てくてくミーハー道場

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2009年03月29日(日) ニノドラマ

本日、所用あって出かけましたが、都内、いよいよ桜が咲き始めたこともあり、どこ行っても人ごみですっかり疲れてしまいました( ̄△ ̄;)





そんな中、早々に家帰ってごはん食べながら思わず視てしまったのが、『DOOR TO DOOR 僕は脳性まひのトップ・セールスマン』

ニノの“感動シリーズ”三部作の三作目だそうですが、第一作『少しは、恩返しができたかな』は、長時間&感動(させようという意図が感じられる)ドラマが苦手なぼくは、視ませんでした。

特に、「主人公が最後に死ぬので、そこで泣いてください」というドラマは、どんなに暇でも視たくないです(いきなり暴言)

(でも実は、そういう実話を本で読むのは好き。書いた人が、本人であっても、関係者であっても)



第二作『マラソン』は、基になった韓国映画を公開時に観ていたので、日韓のスタッフの自閉症への取り組み方を比較してみようかなと思い(それと、『光とともに・・・』が好きだったので)、録画はしたんだけど、今に至るまで実は視ていない(すまぬ)

この『マラソン』に関しては、ぼくの個人的なツボがひとつあって、実はそれとニノが関係してる。

ほんとーに、ぼくの個人的感想なのだが、韓国映画版に出てくる主人公の弟(ペク・ソンヒョン)が、すっごくニノに似ているのだ。

顔がじゃなくて、雰囲気がそっくり。

劇中で彼は高校生なので、半袖シャツにネクタイというよくある私立高校の制服姿で出てくるのだが、その、肩をちょとイカらせた、首をかしげたやせっぽっちな姿が、昔ドラマで高校生をよく演じていたニノに、激似だったのである。

当時ニノファンだった友だちに、

「ニノそっくりの子が主人公の弟役で出てくるから、観てみなよ」

と勧めたくらいである。

(はたしてそれだけのために彼女が『マラソン』を観に行ったかどうかは、定かではない)

日本版のドラマでは、弟でなく主人公そのものを演じたニノであったが、どのような演技を見せてくれたのか、今んとこ未確認である(←いーかげんにしろ)



で、今回も、別に視る気はなかった。

偶然、家に帰ってテレビつけた時に始まったから、家事と食事の片手間に視ただけである。ほんとーにすまん(誰に謝ってるのか?)

制作者側が意図したようにぼくが感動したかは、ここでは言いません。って書いたら、もう答えを言っちゃってるようなもんだが、一ヶ所、すごく印象に残ったシーンがあったので、それについて今日はエントリしようと思いました。

それは、英雄(主人公)が浄水器を売り上げて社長に褒められたとき、同僚の男が、

「じゃあ、オレも障害者のフリしてセールスしようかな」

と言って、加藤ローサ(役名覚えてない)にひっぱたかれるシーンである。

このシーンて、このセリフを言った男を、

「ああ、いるんだよね、こういう下劣な人間」

と視聴者に思わせるシーンだと思う。

人間、基本的にはみんな「自分は、差別なんかしない、いい人」でありたいと願ってる(はずだ)

でも、どうしても、精神的に弱ると、まさか口には出さなくても、こういう卑怯なことを考える時もある。

気取らず、ぶっちゃけて言えば、そうではないだろうか?

ドラマだから、「普通口に出すか?」ってことを言ってしまうんだし、普通なら「カッコつけすぎだろ」と揶揄されるような、あんな正義の鉄拳はふるわない。

でもこのシーンを見て、「安いドラマだ」と吐き捨てられないものを、ぼくは感じた。

ぼくがこのシーンでもう一つひっかかったというか、「おっ?」と思ったのにはもう一つ理由があって、そういうことを言われた当の英雄が、

「無理だと思うよ」

と笑って返したところ。

「無理」とは、どういう意味なのか。

「健常者が、脳性マヒのまねするなんて、無理」(これは、これが「ドラマのセリフ」だということを考えると、すっごく皮肉なセリフである)なのか、「キミがぼくのマネしたって、無理」(この意味だと、英雄のプライドを表すセリフになる)なのか。

ちょっと意味合いは違うのだが、ぼくはこのシーンを視て、ぼくの知り合いの、ある難病の人(Aさんとします)が、昔ひとから言われた言葉と、それに対する彼の感想を思い出していた。

彼は、ぼくの地元ではけっこう有名な人で、ラジオのパーソナリティをやってたのだが、その番組には、“悩める”若者からのお便りも届いていたそうだ(普段の放送では、どっちかというと芸人ノリであって、アホなネタの方が多かった)

そのお便りの中に、

「自分が、どう生きていいか分からない。何不自由のない自分の、先が見えない。いっそAさんみたいに、自分が難病だったら、例えば、不自由な体に生まれついてたら、“必死に生きる”という目標ができる。それを望んでる自分がいる」

というのが、あったそうだ。

ぼくがその話を聞いた時、ぼくもまだ若かったので(でも、そのお便りの主よりは年とってた)

「なんて情けない若人なんだ」

と、即座に憤った。

「ばかじゃなかろうか。そして、生まれながらにハンデを背負ったAさんを深く傷つけてることに気づきもしないで、ほんとに、若さ故の無知な残酷さだ」と。

まあ、それが“普通”の考えだと思う。

もしくは、さらに分別のあるフリで、

「そんなアホなことを自分が言ってることに気がつかないほど、心が疲れてるんだね。かわいそうだね。でも、辛いことは永遠には続かない。だからがんばって」

と、「おっとなー」なことを言ってあげることもアリかな。

で、Aさんに「この人に何て言ってあげますか?」と訊いたら、Aさんは、(ぼくにとっては)すごく意外な言葉を返してきた。

「うん。じゃあ君も、障害を持ってみればいいんじゃないかな、って言うね」

それは、怒りのために自棄になって言ったセリフではなかった、ように聞こえた。

「僕はこの体に生まれて、本当に色んな経験をさせてもらったんですよ。だから、この人が言ってることを否定できない。だって、彼女が言ってるとおり、僕はホントに必死に生きてるからね。そして、それをホントにありがたいと思ってるからね」

その時ぼくは言えなかったが、それって、カッコつけてない? Aさん、と実は思った。

「でも、その病気を持たずに生まれてきてたら、少なくとも今よりは“楽”に生きてこられたんじゃ?」

みたいなことを、なるべく彼に“怒られないように”まだるっこしい言い回しで訊くと、

「そりゃあそうでしょう。やっぱ“楽”に越したことはないよ。でも、『もしこうだったら』って話は、無意味だからね」

Aさんは物事をずけずけ言うタイプの人だったんだけど、それを「障害を持ってるから、強くなったんですね」みたいに言われると怒っていた。

車いす生活だったが、それを子供が無邪気に見つめたりすると、「おじちゃんの車、かっこいいだろ」とか言う人だった(某ベストセラーを書いた『五体不満足』の人みたいだけど、彼ではないですよ)

もう一人、車いす生活してる知り合いがぼくにはいるのだが、その人は逆に、

「車いす生活してると、子供が無遠慮に見てくるのが、キツイなあ」

と言ってた。正直だ(笑)

それを、親が「見ちゃダメよ」とかひそひそ言ってると、なおさら腹立つんじゃない? とぼくが訊くと、

「いや、『そうだよ、しっかりしつけろよ、親!』と思う」

という答えだった。



なんか、何書いてるか分かんなくなってきたが、要するに、どういう結論に近づいてきたかというと、障害者とか難病の人とかを、一束ひとからげにしちゃいかん、という当たり前の結論である。

だって、障害の種類も、病気の種類も、程度も、千差万別なんだから。

「“こういう人”には、“どういう”風に接すると、一番いいんですか?」と、単純な答えを求めるな。「いい人」「優しい人」のマニュアルなんかない、ということである。

こんな偉そうなこと書いてるぼく自身、気を使いすぎて逆に迷惑な接し方しちゃったこともあるし、街中で遭遇した障害者の人に、「何だその態度。特権意識、持ってんじゃないの?」と、悪魔な思いがこみ上げてきた経験もある。

結局、「人間同士のつきあい」だからねー。





ドラマに話は戻ると、最後の方で英雄が、

「やりたいことと、出来ることは、必ずしも別じゃない」

というセリフを言う。

このセリフには、縋ってみたいと思う今日この頃の自分(^^ゞ

そもそも英雄のお母さんが息子に与えた「父が遺したポジティブ思考」群の中に、なぜここだけ「多くを望むな」思考を紛れ込ませたのか、ちょっと疑問ではあったのだが。

おそらく障害を持って生まれた子の母というものは、気が強いことを知らず知らず「自分自身からも」期待されてしまうのだ。

でも、だからといって100パー「絶対に、諦めない闘い」だけで生きられるはずもなく。

その、たった一つの弱気な本音が、「やりたいことと、出来ることは、別だ」だったのだろう。

そもそも、この言葉、ほぼ全ての人間が日々実感してることだもんな。



正直、かぁなりご都合主義かな(昨今の「障害者ドラマ」は、昔の「可哀相だよね」「みんな、助けてあげようよね」思考は失礼、「彼らはちゃんと力を持ってるんだ」「明るいんだ」という思考でいこう、という極端から極端へと走りすぎな傾向がある)という感想を抱かせたドラマではあったのだが、このセリフがあったことと、やはりニノの力演で、後味は悪くなかったです。

『マラソン』・・視てみるか(可能性はハーフだな)


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