととても励みに思ったことだった。


私はあくまでも「私のような者」であり多くを望んではいない。

この歳になり羽ばたくこともなければスポットライトを浴びることもない。

けれどもまるで命を削るかのように精を尽くして書き続けている。

明日もきっと書けるだろう。明日が未来である限り。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     さっちゃん

 生まれたばかりの娘のことを
 息子は「ごんべえ」と呼んだ
 それではあまりにかわいそう
 早くなまえをつけてあげなければ

 息子は「さっちゃん」がよいと云う
 おじいちゃんが「さ」がつく名前を
 お寺の住職さんに考えてもらった
 さちこさなえさおりいっぱいある

 みんなでさんざん迷った結果
 娘の名前は「さほ」に決まった

 息子の何と喜んだことだろう
 さっそく「さっちゃん」を連呼する

 さっちゃんはふにゃふにゃしていて
 顔はおサルさんみたいだった
 ちいさな手ちいさな足を元気に動かす

 息子はさっちゃんからはなれない
 泣けば心配そうにおろおろとして
 眠ればほっとしたように微笑んだ

 「いもうと」がまだわからない
 「おにいちゃん」もまだわからない

 たださっちゃんと呼べるのが
 うれしくてたまらなかったのだ







2025年10月01日(水) 私の未来はいつも明日

今日から10月とは思えない真夏日。

週末には雨になりそうだがその後もしばらくは夏の名残がありそうだ。

京都の嵐山では猛暑のせいで紅葉が枯れ始めているらしい。

今年はクリスマスと紅葉の季節が重なるかもしれないとのこと。

地球温暖化で異常気象はもう当たり前になってしまったようだ。


山里ではまだ百日紅が咲き誇っているが

黄色い彼岸花が咲き始めて秋の深まりを感じる。

「ショウキ水仙」と呼ぶのだそうで彼岸花の仲間らしい。

紅い彼岸花は枯れ始めておりとても貴重な花に思える。


田んぼには孫生えの稲が随分と伸び風に靡いていた。

青々とした緑でまるで田植えの後のように見える。

義父は伸び切らないうちにとトラクターで耕しているが

今日はトラクターが故障し捗らなかったようだ。

明日は稲刈りを予定しておりまた忙しくなりそうである。


事務仕事も忙しかったが今日こそはと母の仏前へと行く。

一日遅れとなったがお線香を上げしっかりと手を合わせた。

母はきっと許してくれたと信じるしかない。

そうして一緒に仕事を頑張ろうねと声を掛けた。


整形外科のリハビリがあり2時半に退社する。

仕事はまだ残っていたが明日に持ち越すことにした。

今日も入金はゼロ。何と現金の残高が千円しかない。

あまりのどん底に嘆くよりも愉快でならなかった。

どうにでもなれと思う。もうやけくそ状態である。


リハビリを終え買い物を済ませばもう4時を過ぎていた。

10分程横になり直ぐに夕食の支度である。

娘が何だか機嫌が悪い。話し掛けてもツンツンする。

冷蔵庫を開け鮪のお刺身を見つけると一気に笑顔になった。

ゲンキンなものである。夕食の献立が気に入らなかったのだろう。

毎日メニューを考え頭を悩ませている私の身にもなって欲しい。



今朝の詩はかなりのお目汚し。ああ駄目だなあと思った。

それなのにとある詩人さんが励ましのコメントを残してくれた。

「これからも楽しみにしています」と云ってくれ夢のようである。

自分では不出来だと思っていても伝わる人には伝わるのだろう。

そうなればまんざらでもないと悦に入る私であった。


一度どん底に突き落とされると這い上がれるものらしい。

もう一生誰にも認められないと思っていたが

励ましてくれる人が居て応援してくれる人が居る。

私のような者に何ともったいないことだろうか。

期待を裏切ってはならない。これからも心を込めて書き続けようと思った。

未来などあって無いに等しい。私の未来はいつも明日である。


※以下今朝の詩


     あき

 窓を少し開けてみる
 すると秋の声がした

 ねえわたしが見える?
 笑うと笑窪が出来るの

 桜の葉がはらはらと散る
 そうしてころころと舞う
 秋桜は白い花が好きだった
 風が吹くとゆうらゆうら

 川の水のぬくもりはもう
 ひんやりと冷たくなり
 さらさらと流れるばかり

 始まりはいつもそう
 思いがけない事で満ちている

 ねえわたしが見える?
 「あき」と名付けられた
 少女のようであった



    


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加