| 2021年09月17日(金) |
通院日。何を話したのか、もうおぼろげにしか思い出せないのが悔しい。私の脳味噌の皺はびよんびよんに伸びてしまっているんじゃなかろうか、とかなり真剣に思い悩む。 風呂の湯に浸かることが怖いという話。侵蝕される恐怖の話。決して家人が嫌なのではなく、私は今過去の亡霊に追い立てられまくっているという話。それを家人と話す時期なのではないかという話。他にも、大事な話をいっぱいした覚えが微かにあるのだけれど。思い出せない。
若い友人からメールが来て、そのメールに書かれている言葉にぐさぐさ来てしまう。それが昼間。だいぶ時間を経て、夜になってみれば、いやいや決して悪気のある言葉でも何でもなく、素直に思いを綴ってくれただけのことなのにと気づく。どうしてあの時はあんなにもぐさぐさ来てしまったのだろう、と。 疲れてるんだな、と今更だけれども思った。そうだ、私は疲れている。被害の体験を経た誰かと向き合うことに過敏になっている。怖いのだ、また傷つけたらどうしよう、また抉ってしまったらどうしよう、また裏切られたらどうしよう、などなど。考え始めるともう、恐怖で雁字搦めになってしまう。 余力がある時はそんなことはないのだ。ある程度の距離を保てる。でも。 今日のように、心に余力がないと、どうしても自責してしまう。自分をどうしようもなく貶めて、責めて、自らの手でずたぼろにしようとしてしまう。
心に余白を持つこと。大事だ。分かっている。その為にも私には、ひとりに還る時間が必要なのだ、とそのことも分かっている。 でもなかなか、この、ひとりに還る時間、というのを持てなかったりすると、こんなふうに、切羽詰まってしまうのだ。 NさんとTさんから電話を頂いて、なおさらに反省。お二人が心配するくらい私ははたから見ていても切羽詰まっていたのだな、と、今更ながら気づく。 気づかせていただいて、ただ、感謝。
こういう時はいつもとちょっと違うふうにしよう、ということで、珈琲を淹れる時に、カシアとナツメグを混ぜて淹れてみる。スパイスチャイティー風の珈琲に仕上がる。私の嗅覚はいまだ万全ではないけれど、それでも微かに、香りを感じ、ほっとする。珈琲なのにチャイっぽくて、チャイっぽいのに珈琲で。この、珈琲とチャイとの間を漂うような飲み物。とりあえず今夜のお伴。 読みかけの本も、せねばならぬと焦っていた仕事も、原稿も、全部今夜は棚上げ。保留棚にぽいっと放り投げよう。じきに降り出すのだろう雨の気配に垂れ込める闇雲の拡がる夜空を、こんな時だからこそぼんやり眺めて過ごそう。ただぼんやり。のんびりぼんやり。
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