ささやかな日々

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2021年10月09日(土) 
晴れていた空が突如鼠色の雲だらけになり、なのに雨が降る訳ではなく。しばらくそうして雲が垂れ込めていた今朝。動物園の方から動物たちの鳴き声が響いてきて、大気を震わせているのが目に見えるかのようだった。
時々、そんなふうに、音が目に見える、時がある。
きらきら眩い光になって辺り一面に弾けている時もあれば、しんしんと足元を這いずるように横たわる時も。音によってそれは全く異なっていて、そのたび私はどきんとするのだ。どきんどきんどきん。ああ、見えるよ、と。聴こえるだけじゃない、音が見えるよ、と、どきんとするのだ。

嘆き悲しむ。その嘆き悲しみ方も、ひとそれぞれにあって、一様ではない。当たり前だ。だってそもそも、その対象に対してのスタンスも、ひとそれぞれなのだから、嘆き悲しむ道筋もそれぞれにあるというもの。
人前だろうと構わずおいおい泣いてしまう人もいる。一方で、淡々と過ごしているように見えてその内側で崩れ落ちんばかりに泣き崩れていたりする人もいる。どちらがどう、とかそういう問題じゃないんだ。道筋は、ひとの数だけある、ということ。

私は手話が上手じゃないから、耳の不自由な友人とはほぼ筆談で話す。ノートを間に、あっちこっちにお互い走り書く。言葉だったりイラストだったり、ただただマークだったり。線をぐちゃぐちゃ描いて頭がぐちゃぐちゃ!ってことを知らせたりもする。そんなふうに彼らと話をしていると、言語ってひとつじゃないんだな、って強く思う。
そしてふと、立ち止まる。今この、紙の上ペンが走り回る音は、私には聴こえているけれど、きっと彼らには見えているに違いない、と。
だから何だという訳ではないのだけれど。そんなことにどきどきして、私は時々どうやっても、雑踏のただなか、立ち止まらずにはいられなくなることがあるんだ。
流されて歩ければ、その方が楽なのに。ぶつかられても蹴られても、それでも立ち止まるしかない時というのがあって。
私は。

そういえば、昨日は鱗雲が青空全体を覆っていた。どこもかしこも鱗雲だった。そういう季節なのだな、と改めて知る。十月。神無月。ということは。あと少しで今年が終わるということか。
なんてあっという間なんだろう。歳をとるごとに、時間の速度が増していくかのようだ。そうしてふと横を見ると、息子が今日も「ね、どこまで走る?」と。ワンコの散歩の最中、彼はひたすら走る。駆ける。もう日も暮れて心配なのだが、じゃあ今度はどこまで?と繰り返し訊いてくる。だから、目に見える範囲で、あの角まで、とか、あの電信柱まで、と指をさす。全速力で駆けてゆく息子。ワンコはそんな息子に釣られることなく、いやむしろ、まったく気にすることなく淡々とマイペースで歩いている。だから私も、とことこと誰のことも気にせず歩く。
自分のテンポで歩くことができる、それはきっと、幸せなこと、だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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