| 2025年11月16日(日) |
おひとりさま時代の死に方 / 井上 治代 |
親や自分のお墓をどうする? 死後の手続きには何が必要? 市民団体の活動も踏まえつつ、おひとりさま時代の「死と葬送」の悩みに答える。近年、支持されている「樹木葬」についてもイギリスや韓国と比較しながら紹介。
ひとりで死んだらどうなるのか? 「骨」は歩いて墓に入れない 家と墓はどう変化してきたか? 死亡届の「届出人」は誰がなる? 任意後見契約、いつすればいい? 「友人に頼んである」では、ダメ 連帯保証人以外の選択肢 配偶者喪失感を癒す墓参り 親族に頼むか、第三者に頼むか
まぁ、盛り沢山でおひとりさまになってしまったらしておくことがたくさんある
私も常々、思っていることだけれど自分で棺桶には入れない 本当に おちおちしてられんわ!!
| 2025年11月12日(水) |
真鶴 / 川上 弘美 |
失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか?
置いてゆかれたその後も、愛していた。愛することをやめられなかった。ないものを愛することは、むずかしい。愛している、そのこころもちが、こころもち自身の中に、はいりこんでしまう。袋が裏がえるように、こころもちも、裏がえってしまう。 裏がえった愛は、それでは愛の反対のものになるのか。 ちがう。 愛の反対は、憎しみか。あるいは、愛と同義なのが、憎しみか。どちらにしても、そんなすっきりとしたものには、なってくれなかった。 おぼろな、よどんだ、漠然とした、異質なものに、それは、なった。
例えば、 池に石を投げたとしてさざ波はどれくらい続くのだろうか 石の大きさや、投げた人間の力加減とかで違ってくるんだろうな、というそんな読後感。
| 2025年11月07日(金) |
凍空と日だまりと / あさの あつこ |
おもみいたします
5歳で光を失い、揉み療治を生業としているお梅。1年先まで申し込みが埋まっているが、今すぐ主の腕が動くように療治してほしいという武士が現れた。彼から「張りつめた者」の気配を感じたお梅は…。『読楽』連載を加筆修正。
十丸 お梅の用心棒 人には白い大きな犬に見えている
先生 お梅に揉み師の才を見出した者 人には白茶の天竺鼠に見えている
お梅が盲いたときから、ずっとお梅の近くにいて、ときに支え、ときに励まし、ときに救ってくれた。先生と十丸がいなければ、お梅は江戸で生きてはいけなかっただろう。
心のままに生きる。それがどれほど難儀なことか、お梅だってわかっている。心のままに生きることが正しいわけでも、幸せなわけでもないとも解している。けれど、人は心に背いて生き続ければ必ず歪む。心身がねじ曲がり、軋む。酷ければ折れて、砕け散る。
| 2025年11月02日(日) |
雫 / 寺地 はるな |
中学の卒業制作で出会った4人の同級生たち。 30年後、ビルの取り壊しに伴ってひとつのジュエリーリフォーム会社が営業を終え、物語は五年ごとの過去にシフトしていく形で構成されている。 日常のささいな不安や違和感を丁寧にすくい取る、“つながり”と再生の物語。
わたしはいつもまちがったほうを選ぶ。だから、自分で選ばないほうがましなんじゃないか。そう、思いはじめていたけど、それこそがきっとまちがいだった。 人生は0×クイズではないから、そんなにわかりやすい二択にはなっていない。最初は正解だと思ったものが長い時間をかけて不正解になっていくことだって、ものかしたらあるのかもしれない。その逆もまた。正解か不正解かを決めるのは、選択したあとの自分の生きかただ。
晴れてよかった。人々は人生の折々でそう口にする。でも、わたしは雨の日が好きだ。雨の雫は空から地へと降り注ぎ、やがてあつまり、川となり、海に流れつき、また空に帰る。なにかが終わって、なにかがまたはじまる。傘を開いて、一歩踏み出した。 今日が、雨でよかった。
きれいな青い色のしずくの形をしたネックレス、いいだろうなぁ。
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