ささやかな日々

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2021年10月11日(月) 
陽射しが強い。その陽射しを浴びながらせっせと自転車を漕ぐ。依存症施設までの道程約半時。車通りの多い通りから一本脇に入った道をするすると走る。信号も車もほとんどない道で風が気持ちよく渡ってゆく。この間まで百日紅が咲いていた小さな公園、今はコスモスが咲き乱れていた。クリーニングの下請けをやっているのだろう処では、今日ももくもくと蒸気が立ち昇っており。その蒸気が空にすうっと吸い込まれてゆく。青い青い空。
今日は、ちっちゃなタイムカプセルを作る。二人一組になってもらい、互いに互いを分かち合いながら、手紙を書き合う。半年後の、自分と相手への手紙。それぞれに書いてもらう。自分宛ての手紙と、ペアになった人が書いてくれた自分宛ての手紙を自分の箱の中に入れる。もちろん箱の中は、自分の大事な何かしらで埋めてもらう。
箱をあらかじめ作ってきている人、箱の中に詰めるものをいっぱい用意している人、一方で、手紙以外何も箱の中に入れたくないと頑なに拒否する人、箱を用意するだけで精一杯の人などなど、みんなそれぞれ。
半年後に箱を開ける、という前提で書き始めた手紙。いつのまにか部屋がしんと静まり返って、ただ、ペンを走らせるその音だけが響いていた。静かな時間。
結局、時間ぎりぎりまで手紙を書いていたひともいて、終了時間をちょっとオーバーしてしまった。みなに挨拶をして私は急いで自転車に乗り、帰路に着く。
息子が帰宅する直前に何とか自宅に帰りついて、今度は息子を自転車の後ろに乗せてダンス教室まで走る。何だか今日はひたすら自転車で走っているな自分、と思って笑ってしまう。そういえばこの間私の自転車に乗った娘が「ママ、この自転車、サドル硬くない?」と言っていたっけ。確かに硬いかも。今度お小遣いがあるときにもっとクッションのいいものに変えようかな、なんて考えてみる。

昨夜は、家人に手紙を書いた。家人がふと溢した言葉が、引っかかって、ずっと考えていた。その場ではうんうんと相槌を打っていたのだけれども、違和感がずっとあって、気になっていた。
「どうしてわからないんだろう」という家人の言葉は翻って「わかるはずだろ、どうしてわからないんだ?」という言葉にすり替わる。それはつまり、分かって当然、という前提が彼の中にあるということじゃないのか、と。私にはそう思えた。
でも。
分かって当然、のことなんて、何一つないと思うんだ。そもそもひとは、その人にしかない荷物を背負いながらその人が選んだ唯一の道を歩いている。その唯一の道筋を、分かって当然、と思うことは、傲慢以外の何者でもないのではないか、と。私にはそう思えたのだ。
だから、悶々と考えた末、家人や息子が寝静まった後、便箋を引っ張り出し、手紙を書いた。不愉快に思うかもしれないけれど、と一言添えて。
書き終えた代物を何度も読み返した。一瞬、もう渡さなくていいんじゃないかという思いも過ぎった。でも渡さないでいることは、黙ってそれを許容することであり。それはやっぱり違うんじゃないか、と。パートナーとして、伝えるべきことのひとつなのではないか、と自分を励まし、封をし、家人の机の上にそっと置いた。
彼が今日それを読んだのかどうか、私は知らない。彼は何も言わない。私も何も訊かない。

ダンス教室からの帰り道、もうすっかり暗くなっており。全速力で家まで自転車を走らせる。途中、どうしても肉まんが食べたいと言う息子に肉まんを買う。あっという間に食べ終えた息子は「口の中がまだほくほくする。美味しいなあ!」なんて言う。私はちょっと笑ってしまう。
それにしても。月がくっきり浮かんでいる。細い月。「母ちゃん、月のとこだけ雲があるね」と、ワンコの散歩時息子が指をさす。その雲も、今はもう消え去った。月だけがぺたり、空に貼りついている。

分かって当然、なんてことは何一つない。私はそう思うんだ。「どうしてわかってくれないの、どうして理解してくれないの、どうして」と、ひとはつい、そう思いがちだ。でも。
幸か不幸か、みなそれぞれに生きて在る。分かってほしいなら、言葉を尽くして伝えなければならない。伝えてはじめて、知り合えるんだ。
分からない、知らない、というところから始めなければ、何も始まらない。
私はそう、思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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