ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2022年06月12日(日) 
酷い頭痛から朝が始まった。右後頭部の表面がぎしぎし痛む。幾つも錐で穴を開けられているかのようなそんな痛み。あまりの痛みで呻いてしまう。頭痛薬を飲んだけれどもすぐに効かず、固めのブラシで後頭部をぐりぐりやってみたりする。立て続けに痛み止めを飲むのはいけないと分かっているけれど、種類の違う痛み止めをもう一度飲んでみる。
頭痛が微かに和らいだと思ったら今度は左半身の痛みが始まった。肩の痛みから始まり、臀部、太もも、とんでもなく痛む。身体を雑巾のように捩じられてる気がする。いっそ雑巾になった方が楽なんじゃないかなんてくだらないことを思い浮かべて気を紛らわしてみたりするが、痛いものは痛い。
それでも日常は廻ってゆく。息子は容赦なく「ご飯は?」と言ってくるし、ワンコも何度も飛び跳ねて「ご飯まだ?」とサインを送って来る。歯を食いしばりながら飯を作り、ふたりに食べさせる。
そうして何時間かした頃、痛みが少し和らいでくる。やけくそな気分でせっせとストレッチをしてみる。きっとよくなる。よくなるはず。そう信じてせっせとストレッチに勤しむ。

陽が陰った、と思ったらいきなり音を立てて雨が落ちて来る。あっという間に土砂降り。慌てて洗濯物を取り込む。呆気にとられながらその雨筋を眺める。ばんばんとアスファルトを叩きつけ、跳ね上がる雨はけぶっている。まるで雨の壁に閉じ込められたような錯覚を覚える。
私の頭の痛みも身体の痛みも、この不安定な天気のせいな気がしてきた。

たぶん。みんな希望が欲しいんだ。真っ暗闇の、とてつもない絶望の只中にあって、それでも生きようと思う為に必要な、微かでもいいから、希望を。欲してるんだ。きっと。Aちゃんと先日話しながら、そんなことを思ったことを思い出す。
性暴力被害から何十年と生き延びているモデルをみんな知らないから。ちょっとでも自分より長く生き延びているひとを見ると、それだけで圧倒されてしまう。そんな必要、ないのに。
でも。
分かる気がする。私も、もし自分より先にそういう存在を見たら、圧倒されて、それだけじゃない、こんなどうしようもない今ここでしゃがみこんでる自分を責めてしまっていた気がするんだ。自分なんかだめだ、と。
それでも。そうであっても。
希望の欠片が、ほしいんだ。生き延びるため、せめて。

ワンコを散歩に連れて出た時、ちょうど日が堕ちるところで。雨上がり、橙色の光がきらきらしていた。ねぇほら、きれいだよ、とワンコに話しかけるも、もちろんワンコははぐはぐと雑草を食んでいるばかりなのだけれども。まぁそんなものだよなと苦笑しながら共に歩く夕暮れ。雑草の先についた雨粒にさえ堕ちる日の光が差し込んで輝いている。
こんなに世界は美しいのに。どうしてこんなにも絶望が大きく圧し掛かるのだろう。

頬杖ついて、山積みの本の前で溜息をつく。どうしようと途方に暮れてしまう。文庫6冊、単行本3冊、とりあえず机の脇に山積みになっているんだけれども。早く読み始めようと思うのだけれども。そういう時にかぎって、読み始めるきっかけを掴めなくなってしまう。そもそも集中力が足りてない、今日この頃。
いや、それより先に、今月末に控えている講義の準備を整えないと。いい加減もうやらないと。
本を読むにも準備を整えるにも、こう、集中力が。
5分でもいい、集中のきっかけがほしい。意識が散漫になってばかりで、流れに乗るきっかけが、掴めてない。嗚呼。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加