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2004年05月26日(水) 夕日を朝日に変える方法 |

さて、夕日に向かって奔走する日々ですが
夕日が沈むのと同じ速度で夕日に向かって走ることができたら
夕日はずっと沈まないのでしょうか。
日付変更線はどうなるのかしら。
夕日が沈む速度って地球の自転の速度なのかしら。
それよりも早いスピードで夕日を追い越してしまったら
それはもう一度「今日」の朝日を待つことになるのでしょうか。
世界は不思議で満ちていますね。
おバカでごめなさい。
2004年05月25日(火) 目的としての芯・手段としての芯 |

さて、そろそろゲイサイこと芸術祭の集まりなどが催される時期ですね。
今の時点で「何をしようかな」などと考えているようじゃホントは駄目なんですけどね。
まぁ考えてないこともないけど、まだ中身には至ってなくて、
ただ、今年は「ゲイサイのために『作品っぽいもの』を作る」んじゃなくて
日々の中からむにゅっと生まれたテーマを、どう表現すればよいか、を、
考え中・・・・・・・・・・・・・・・・なわけで、、、
例えばデザインすることが目的になっちゃ意味がなくて、
目的を成し遂げるための手段としてデザインやらが必要なのであって、
(って受け売りなんですけど、ほんと、そうだな、と実感してて、)
だから今その目的を模索中なわけで、
まいにち中身を探していて、
でもなかなか見つからなくて。
まぁそのうち見つかるんじゃないかと。思うわけです。
それが見つかってしまえば技術とかはある程度は身につくと思うし、
(技術なんて今なくたって会社はいったり必要に迫られればすぐ身につくよ、
って、社会経験のある編入生の友達も言ってたし、)
まぁ、技術の無い人間の僻みです。とにかく見つかってしまえばあとはすいすい、と。
だから大切なのは今のうちにどれだけ中身を見つけられるか、
または中身を見つけるための望遠鏡とか、虫眼鏡とか、サングラスとか、を
獲得できるかにかかっているんじゃないかと。日々考えているわけですが、
うちのトイレにある某み○をの一言付日めくりカレンダーに
「考えてばかりいると日がくれちゃうよ」
と一蹴されかけたので夕日に向かって走ろうと思います。
ジョニー!!

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2004年05月19日(水) あぁ只今思考能力3くらい。 |
むかし、「負けず嫌い」という言葉の意味が分からなかった。
負けず、の「ず」の意味を考えると「負けないことが嫌い」、
つまり「勝つことが嫌い??」と、混乱。小学生頃のはなしだ。
そんなことを思い出した生理痛の夜。
友人の気持ちがわかった。
「内臓を取り出してさすりたい」
うん、まさに。
そりゃ無理って話なので代わりに五月初のコタツ発動。

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2004年05月13日(木) ジンジャエールのうた |
いやぁ、ここで告白してしまおう。
三日間ひきこもっていたら、
学校に行って帰ってきただけで、
ひざが笑うんです。
ついでにもうひとつ告白してまおう、。
ギター弾いて三年が経ちますが
昨日はじめて、
ブリッジミュートなるものができるようになりました。
ばらの花が弾きたいです。
2004年05月11日(火) そして深夜のジェットストリーム。 |
さて、すっかり昼夜逆転です。それがまた逆転して
普通のひとに近づける気さえします。
今、窓を開けたら、中三ん時の塾の帰り道のにおいがしました。
窓をあけて六年前にタイムスリップ。

そうそう、今日はあまりにもひますぎてNHK教育とか見ちゃいましたよ。
なんか、久々にみたら
うたのおにいさんたちに自分の歳が近づいてることに気づいたり
おにいさんたちのがんばり具合が見て取れたり
おじゃるまるや忍たまの時間が変わっていたり。
久々にテレビをたくさん見たので酔いました。


寝ぼけている場合じゃねぇな、、
ほんとにすごい作品ってのは説明なんかいらないんだってね。なるほど。

五月って考えてみるとけっこういい時期だと思います。気候的に。
四月はふわふわしすぎだし
六月はじめじめしてくるし。
五月はこう、なんというか、きりっとしてる日が多い気がする。
すごしやすい。
わたしの中では五月って春っぽくはないと思っているのですが
どうでしょう。
かといって夏と呼ぶには涼しいし、梅雨ではないし。
だから春 五月 夏 秋 冬みたいな。
日本の気候は細かくみると四季よりたくさんあるけれど
その季節の中のさらにメインのひとつとして格上げされてもいいくらい、
五月は良いなぁ。

2004年05月05日(水) ポストポストフォトグラフ |

わたしが写真を撮ることができるのはいろんな意味で心に余裕があるときです。
でも心に余裕があっても「写真撮ってる場合じゃねぇ!」
ってときは心底その状況を楽しみます。
写真撮ってると状況が楽しめないわけではもちろんないし、
写真撮ってるとつまらないわけでは全然ないけれど、
写真を撮るのにふさわしい時とそうではない時があると思うのです。
「最高の瞬間」なんて写真にはおさめられないのだから。
生身で感じるべきなのです。最高の瞬間は。
そういう意味でもいわゆる「上手な写真」は撮りたくないですね。
「上手な写真」が「最高の瞬間」を内包することはあまりないですし。
まぁそれは「上手な写真」が真に上手ではないということです。
なんだか自分の考えはあるのだけど、それをうまく言語変換できないです。
うぅ、、、
またこのことについては改めて書こうとおもいます。
今はこんな感じで。

昨日は狭い部屋の中で身も心も寄せ合って朝まで語り合っておりました。
というか、ただくっちゃべっていただけかもしれないですが。
というか、この狭いスペース(ふとん3分の2枚分プラスはみだし部分)に五人もの人がいたこと自体、奇跡かもしれません。
耐えてくれたみんな、ありがとう!(やっぺスマイル¥0付き)
そしてマックのネットの設定やらいろいろを
直してくれたチョ盲ロウ君には感謝感謝です。(おかげで今日はマックから更新だ!わーい!)ふつうに感謝。
そうそう、余談ですが、千葉県流山駅のトイレには落花生のカラが大量に捨ててあったそうです。
まさに千葉に来たーーー!って感じですな。・・・うぅっ
幅1.1メートルのスペースに四人の大人が寝ると
もれなく寝違えられます。楽しいけれど。