ささやかな日々

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2021年09月10日(金) 
時々、こう訊かれることがある。「昔の自分を今取り戻すことができていますか」と。
被害に遭った後と前とでは自分が違って感じられてしまうのは当然のことだ。それほどの出来事に出くわしてしまったのだから。私も、ずいぶん長いこと、元に戻りたいとか昔に戻りたいということを思い願ったものだった。でも。
戻れない、のだ。
幸か不幸か、戻れはしないのだ。あんな出来事に出くわして、何も知らなかった頃のようには振る舞えない。当然だ。
あんなことさえなければ。あんな目に遭いさえしなければ。
何度呪っただろう。恨んだだろう。悔やんだだろう。そうして最後は自分を責めに責めて、解離し、気づけば自傷行為を繰り返す日々だった。
いつ頃からだろう。そこから少しずつ、本当に少しずつ離れることができるようになって、今に至る。その今の私が先の問いに対してどう応えるかと言えば、ただこう応える。「昔の自分かどうかは知らないけれど、私は今の自分に納得しているよ、いろんなことを経て今の私が在るって思ってる、と。
被害をなかったことにはできない。あってしまったことはなかったことにはならない。どうひっくり返っても、なかったことにはならない。つまり、時を巻き戻す術をもたない私達人間は、出会ってしまったことをなかったことにはできない。そういうところで生きている。
そんな私は、被害後、様々な二次被害やら何やらに巻き込まれ、それでもここまで生きて来た。生き延びて来た。そんな私が、昔と全く同じ私のわけが、ない。
でも、十年、二十年、二十五年と時を重ねて来ることによって、気づいたらいつの間にか、こんな私でも、私は私なんだな、と思うようになってきていた。
昔と今とを比べることなんて、残念ながら、そもそもできないのだ。だって、被害に遭ってしまったから。被害をなかったことにすることはできないから。
昔の主治医に言われたことがある。私が何度も何度も「元に戻りたい、元に戻したい!」と繰り返し泣くのに対してこう言われたのだ。
「もし時間を元に戻したとして、そうしてそこでも被害に遭ってしまった時、あなたはここまで生き延びて来れるかしら? そのくらい大変な道のりだったはずよ。今回は幸運にも生き延びてこれたけれど、次回も生き延びられるかどうか、分からないのよ」
こう言われて、呆然としたことを今もありありと思い出す。何を言ってるんだ先生、時を巻き戻せたとして、そこでもまた被害に遭うかもしれないと?
と、そこまで考え至って、愕然とした。ああそうだ、被害に遭わないで生きられるのはむしろ幸運中の幸運で、誰が被害に遭ってもおかしくないのがこの世界の有様で。私がもし今時を巻き戻したとして、そこで再び被害に遭う可能性はゼロではないのだ、と。気づかされた。
ああ、ここから生きていくしかないのだな、受け容れて、すべてを受け容れて生きてゆくしかないのだ、と、そう私が腹を括ったのは、たぶん、あの時だと思う。
ここから生きるしかない。私はだから、そういうところで生きている。
今だって油断すると、ぶわっと感情が揺すぶられる。「あんなことさえなければ私は!」と、怒鳴り散らしたくなる。
でも。
それは、あり得ないのだ。あんなことは在ってしまったのだし、今の私はそれを経てここに在る。そもそも、被害をなかったことにするなんて、私には、できない。
だから、今私ができるのはただただ、すべてを受け容れて、引き受けて、黙々と生きること、だ。そう、思っている。


浅岡忍 HOMEMAIL

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