ささやかな日々

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2022年02月17日(木) 
Kちゃんとほぼひと月ぶりに会う。ともに吉祥寺美術館で催している土田圭介鉛筆画展へ。
以前観た小さな作品ではなく、今回のメインはどれも大きな作品で。これを描くのは大変だったろうなぁなんて土田さんの容貌を思い出しながら観て廻る。鉛筆の、縦の線の濃淡で作り上げられる緻密な世界。
たとえば「悲しみ」を描き出す時、土田氏は「悲しみ」だけにスポットを当てるのではなく、「悲しみ」の「周辺」にも光を当てて描いていると私には感じられる。たとえば悲しみ乍ら笑っている、悲しみ乍らじっと佇んでいる、悲しみ乍ら怒っている、一言で悲しみといってもいろんな悲しみがあるだろう。悲しみは決してたったひとつでは、ない。たったひとつの角度だけでは、ない。土田氏はその「悲しみ」の全体を必死にすくい上げようとしているように感じられる。だから、鉛筆のモノクロームの線、しかも縦の線だけの世界なのに、とても重層的な世界がそこに生み出される。
今重層的、と言ったが、重奏的、と言ってもいいかもしれない。幾重にも重なり合う想い=メロディがそこに在る。だから、おのずと、近くに寄って凝視する時と一歩下がって俯瞰する時と、視えてくるものも異なってくる。そこが非常に面白い。
Kちゃんとふたり、展示室を往ったり来たりしながら、土田作品を堪能させてもらった。贅沢な時間だった。
帰宅後、昔購入した土田氏の小品を眺める。壁に掛かったその小品には小さな細い細い翼があって、でもその翼ではとても飛べそうになくて。そんな、ひっそりと像が佇む小品。もう私が購入できるような値段で彼の作品は販売されていない。あの時背伸びしてでも買っておいてよかったなあなんて、改めて思う。

帰宅後ワンコと散歩。病院へ。うちのワンコは病院が大好きだ。今日も病院の近くだと気づくと、途端に足取りが早まった。私がぎゅっとリードを引っ張ると、どうして引っ張るのさ、早く行こうよ!とばかりにこちらを振り向く。いやだからゆっくり歩いてと私もまたリードをきゅっと引く。
院長先生にいつものように検診してもらう。お耳もチェック。これから暖かくなると耳が爛れやすくなるから気を付けないとね、と言われ、私もうんうん頷く。体重が0.5キロほど増えていた。ご飯の量を気を付けねば。
そして帰り道。これまたいつものように座り込みされる。「帰るよ、帰ってご飯食べるよ!」と言っても座り込みをやめない。病院の帰り道はいつもそうだ。どうしてそんなに病院が好きなのだろう。肛門絞りや爪切りをされている時は大暴れするのに。いや待てよ、そういえば彼は暴れながら尻尾をぶんぶん振っている。あれは何故だ? 改めて彼の顔を覗き込み、訊ねる。「お家帰ろ、ご飯食べよ?」。渋々という顔で立ち上がり、私の後をついて歩くワンコ。今日も一緒に寝ようね。歩きながら彼に話しかける。

「母ちゃん!見て!満月でかいよ!」。夕食後、息子が教えてくれた。コンビニにアイスを買いに行きながら、私たちは月を見上げる。出掛けは半分雲に隠れていた満月が、帰宅する頃には全身姿を現しており。見事なでかさに私たちは玄関の前で立ち止まり言い合う。「ちょっと大きすぎるよねえ」「おっきいと気持ち悪いかも」「これが濃い色だと確かに気持ち悪い」「だよね!」。アイスを頬張りながらの月見は、さすがにこの時期、まだ寒い。


浅岡忍 HOMEMAIL

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