2022年07月09日(土) |
植木に水を遣りながら、植木の様子をチェックしていく。先週の強風続きの数日のおかげで、薔薇たちはすっかり葉をぼろぼろにしてしまった。棘があるってこういうことなんだなぁといつも思う。薔薇は美しい、と言われるけれど、その美しさの陰にはこれだけの彼らの努力があるのだよなと。日々を風を黙って耐え忍ぶ彼らの姿をここでいつも見ているから猶更に。 宿根菫は伸び放題に伸びているので、近々刈込をしてあげないと、と思う。名無しの権兵衛のプランターの中、にょきにょき育つ子らは相変わらず元気。夏が終わったら早々に植え替えしてやらないといけない。心配なのは朝顔。なんかおかしい。葉の様子がおかしい。アメリカンブルーと同じ灰かび病なんじゃないかと思えるのだがどうなんだろう。花のつきも悪い。息子はまったく気に留める様子はないのだけれども。私は気になって気になってしょうがなかったりする。
どのくらいぶりだろう。久しぶりにMりんに会った。いつものナポリタンでランチを、と約束していたのだが、何故か今日に限ってそのナポリタンの店が臨時休業で。結局、もうひとつ私が知っている珈琲の美味しい店まで歩くことにする。 彼女の息子の話、私の息子や娘や孫の話、写真の話、あれやこれや、話題が尽きない。彼女とはTさんを通じて知り合ったと記憶している。あれから一体何年経つのだろう。 陽射しがぎらぎらと照り付けていて、歩きながらふたりとも汗が噴き出して仕方がなかった。「マスクいい加減どうにかしてくれないかな」と言いながら笑い合った。笑い合える相手がいるって、ありがたいな、と、思う。こんな時だからこそ、他愛ない話題でからからと笑い合える。大切なことだと思う。
自分で自分の歪みに気づき、かつ、それを受け容れられるひとっているのだろうか。私はそんなできたひとにはほとんど出会ったことが、ない。歪みや偏りに気づいてはいる、くらいがせいぜいだろうか。 歪みや偏りに気づいてはいる、というのにも幅があって、なんかひとと違うな、という程度のひともいれば、自分はヤバいと気づいてるひともいたり。そういったことを、自分だけで引き受ける、というのは、本当にしんどいものだ。だからこそ、引き受けられずに目を逸らしてしまうことがほとんどだったりする。 何となく違うな、と思った時に、それを打ち明けられる「他人」がいない。この「他人」こそが大事になってくると私は思うのだけれど。こうした「他人」がいないことが、今の時代の、大きな「欠陥」になってるんじゃないか、と、最近強く思う。 先日の日記にも書いたけれども。みんな忙しすぎて、自分のことだけでもう精一杯で、だから、「おせっかい」を焼ける隙間がもはや残っていなかったりする。でもこの「おせっかい」こそが、社会を穏やかに廻す「潤滑油」みたいな役割を負っていたりするんじゃないか、と。
まだうまく言えないのだけれど。でも。そう、思うのだ。
ひとごと、じゃなく。わがこと、にできるおせっかいさ。それが今、必要なんじゃないか、と。 |
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