2022年06月28日(火) |
丁寧に顔を洗っていたら、日の出を見損ねてしまった。とても損した気分に陥る朝。植木に水を遣りながら、もう昇ってしまった太陽をチラ見する。日の出、見たかった。 この数日続いた暴風のせいで、薔薇がぼろぼろになっている。薔薇の葉は薔薇の棘で傷つき、酷い子は隣の薔薇の棘に葉を刺さらせたまま斜めになっていたりする。棘を持つというのはそういうことなのだな、としみじみ思う。薔薇を眺めていると、自分の加害性について考えずにはいられなくなる。 名無しの権兵衛のプランターの中ですくすく育つ子ら、秋になったら植え替えてあげないといけない。だんだんスペースがなくなってきている。この子らが誰なのか分かるまで、ゆっくりつきあおうと思う。 息子が担当しているエリアでクリサンセマムが終わったのだけれど、そのクリサンセマムをどけたら下から、これは恐らくレモンの芽だと思われる子らが続々出てきており。あれ、ここに植えたんだっけか、とびっくりする。すっかり忘れていた。まっすぐに陽の光に向かって背を伸ばす子らの姿を見、何だか嬉しくなる。 そして今朝、朝顔が一輪咲いた。赤紫色の子が今年の最初。息子が、やっぱり朝顔ってきれいだねぇ、と言う。私から見ると朝顔は儚い花に思えるのだが、息子にとってはそんなことはどうでもよくて、この、目の前でひらひらと揺れる色の美しさに、彼は見惚れている。同じ朝顔を見ながら、私と息子の違いを知る。
作業部屋に置いてあるルーターやモデムの調子がおかしくて、ネットが使えない、という事態発生。息子も家人もこういう時頼りにならない。どうしてこういうことの知識なんてもっていない私が修理をすることになるんだろう、といつも思う。今回も、「ネットつながってないよ、母ちゃん」「困ったねえ」それぞれに好き勝手言っている家人と息子を無視しつつ、ああでもないこうでもないといじってみる。 何かがおかしい、そうでなければ動かなくなるわけがない。後になって知ったのだが、どうも掃除をしている最中に家人がルーターとモデムを落としたか何かしたかで、ケーブルが取れ、それを彼が適当に繋いでしまったらしい。そんなこと知らないから、私はあれやこれや試みるわけなのだが、うんともすんとも動かない。そうしてようやっと、何か配線が違ってるのでは、と思い至り、早速やってみる。もちろん私は正解がどれであるのか知らないので、ひとつ試みては確かめて、また試しては確かめて、を地道に続けるのみ。あっという間に汗だく。どうして我が家の作業部屋にだけクーラーがないのだろう、とつくづく不思議に思う。 結局繋がったのは夜も近い時刻。嗚呼、私は何をしているのか。
現代思想7月号が加害者特集ということを家人から教えられ、早速購入する。冒頭に小松原織香さんと森岡正博さんの対談記事。これは読まねば、と早速頁をめくって頭を抱えた。この文字の小ささ! 老眼真っただ中の私はとてもじゃないがまともに読めない。困った。読む気満々でページを捲ったのに、これはあんまりだ。 文字の大きさ、字間、行間、余白の用い方。もちろんフォントも。こういったことすべてをデザインするデザイナーが、きっと、若いひとなのか老眼とは無縁のところで生きているひとなのか、なんだろう。彼らには見えて年老いた私にはとてもじゃないが読めない。読み続けられない悲しさ。しみじみ噛みしめる。 昔母が言っていた言葉を思い出す。「老後は読書を楽しむんだと楽しみにしていたのに、実際老後になったら文字が読めなくなってて、読書を楽しむなんてできないのよ」。なるほどなぁと思う。文字を追うのが苦痛にしかならなくなってしまったとも母は言っていた。 老人にもやさしい本づくり。大事なんじゃないのかしら、と今更だが思う。
今日も今日とてカナヘビ君の餌採集、息子がせっせとバッタを確保してゆく。このくらいあれば今日は充分かなあと言いながら、いやあともうちょっと、と次を探す。赤ちゃんのバッタは捕らないんだ、見つけても逃がすんだよ、と言う。どこでそんな知恵を得たのか。彼のそういうところ、私は好きだ。 そしてカナヘビ君は、息子が設置した樹の皮の下から頭だけ出してきょろきょろしている。こうやって見ると、まぁちょっと、かわいいかもしれない。いや、触ったりは私は絶対したくないけど。
書き忘れていたが。今日は次回の加害者プログラムの打ち合わせで、S先生と会った。孤立化とつながり。加害者にも被害者にもあるそれら。必要なそれら。言葉にすると同じだけれど質が異なるよねとS先生とやりとりしながら考える。また、加害者と被害者の、その後の性の問題についていつか扱いたいねとも話す。 帰りに商店街を潜り抜ける時、さつまいもソフトを横目で見て、今日も諦める。食べたいけどソフトクリームに350円はちょっと。嗚呼、あと少し安ければなぁ。 汗だくになりながら帰る。6月が終わろうとしている。 |
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