ささやかな日々

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2022年07月13日(水) 
加害者プログラムへの手紙を書いていたら、あっという間に夜明けになってしまった。彼らの手紙に真摯に向き合おうとするほどに、当たり前だけれどもエネルギーを要する。彼らの認知の歪みに正面から向き合おうとするほどに、細心の注意が要る。私の言葉遣いひとつで何かがまた掛け違えを起こしてしまうかもしれないと思うと、言葉選びにとんでもなく時間がかかる。そんな具合だから、生半可な気持ちでは書き出せない。今回は一週間以上書き出すのに時間がかかってしまった。
私が伝えようとしていることが10あったとして。そのうちの1、2くらいでもいい、ちゃんとまっすぐに伝わってくれたら。もうそれで十分と言ってもいい。最初から丸ごと伝わるなんて思っていやしないから。伝わる何かがあれば、それで、いい。
被害者にとって被害は被害そのものだけではない、被害後を生きるそれ自体もが被害に含まれるのだということ。たとえば「死にたい」ひとつとっても、被害者のそれと加害者のそれとは異なっている、それは何が異なるのかということ。今謂われる男らしさは本当に強さなのか、本当の強さとは何なのかということ等々。挙げ出すときりがないのだけれど、どれかひとつでもいい、読む彼らの心に届くと、いい。

依存症施設のKさんが、カマキリを二匹捕まえてきてくれた。息子にどうぞ、と。緑色のカマキリと茶色いカマキリ。どちらもとても小さい。息子に渡すとそれまでへそを曲げてぶーたれていた顔がぱっと明るくなる。
あまりに嬉しかったのだろう、カマキリを弄繰り回している。そんなことしてると死んじゃうよ?と言ったそばから、茶色いカマキリがころっと死んでしまった。
ショックを受けた息子がギャン泣き。ワンコを連れて寝床に泣きにいってしまう。緑色の子もびよーんと身体を伸ばして横たわっている。
命ある者は誰も等しく死ぬのだよ、という話をしんしんと伝える。もちろん彼はそんなの今受け付けられない。大好きな、ようやっと手に入れたカマキリが死んでしまった、そのショックの方が何億倍も大きい。しかし。
「父ちゃんも母ちゃんも、いずれ君より先に死ぬんだよ」と言ったところで、彼が黙り込む。でもそれが事実であり、どうしようもなくやってくるだろう現実であり。結局、泣きべそをかいたまま彼は寝付いた。
翌朝、なんと、虫籠の中で緑色のカマキリが動いているではないか。
「母ちゃん!これ、脱皮してたんだよ、脱皮!」
カマキリが脱皮するなんて、私は初めて知った。なるほど。茶色い子は間違いなく死んでしまっており。公園に埋葬することになった。
カナヘビと共に別の虫籠で育てることになったのだが、もうこれ、餌確保が凄く大変って話なんじゃないか?と、母は戦々恐々となっている。母ちゃん、もうこれ以上バッタ捕り手伝わないよ。

* * *

高校の時友人が飛び降りて死んだ。新聞にも小さく記事が出た。学校での虐めだけじゃなく両親が「宗教」に嵌ってそれについても悩んでいたと後で彼女の遺書によって知った。「宗教」に対して一歩置くようになったのはあれからかもしれない。ひとの命を奪うようなものが「宗教」なら、私はそんなもの要らない。
親からのネグレクトと過干渉とに悩んでいた十代、必死に神に祈った時期があった。救われたくて必死に縋った。でも、祈っても祈っても私は救われなかった。特定の神様より、海や空や植物たちが醸す生命力に自分が引き上げられることに気づいた。神なんかじゃない、等しく与えられた命こそ私には尊い。
私がどん底にいた頃、いつだって、ぎりぎりのところで手を伸ばしてくれるのは、数少ない友人らだった。神様なんかじゃなかった。私の命をひっぱりあげてくれるのはいつだって、命ある者たちだった。死んでいったかつて命あった者たちもそうだ。私をとことんのところで後押ししてくれた。
神様や薬は、一時凌ぎにはなっても、私をすくい上げてなんてくれなかったし抱きしめてもくれなかった。だから私は、私と同じようにどん底でのたうち回り足掻いてる命たちこそを信じる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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