てくてくミーハー道場

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2009年03月31日(火) 松緑

今日も「しょうろく」です。

例によって中年ダジャレですいません。(_ _ )



今日で三月が終わってしまったのだが、またもや国立劇場だけ行きそびれ(そもそも千龝楽は27日だったんだけど)

松緑がおじいちゃん(二代目松緑)のド当たり役である魚屋宗五郎を演じたのですが、とうとう観れずじまいとなりました。



(当代)尾上松緑。

ぼくは彼の子役時代には間に合わなかったんだけど(なので「嵐クン」と呼ぶのは、本当はフェイク)、ほぼ「最初に好きになった歌舞伎俳優」と言って良い。

まだ「尾上左近」だった。

NHKの劇場中継で観た『外郎売』で、タイトルロールを演じていた。

もちろん下手だったが(オイ)、まさに「動く五月人形」だった(ホントに「むきみ」の似合うくっきりとした目をしてるのだ)

声変わりが終わったばっかのガラガラ声にも、ノックアウトされた。

すみません! ショ(もう聞き飽きたぞ!/怒)



年を考えると、彼は当時13歳か14歳だったはず。

なんで『外郎売』なんて大役をやってたのか、今になって考えると不思議である。

おそらくおじいちゃんがらみの、ご祝儀興行だったんだろうな。おじいちゃんが工藤演ってたから。



ところで、その放送自体、「二代目尾上松緑の追悼番組」だったのである(涙)ということは、1989年ですな

すなわち、昭和の「歌舞伎界の巨星」二代目尾上松緑も、その2年前に亡くなっていた伝説の名優・初代尾上辰之助(二代目の倅)も、ぼくは一度も生で観ていないのだ(T_T)ぼくの「カブとも」は、辰之助の最後の舞台『お祭り』を観ている。羨ましい・・・

この、大きすぎる二人分の期待と、超名門藤間流勘右衛門派当主という重すぎる地位を、まだ幼いその身に背負うことになってしまった嵐クンこと二代目尾上左近。

そのドラマみたいな身の上に、おばさんは勝手に萌え上がるのであった。(←迷惑です)

直に彼はお父さんの名前を襲って二代目辰之助となった。

ぼくが歌舞伎を観始めて初めて遭遇した「大名題の襲名興行」であった(それ以前に、尾上松助丈の襲名興行も経験したのだが、名前がやや小さかったのでね)

時に、日本経済はバブルのまっただ中。

大企業は余った金を「メセナ」の名目で芸術文化につぎ込むという、(ぼくらみたいな浮かれた連中にとっては)実に良い時代がやってきたのと、「平成の三之助」が誕生するのは、ほぼ同時期であった。

今考えても、ほんとーにバブルな月日だった。

歌舞伎本の企画なんかも、スイスイ通った(^^ゞ

楽屋にも、スイスイ行け(以下略)





さて、今こうして落ち着いてみると。(あら、中略が早い)

嵐クンも、はや34歳。

男盛りド真ん中である(もう、子供が二人もいるしね)

確か、ぼくが歌舞伎を観始めた頃そんぐらいの歳だった人と言えば、中村勘九郎(現・勘三郎)、坂東八十助(現・三津五郎)、中村時蔵丈、中村芝雀丈・・・あたり。

百花繚乱の「花形スター」(つまり、人間国宝よりは手前)の皆さんである。

多分、現在の松緑、海老蔵、菊之助の「元・三之助」なども(あと、ソメソメとか)、今の若い歌舞伎ファンから見ると、当時のぼくらが勘九郎たちを見ていたように見えるんだろうと思う。

菊吉じじい感覚だから、「昔のスターの方が、スケールが大きかったよ」と思ってしまうんだと思う。

だが、それでもぼくは言ってしまうが、松緑は、まだまだ「脱皮」していない。

どうにもある種の「不器用さ」が未だに彼を覆っている。

少年時代には、そんなもの誰にでもある“薄膜”だと思っていたので、気にならなかった。

でも、もう34歳だぞ・・・(えっ? いけないの?)

“奇跡の御曹司”海老菊と比べちゃいけない(って、松緑も御曹司だから!)のは分かってるのだが、とにかく「初めて好きになった役者」なもんで、どうしても、何とか頑張ってほしいという感情は、ずっと抱いている。

その不器用さを、愛しいと思う部分と、「もうちっと洗練されてほしい」と思う部分が葛藤している「紀尾井町ファン」(代表みたいに言うな!)なのである。



とか言って、結局大事な初役(魚宗)を、観そびれてんだもんな。

もしかして、これで「化け」てたかもしんないのに。

えーと、次に松緑が見られるのは、五月の歌舞伎座か。

所作事ばっかだな(所作事はまあまあだと思う)

まぁ、歌舞伎ファンの極意は「長い目で見る」ですから。

あせらずいつまでも追いかけるつもりですよ。





そういや27日に藤間紫さんが亡くなった。

お年がお年だから、最初は「そうか」と思った程度だったのだが(すみません)、その後すぐ、「澤潟屋、思いっきり気落ちしちゃってるだろうな・・・」と思った。

お正月の「さよなら歌舞伎座顔寄世手打式」の様子を見た感じでは、舞台復帰はかなーり(略!)という感じだったので、今月の『獨道中五十三驛』の「演出」のところに名前が出てるのを見た時には、本当にびっくりし、また嬉しかったのだ。

なんとか元気を出して、必ず舞台に復帰してほしいものだ(宙乗りやれなんて、ムリは言わないから)





そうかと思うと歌舞伎界、今年最大の(?)慶事もある(*^^*)

彼ももうそんなお年ごろなんですねー。

考えてみれば、お父さんも結婚早かったもんな。こういうのも、やっぱ遺伝すんのかな?

時の経つのは早いよ、ほんと・・・。(結局年寄り臭いシメかよ)


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