ささやかな日々

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2021年09月18日(土) 
少しでも微かでも覚えていられるうちにと思い、家人に手紙を書く。先日の枕のことは私にとっては自分(の領域)が侵蝕されたように感じられたことや、最近のカウンセリングでの話等。勢いでとにかく書いた。それを読んだ家人が傷ついてしまうかもしれないと何処かで思いながら、どうかそういうふうになりませんようにと祈りながら。

雨が勢いよくざんざか降った日。でも午後ぽっかり青空が垣間見えた。その合間に、急いでワンコと散歩にゆく。喜び勇んで歩き出したのに、ワンコは散歩の半分も行かないうちからテンポが遅くなり。私は振り返ってはリードをくいっくいっと引く。その繰り返し。彼もこの九月に入って、鬱にでもなっているのかしら。

九月に入って体調を崩している友人らが多くいる。天気のせい、コロナのせい、季節のせい、いろんな要素が絡み合って、押し寄せてきている感じがする。世界についていけない、という友達の気持ちが私にも分かる。
私自身、ゆらゆらと揺れている足元を感じる。不安定なその足元をじっと見つめると、奈落の底に落ちそうな気がするから、できるだけ何も感じていないふりをしているけれども、本当は、じわじわと不安がそこに滲み出しているのを知っている。
こういう時思い出すのは、中島みゆきさんの「船を出すのなら九月」という歌だ。だから声に出して小さく歌ってみる。船を出すのなら九月、誰も見ていない星の九月、ひとを捨てるなら九月、ひとはみな冬の支度で夢中だ…。
何処かで聞いた、九月は自殺者が増える、と。納得してしまう。

珈琲の粉にカシアだけ足して、シナモンコーヒーを淹れてみる夜更け。いつも思うのだけれど、真夜中の珈琲ってどうしてこう美味しいんだろう。兄者が言っていたっけ、この背徳感がたまらないのだよ、と。背徳感かぁ、とその言葉に感心したんだった、あの時。私は背徳感とはまた違う、何というか、一日のうちで一番ゆっくり珈琲を味わってひとりを味わえる時間が真夜中だというのが大きく自分に作用している気がする。朝も昼も、なかば勢いで珈琲を飲んでしまうけれど、本当はこんなふうに、ゆったり自分に浸りながら珈琲を味わいたい。そう、まさに言葉通り、味わえる時間が、真夜中だ、ということ。どうせたいして眠れやしないのだから、それなら美味しいことをする方がずっと心の健康によかったりするし。

万田酵素の肥料を与えるようになってからというもの、ベランダの緑たちがぐいっと元気になった。何より葉の緑が冴えるほど輝いて見える。こんなことならもっと前からこの肥料に変えればよかったと思う程。
息子の植えたトマトが、今頃ようやく花を咲かせ始めた。それを見つけた時の息子の喜びようったらなかった。母ちゃん、三つもお花咲いてる!ううん、こっちにも咲いてる!そう大声で叫んで、私を呼んだっけ。さて、これが膨らんで色づくのにどのくらいかかるんだろう。秋も深まってしまうんじゃなかろうか、なんて想像すると、このトマトさんたちはなんてのんびり屋さんなんだろうなぁとちょっと可笑しくなって笑ってしまう。

明日の朝は、晴れるだろうか。久しぶりに気持ちの良い朝に会えるだろうか。今からどきどきしながら私はその空を待っている。


浅岡忍 HOMEMAIL

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