ささやかな日々

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2022年06月20日(月) 
午前4時。東の空を見やったらピンク色に燃え上がる様に出会った。地平線から拡がるその色は徐々に徐々に大きくなりあっという間に空高くまで輝いたと思ったら、今度は瞬く間に消え去った。本当に一瞬の輝きだった。
後に残った曇天は、のんびり横たわっており。先程のあの輝きのことなどちっとも気に留めている様子はなく。その瞬間瞬間がまさに唯一無二なのだなと改めて思う。そんな、朝。
早々に息子が起きて来た。サンドウィッチを作って差し出す。もちろん彼の大好きなミニトマトも添えて。
朝顔の蔓がもう息子の背を越えて伸びてきている。蕾もちらほら。「今年早いね」「だって種撒くの早かったじゃん」と息子と朝顔を見上げる。挿し枝した紫陽花は、順調に育っている。ありがたいことだ。アメリカンブルーが今朝も咲いた。四つの青い花。微風にふるふると揺れる花弁。かわいい。

ふだん午後からのプログラムを午前中に変更してもらい、朝から依存症施設へ。今日は次回やるフォトコラージュの素材を撮影することに。今の自分の中の暗い部分を形にする、ということで、そのための素材を二人一組になって近所で撮影。
早朝の曇天が嘘のように晴れ渡り、みんなして暑いね暑いねと言い合いながら歩く。まだ6月なのにこんなに暑くて夏はどうなるんだろうね、なんて話しながら。はじめましてのひともいて、のんびり進む。
自分で午前中にプログラムを変更したくせに、時計が12時を指しているのを見て「え?!12時?なんで?」と私が慌ててしまい、みなにきょとんとされた直後大笑いされる。相変わらず抜けている自分。
午後はS先生の知り合いの法務教官であるTさんと会う。

「どうしたら安全か、このひとは敵か味方かっていつも考えてしまう」「ほんと戦場にいるみたい、PTSDあるあるなんだろうけれども」とAちゃんが呟くのを聞いて、ああ、私にもそういうのがあったなと思う。でも、同時に、ちょっと違うな、とも。
今のようにPTSDが当たり前にあった時代ではなかった、私の時は。私が被害に遭ったのは阪神淡路大震災の直後。PTSDや心のケアというものが言われ始めたのはまさにこの、阪神淡路大震災から。それまでそういったものは日本ではほぼ、なかった。だから、私には当時、自分の病気に対する知識がなかった。主治医が説明してくれたこともあったと思うのだが、混乱のさなかだった私はそれらを次から次に失い、だから病識というものがまるでなかった。それに比べ、Aちゃんはちゃんと主治医から教えられたことを受けて、自分が今解離が少しおちついて侵入症状が出始めている状態、ということへの認識があったりする。これ、大きな違いだな、と。
自分の状態に言葉が与えられているというのは、それを認識するうえで明らかな違いを生む。こんな感じ、あんな感じ、ではなく、これこれこういうもの、と言い表すことができるか否か、はその後大きな差異が生じる。
やっぱり。時は流れてるんだな、と。それと共に少しずつほんの少しずつかもしれないけれども、社会は変わっていっているのだな、と。そのことを、強く、感じる。
もちろん。充分なんかじゃない。まったくもって充分なんかじゃぁない。そのことは痛いほど分かっている。それでも。

時代は日々刻々と動いているのだな、と。そのことを、思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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