バビロンまで何マイル?
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2006年09月15日(金) 10W病棟(5)

ちょっとだけ更新ペースを上げてみる。書き出してみたらこれ含めて後4回分あった。

精神科病棟にはいろんな人がいる。
半分は10代〜50代くらい、あと半分はお年寄り。お年寄りの多くは程度の差はあるが認知症らしく、公的支援が受けられるように手続きをする間、入院しているという感じの人が多い。
私の同室者も2人おばあちゃんだった。「看護婦さんや先生に嫌われている」「私が食堂に出ていくとみんなが嫌な顔するから行かない」「ほんとは私と一緒にいるの嫌でしょ」などと言っては私や姐さんに「そんなことないから(食堂でご飯食べよう)」と言われていたおばあちゃんも、薬が代わったら愚痴がぴたっと止まり、だいぶ普通に話せるようになった。現実はそうでないということが分かってきたらしい。薬との相性もあるんだな。
とはいえ嫁の愚痴を言うときが一番しゃっきりするんだ、これが(苦笑)。

人の区別が全く分からなくなってしまったおばあちゃんもいたのだが、時々見せる笑顔が大変可愛らしく、ある意味患者達のアイドルのような感じだった。看護師に付き添われて病棟内を「散歩」するときは、私たちは彼女の名前を呼んでは手を振り、笑い返してくれるととても幸せな気分になった。
逆に、機嫌の悪いときには手を振ってもぷいっと横を向かれてしまうこともあるのだが、私たちにとってそれはそれでかまってもらえて嬉しいのだ。

まだ10代〜20代はじめと思われる青年。
私が入院してしばらくは顔も見なかった。少しして看護師が食堂に連れ出してくるようになったものの、テレビの前でうなだれているだけで、看護師さんに半ば強制的におやつをもらってもろくに食べずにじーっと下を向いていたのだが、そのうちテレビに顔を向けるようになり、その視線もだんだんしっかりしてきた。そして食事のトレイを自分で下げに来るようになり、おおおっと思っていたら、私が退院する頃には「おやつ下さい」と看護師さんに言うようになっていた、しかも笑顔で。…まだ若いというのもあるだろうが、精神病だ何だっつったって病気は適切な治療をすれば治るんだよ。すげぇなぁ、と思った。

若者はだいたい私と同じ感じか。あまり病状を詳しく聞いたことなかったし。ただ全員微妙にぶっ壊れているだけなので会話はおおむね普通にできる。といっても他愛のない話ばかりしているわけだが。
勿論それができない人もいて、時々突拍子もないことを聞いてくる人もいる。
頓服の薬(1日3回までもらえる)ばかり飲んでラリ気味の人もいる。病状がちょっとキツいんだろう。

姐さんとは病室で、あるいは喫煙所でいろいろ話をした。堅い話から身も蓋もない下世話な話まで。
ある日病室でふと「こんなんなっちゃって老後が怖いねー、どうしようね(ちなみに姐さんも独身)」などという話をし始めてしまい、二人で喫煙所に行っても自分の遺体の処理をどうしてもらうのがいいかという話をしていたら、後から入ってきた男性に「あんたら、なんつー話してるんだ」と笑われた。
 姐「だって切実だよー。看取ってくれる人いないんだから」
 私「そですよ、このままじゃ老後は団地の一室で腐乱死体になるかもなんだし」
 男「辛気くさい話をするなあっ」

喫煙所では本当にいろんな人と話をした。私と同じように休職している人もたくさんいる。自然と「復帰できるかなー」という話になる。私以外の人はたいてい過去に入院歴があり、まあ何とかなるさ的に考えている人が多かったのだが、私は初めてだったのでそこのところが一番心配だった。
「慌ててもしょーがないよ、少なくとも今は休むことだけ考えなよ」と何度言われたか。まあそうなんだけどね。

(続く)


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