ささやかな日々

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2021年09月08日(水) 
解離性健忘を、私は、舐めてかかってたのかもしれない。
私の記憶は、一日がちょうどいい具合で、一日一日、失われる。娘に言わせると「ママは忘れすぎ!きれいさっぱり忘れすぎ!」と。

被害に遭った後、15年くらい、「忘れられない」ことがしんどかった。事件のことも、その後起こる二次被害的なことすべて、何もかもが、「今」にとどまってしまって、過去にならないまま、つまり生々しいままいつまでもいつまでも、私に圧し掛かって来てた。記憶に殺される、と思った。そのくらい、「忘れる」という能力を失っていた。

それが、解離性障害が顕わになってきてからというもの、次々忘れていくようになった。つい今しがた交わした約束や、つい今しがた食べたものさえ、私は容赦なく忘れるようになった。日常生活を営むことに支障がでるくらい、その健忘は半端なくなった。
あまりに次々時間や記憶を失うので、私は恐ろしささえ感じた。私の懸命な努力にも関わらず、私の時間や記憶は容赦なく欠落していった。次から次へ。
家族や友人にどれほど迷惑をかけたことか。数知れない。

最近は、解離性健忘の症状との付き合い方が少しずつ分かってきて、とにかく付箋とスマホのメモ帳機能を多用するようになった。本を開いている途中ではっとしたら付箋に殴り書いてとりあえず本に貼り付けてみる。カレンダーは家族全員の予定が書き込める代物を冷蔵庫に貼り付けて、忘れちゃいけない事柄をとにかくメモするようにする。その他友人と交わした言葉や約束は、スマホのメモ帳に走り書きするよう努めている。
でも。
私の記憶は基本、一日単位、だ。昨日食べたものの記憶や一昨日感じたことの記憶なんてきれいさっぱり失う。翌朝には空っぽ、だ。白紙だ。
「50回目のファーストキス」って映画で、新しい記憶は一日で消えてしまう短期記憶障害の女性が描かれていたけれど、私はとてもじゃないが、笑ってあれを見れない。私も似たり寄ったりだ。一日単位で私の記憶は上書き保存されるから。基本的に。

「先生、どうして私、こんなに覚えていられないんでしょうか」
「それがあなたの症状なのよ」
「・・・」
「解離性健忘の症状なの」
「治らないんですか」
「症状とどうつきあっていくか、が大事よ」

どうしても覚えていなくちゃならないことは、だから、次から次に文字に起こしておかないと、私は容赦なく忘れるんだとつくづく最近思い知った。
こんなことなら、PTSDの原因になっている被害のことも、すっこーん!と忘れ去られたらいいのになぁ、と思ってみたりする。解離性健忘が人一倍酷いことも、すっこーん!と忘れられたら楽かも、なんて。
いやいや、そんなことになったら、私はもはや、私を忘れそうな気がする。私が私であることを忘れないように、私は必死に私を繋ぎとめる。精一杯今日を生きて、今日を死ぬ。その繰り返しだ、と、自分に言い聞かす。それが私に、できること。


浅岡忍 HOMEMAIL

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