ふと気づいたことがある。
今、じろちゃんが7ヶ月末を迎えている。 たろ吉のときは、仕事を再開した頃だ。 きっと必死で余裕がなかったのだろう。 その頃の記憶があいまいだ。
じろちゃんが何度も夜起きるので、寝不足でつらく感じている。 朝もついつい寝坊しがちだ。 でも、たろの時は、もう仕事に行き始めてたんだ・・・。
そう気づいたら、ちとがんばって、朝早く起きられるように、体を慣らさないといけないな、なんて思う。
でも、裏返して言えば、「ゆっくりできるのは今のうち」だけなんだから、ゆっくりしてもいいじゃない? ってことでもあるから、ちと悩ましいな。
いずれにせよ、1歳まで一緒に過ごせるじろちゃんとの時間。 大事にしたいな。 いい日に生まれてくれたもんだ。エイプリールフール男(笑)
今月の始め頃、某所で手紙を出した。 10年後に配達してくれるという手紙だ。 とりあえず、自分宛にした。
そのサービスを知って、興味がわいた。 でも、ちょっとこわさを感じた。 10年後、自分が生きてる保障なんてどこにもない。 そういう気持ちが浮かび上がってきた。
書くときは、何を書こうかという単純な迷いに加えて、自分以外の人が開封するという可能性も考慮しないといけないな、と思った。 結果、たいしたことは書いてない。 便箋1枚半ぐらいの「なんじゃこれ?」という文になった。 万が一のことがどうしても頭から離れなくて、半分は家族あての単純なメッセージになった。特に、子どもたちにむけて。
ただ、一行、自分だけにわかるメッセージを書いた。 「絵に描いた餅は、食べられましたか?」
これは、わたしの言ではないけれど、伝え聞いて「いい言葉だなあ」と思って、最近印象に残っている言葉だ。 普通は食べられない絵の餅。 でも、「絵」=「夢」で、「食べる」=「実現」の意味なんだろう。 「そのままでは食べられない」=「実現にむけての努力が必要」。 生きる上での心構えのようなものが、ぱしっと短く、象徴的に表現されてると感じている。
その言葉を、10年後の自分に送った。 本当はもっと具体的な想いや事柄がこめられてる。 あえて文にできなかった気持ちが・・・。
10年後を思うとこわかった。 いつも「8年後の自分を見てみよう」と、自分をはげますこともあるのに。 具体的に手紙という媒体があると、保障のない未来が具体化された気がしたのだろう。 けれど、そのこわさから逃れたい気持ちもあって、ふと気づいた。 10年後はいきなりくるのではなくて、1日1日の積み重ねではないか、と。 こわいと言っても、10年前のわたしは、今のわたしをほとんど想像しなかった。でも、とりあえず、わたしは今、存在してる。 よくも悪くも積み重ねて、今日まで来た。 だから、これからの10年も同じだ。1日1日の積み重ねなんだよ、と。
手紙を出したのが、11月6日。 まだ、1ヶ月もたってないけど、精一杯過ごせてるかな? 時々、自分に問うている。 10年後のわたしが、後悔でいっぱいの人とならぬように、毎日、バトンをわたしたい。 昨日から今日、今日から明日のわたしへ。
日記のほうにも書いたけど、なつかしい人に今日会った。
若い頃、仕事でお世話になった人だ。 退職後、ふるさと方面に帰られたと人づてにきいていた。 だから、この街で会うなんて!とびっくりした。
ふるさとは田舎で、海も見えるらしいし、いいところらしい。 もう引退したら、こんなごみごみした街中はいやだ、とのこと。 わたしが昔、ちょっとだけゴルフをしていたので、そんな話にもなった。 ゴルフ場も平日まわったら安いし、当日の朝でも予約がとれるし、2人でラウンドできるとのこと。 2人とは、「ご夫婦で」である。 ゴルフ云々の環境はともかく、仲がいいのだろう。 うらやましい話である。 そういえば、昔お世話になってた頃に、「夫婦でショートコースをまわった」なんて話も聞いたなあ・・・と思い出した。 引退後、急に仲良く・・・なんてわけにはいかないよな(笑)
わたしは自転車にのっていて、前かごには、じろちゃんが乗っていた。 (子どものせ専用のかごです。念のため w) その子をみながら、「今たいへんだろうけど、一時のことだからがんばって。今、できることをやって。」という話をされた。
振り返ってみれば、その人は、その時その時を楽しんで過ごしていた人だったと思う。大事にしてたとも言えようか。 自分はどうしたいか、はっきりしていた人だったと思う。 自分なりの方向性を持つことって、大事だ。 それが、あやふやだと、悩むことになる。 わたしは、そういう部分があるように感じる。すべてにおいてではないけどね。
悠々自適の暮らしかあ。。 といって、わたしは、早く引退したいわけではない。 仕事はこのままやめたいという気持ちもないわけではないが、今「退職」という選択肢は、わたしにはない。 働かなくちゃならん。 どうせ働くなら、過労死しない程度にがんばろうか・・・と気合を入れなおしてるとこである。 なぜかというと、「やめたい」という考えがよぎるぐらい、希望をなくしてる部分が正直あるからだ。
自分に与えられた環境はいろいろ限りがあると思う。 でも、今しかできないことたちを大事に、どうせ取り組むなら、前向きに向きあっていきたいと思う。 仕事もくらしも。
なつかしい人に会って、悠々自適のくらし、いいなあ・・・と思いつつ、日々を大事にくらして、歳月を重ねていきたいなあ、と思ったのでした。
きっとわたしは欲張りなんだろう。 時間が足りない、といつもあせってる。 そのくせ、上手に時間を使えていない気がする。
子育てに専念しないといけないのに、 夢を見すぎているのかもしれない。
でも、どうしても埋めたい気持ちがある。 課題を一つずつ実現して、自信をつけたいのかもしれない。
「ありのままでいいよ」と人にいいながら、 「自分はこのままではだめだ」と思ってる。
前向きなことをわざわざ言うのも、今は気がひける。 でも、後ろ向きなことも、口にしたくはない。
胸の奥で何かがつかえてる。。。
ちょっとだけ、photo up(笑)
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�◆ゞ�内(緑が多かった)

HPに日記を2つもつくっているわたし。 すっかりごぶさたしてるし(笑) 前にも書いたと思うけど、「Diary」は出来事中心。 こっちの「つれづれ」は「気持ち」中心。 ・・・というつもりなんだけど。
「Diary」のほうは、その日中にかかないといけないので、ネタがあるときは忙しくてかけず、時間があるときはネタがなかったりする。
こっちは、ネタが山積みだったけど、書く時間がとれないまま、日が過ぎた。メモはいっぱい残ってる。 でも、最近はメモすら残せないぐらい、ばたばたしてる。
実は、日記(記録)のたぐいがありすぎるのだ。 リアル世界にも。 � ,犬蹐舛磴鵑琉藥�日記 �◆�Dietのーと 適当に手をぬくとこはぬいてるけど、書けなかったらちょっとストレスになったりしてる。損な性分だ。 あと、日記じゃないけど、毎晩寝る前に、 �� mental bank のノート これは、夢実現のためのツール。欠かせない。 書くのは、寝る直前でないと意味がないらしいので、意識朦朧としながら書いてたりする(笑)
これだけで、手一杯だったのに、一つ最近増えてしまった(−−メ) �ぁ〉誕�日記 たろちゃん用です。 昨日、診察受けるときに、持っていくのを忘れて、カルテに「ノート忘れ」とつけられてしまいました(泣) ちゃんとつけてますぅぅぅ。。。(爆)
夢みることは、楽しい。 でも、むかうとき、苦しさをともなうこともあるなあ、と感じている。 本当なら、自分のみた夢だもの、つらさすら楽しみと思えばええのにね。 つらいと思うのは、夢でないから?
いや・・・。 本気でむきあおうとすれば、現実とも厳しくむきあうこともある。 それゆえに、ぼんやり夢見てる時よりも、苦しい(というか、つらい)場合もあるのだろう。
実現にむけて、微々たる一歩だけど、きっと苦しいのは「本気モード」に入ってるからだろう。 だから、「苦しさ」を感じてる、ってことは、それだけ本気で進もうとできてるってことじゃない? と自分をはげましたい。 その壁を越えられるかどうかで、夢の質(本気かホントにただの夢か)が試されるような気もする。
がんばれよ。あたし(笑) (なぜかはわからないけど、本当は、なんとなく「がんばれよ! おれ。」といいたい気分)
でも、ぽろり本音を言うと、今、かなり「うつモード」である。 なんでかしらんけど。
いや、本当は知っている。 さっき書いた、「『向かっていってる』夢」とは別のことが原因だ。 それは、どうしようもない。 けれど、他に自力で実現にむかっていけることと向きあって、そのどうしようもないことも、乗り越えていきたい。 直接の解決ではなくても。
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