ささやかな日々

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2022年01月10日(月) 
手紙を書きながら、少し考え込む。じゃぁ君は今、何をどう考え、そして行為しているのか、と。

「被害者に許されようとは思っていません」と書いてくる元加害者の男性。許されるようなことじゃないと思っています、そういうことは加害者が考えていいことじゃないと考えます、とも。
そうか、それならそれで構わない。でも、じゃぁ君は今、何を思っているのかちゃんと教えてほしい。何を感じ何を考えているのか。どう行動しようとしているのか。君の生き様からそれはちゃんと伝わってくるか。
頭の中で考えているだけなら、誰にでもできる。そうじゃないんだ、君は君の加害行為は被害者を生んだ。被害者がここにいる。その被害者が、ああと納得できるくらいの生き様を、君はしているのか。
君は実際、どう生きているのか、今。

別にこの男性に限ったことじゃぁない。誰にでも言えることだ。過去の過ちを過ちとして、今どう生きているのか、その過去の過ちを糧に、今どう生きているのか。そのことが問われるのだと私は思う。それは当然私自身も含めて、だ。
私の過去の過ちを、過ちとして受け容れ、そのうえで、私はどう生きるのか。どう生きているのか。それが常に常に常に、そう、常に問われることになる。

過ちを犯さない人間などいない。残念ながら。それが現実だろう。清廉潔癖な人間など、実際何処を探してもいないに違いない。
だからこそ、だ。

過ちを犯した。その過去を、糧とするのか否か。そこなんだと思う。しかもそれはただ頭の中で考えて作り上げているだけではなく、きちんと血肉として、行動として生き様として、現れ出ているかどうか。そこなんだと、私は思う。

私にも過ちはいっぱいある。悔やんでも悔やみきれないことたちが幾つもある。あの時ああしていれば、あの時こうしていれば。考えだしたらきりがない。だからこそ。
今ここ、から始めるしかない、と、そうう思うのだ。何度でも何度でも。

今ここをどう生きるか。どう刻むか。

「他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる。 今、この時を認識すればよい。 過去や未来を生きる必要はない」(エリック・バーン)。
この言葉、私は、こう捉えている。他人と過去は変えられない。変えられるのは今ここと自分のみ。
つまり、今ここの連なりが私を形作る。今ここが常に試されているのだ、と。

だから、私は反論するのを止めた。その反論はまた反論の波を作る。それは延々と続く波紋のようになってしまう。
私にできるのはただ、実際にどう今ここを生きるか、のみだ、と。そう腹を括った。

なあ君よ。君はどう腹を括った? 私にあれこれ言う前に、生き様で見せてくれよ。示してくれよ。君の言う反省を、後悔を。懺悔を。そして、被害者となってしまった誰かに感じさせてくれよ。ああ、もう、十分だ、と。


浅岡忍 HOMEMAIL

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