てくてくミーハー道場

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2008年11月28日(金) 宝塚歌劇星組公演『外伝ベルサイユのばらーベルナール編ー/ネオ・ダンディズム!』(さいたま市文化センター大ホール)

昨日はムンバイで起きた同時テロにショックを受けて更新できなかった・・・というのは30%ぐらいで、今日は自主的に早朝出勤だったので、早く寝たのでした。


昨日観てきた芝居は『月の輝く夜に』(ル テアトル銀座)

え? そのタイトルって・・・と思った方、正解です。

シェールがアカデミー賞主演女優賞を獲った“あの”映画を、翻案してストレートプレイとして上演してみました、というもの。

ル テアトルでの8日間の上演を皮切りに、これから全国を回るそうなので、ネタバレ感想は、こっそり昨日の日付でやっときます。






閑話休題。

今日は早朝出勤して早退し、さいたま市浦和区まではるばると(←毎日さいたま市から都内に通勤してる人に対し失礼発言)星組全国ツアー公演を観に行ったっす。

実は、さいたま市文化センターの最寄り駅・南浦和は、十数年前までぼく自身10年間住んでいたところなので、勝手知ったる駅前風景。

昔はあんなに長いこと電車に乗って通勤していたのだなあ・・・と感慨にふけってしまいました(またもやさいたま市民に失礼発言)

えー加減本題に入りましょう。

昨今のスピンオフブームは、歌劇団にまで波及しており、今年後半は、雪→花→星と、名作『ベルサイユのばら』の外伝三部作(とかいいつつ、来年は宙組が「アンドレ編」を上演するのだが、これは勘定に入ってないらしい)が、連続上演されたのであります。

全部観ることができ、満足。

個々の作品も、さすが原作の世界観がしっかりしてるだけあって(深い意味にとらないでね)それぞれにしっかりよくまとまっていたのだが、三作続けて観ると、この「完結編」のラストシーンに、思わずじんわりとした感動が。

植田先生のホンは、相変わらずほとんどが「説明ゼリフ」なのだが(こらっ)、本筋をてっとり早く客に理解させるには、まぁいたしかたないのかもしれない。

三部作それぞれの主人公は、ベルばら四大中心人物(オスカル、アンドレ、アントワネット、フェルゼン)を除いて人気投票したら絶対トップ3になるであろう「三大いい男」のジェローデル、アラン、ベルナールだったのですが、今回の上演に非常に意義があった点は、この三部作が単なる「三大いい男のスピンオフ」ではなくて、「革命後(つまり、オスカル亡き後)のフランス」で、しっかりと有機的に絡み合ってドラマを形成していた点。

実はぼくは不明にして、池田理代子先生の『エロイカ』を読んでいないので、最初「えっ?!」と思ったのですが、この三人というのは、全員が「ナポレオン暗殺未遂事件」に関わっていたという縦糸があったのだった。

後で『アラン編』の感想に書きますが、実のところぼくは、アランが革命の後、そんなに出世していたとは、全然知らなかったのであります。


とにもかくにも、「生まれてから死ぬまで完全に貴族」を貫いたジェローデル、「貴族なんだけど、全然その恩恵を受けなかった」アラン、「半分貴族だけど、心は完全に平民」のベルナールという三者三様の三人が、結果同じ場所(ナポレオン暗殺計画)へ向っていくというのが、いかにも皮肉な感じがした。

作劇としては、一番ぼく好みだったのは「ジェローデル編」でした。

完全に“滅びの美学”で。

萌え(おいこらっ)・・・あ、いや、えーと、ふ、フランス貴族に対して変な言い方だけど、「あいつは、最後のサムライだったよ・・・」みたいなエンディングで。

歌舞伎チックだった、というか。

植田先生のホンも歌舞伎っぽいのだろうけど、ちかちゃん(水夏希)の芝居が、完全に「時代物の主人公」だったのだ。義太夫の糸に乗ったような、すばらしい“武士(と書いて「もののふ」と読む)”っぷりだった(以下詳細は、これまた後日にします)


さて、やっとベルナールの話になりますが、この人は、要するに三部作の最後に登場するということは、「ラストシーンを引き受ける」という役割を持ったキャラクターだというわけなんです。

古き良き時代を抱きしめて死んで行くジェローデルや、暗鬱な現状への諦めをもって死んで行くアランと違って、未来への希望を託された人物としてベルナールは描かれている。

しかも、ベルナールは、あとの二人と違い、軍人でない。

ジャーナリスト(論客)なのである。

それこそ、「ペンは剣よりも強し」を象徴しているキャラクターなのだ。

このあたりに、個人的感情ではあるが、かなり「ぐっ」と来てしまった。


実はこの作品には、三部作全部の共通シーンとして、かの有名な(ベルばらと言えばコレ! という)「バスティーユ」のシーンがある(ただし、いつもの『ベルばら』でやる、オスカルを中心として踊りまくるあのバスティーユではなく、別の構成)

今日、このシーンを観て、というか、その前に、実はベルナールであるところの“黒い騎士”が、近衛隊から武器を窃盗した、というストーリーに、ちょっと、暗然としたものを感じたのだ。

そう、インドのテロ事件が引っかかっていたのである。

やってる本人たちは、「正義だ」「革命だ」と思っているのかもしれないが、ターゲットにされた当事者にしてみれば、「暴力沙汰」という点では、テロと何ら変わりないのでないか。

220年経った今だからこそ、バスティーユ襲撃事件は「革命」だったのだ、と世界中の誰もが認めているのだが、その当時にパリにいて騒ぎに巻き込まれた人にとっては、その時点では、どっちが正義かなんて判断つかなかったのじゃないか。

もちろん、何の力もない市民たちが暴力沙汰も辞さないほど、当時のフランスの支配者たちの横暴ぶりは限度を超えていたのだろうけど。

でも、できる限り物事は「話し合い」で解決できんものだろうか・・・と、切実に思うこの一両日だからこそ、この『ベルナール編』に感じ入るものがあったのは確かなのである。



さて、出演者に対して。

とうこ(安蘭けい)も、先日とうとう退団を発表しまして、・・・まぁ『スカーレット・ピンパーネル』が来た時点で、みんな予想はしていt(☆\(−−;)言うな!)

で、何でか退団が決まった人ってのは、憎らしいほど(?)に艶めいて輝いているのが常でありまして。

まるで寿退社の決まったOLみたいに(ま、紛らわしいこと言わないでっ!/慌)キラッキラしてるのである。

今日も、カーテン前で一人で主題歌を歌ってるとうこの水も滴る美丈夫ぶりには、我知らず感動と寂しさを覚えたのであった。

実は正直に言えば、ぼくは今までそんなにとうこを“買って”なかった。

歌が上手い、という点は断然買っていたのだが、歌が上手い人にありがちな、踊れな(☆\(−−;)言うなPart.2)

そして、昨今の男役としては華奢すぎる体格。

ちっさいんだけど妖精系ではない、という弱点(でも「少年系」ではあったが)

頼りがいのある大人の男って役どころ(それこそ、かつて演ったフェルゼンとか)には、しばしばどうにもムリを感じた。

石川五右衛門を演じた時に意外と線の太さが出てて、「こういう系の役だと結構いいのかも」と思えた。佐々木小次郎も良かったし、やっぱ雪組出身だけあって、日本物が似合うのだった。顔立ちは洋物っぽいのに(そのくせ、トップ就任時の日本物のショー『さくら』での、白塗り化粧のひどさったらなかった! ま、あの時は星組全員ヒドかったが・・・)

でも、ティリアン・パーシモンで(ぼくの原作オタっぷりもいけなかったのだが)再びがっかりさせられ(お前のニンはニコラだっ! と心の中で叫んでしまった(^^ゞ)

「適材適所。無理して大人の男なんてやる必要ない! 自分に似合ったものをやればいいんだよ! それがトップになった人の特権なんだから!」

などと、勝手に思っていた。

ところが今回。ベルナールが「大人の男」の範疇に入るかどうかは分からないが、理想に燃えている男の純粋さやロザリーに対する包容力が実に見事で、「男役十年」とは良く聞く言葉だが、「トップ三年」というのも、ある意味、確かにあるのではないかと思った(とうこはトップになってから、まだ丸二年だが)

「真ん中に立つ人の貫禄」ってのが。

いつの間にか備わっていたのだ。


そして、やはり歌唱力という点で、今、歌劇団内で彼女に敵う者はいないのではないかと思った。

いや、「歌の上手な子」は、今けっこういるのである。

でも、とうこの歌唱力は、何か独特なのだ。

ここ15年ぐらいで「歌が突出したトップ」と言われた涼風真世、一路真輝、姿月あさとなど(香寿たつき、春野寿美礼は、「歌だけ」ではないので、またタイプが別)と、ちょっと違う部分がとうこにはある。

それは、「歌うトップ」にありがちな、大声量でわ──っと歌い上げる「上手さ」ではなくて、別段声を張ることもない、ちょっとした節回しがえも言われず旨いと言うか、巧みだという点である。

今日の『ネオ・ダンディズム!』でも、色々歌いまくってくれて嬉しかった(このショーの初演ではとうこは二番手で、その時はこんなにいっぱい場面をもらってなかったので、今回の再演にバンザイって感じである/笑)

だが、やはり何といっても圧巻は、当時この公演で退団する子たちのダンスシーンのための出語りソロとして大階段で歌った「All By Myself」を、再び歌ってくれたことであった。

この曲は、過去にも色んな生徒が歌っているし、一般の歌手の人たちが歌っているのもいくつか聴いているのだけど、ぼくが知っている限りでは、とうこの歌唱がダントツで一番である。正味、オリジナルのエリック・カルメンより断然上手い(^^ゞま、あちらは「味」で勝負なんですが

特に、誰もが注目するサビではなく、歌い出しの低音が、何とも言えず心地よいのだ。

言ってみれば、「タカラヅカっぽくない」上手さなのである。

ジェンヌにしては珍しく、こぶしも回るしビブラートもきく、それがとうこの歌唱なのである。

今からこんなこと言っちゃって何なんだが、ン年後には、とうこのエリザ(略)・・・かもしれない(\(−−;)ま、待ちなさいって。気が早すぎる)



さて、とうこの話ばっかじゃなく、あすかちゃん(この子も退団するのね/涙)始め他の生徒のことも色々話したいのだが、そろそろ寝ないとまた明日(もう「今日」ですぞ)のてくてくに響くので、とりあえずお寝みなさい。


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