バビロンまで何マイル?
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今回はちょっといい話。
入院中はちょうど、高校野球の実施期間だった。 おじいちゃんで一人野球の好きな人がいて、しかも早実出身。「(早実が)いつ試合するか分からないから」と、昼の間は毎日食堂の指定席に座って、NHKを見ていた。新聞は毎日届けられるので、見ればその日の試合予定は分かるのだが、そこは軽い認知症のおじいちゃん、覚えられなかったらしい。 食堂にはテレビが2台あったのだが、高校野球期間中、片方はそのおじいちゃん専用。途中でもう一台のテレビが壊れて撤去されてしまったのだが、おじいちゃんの熱心さに押され、みんな好きなようにさせていた。 早実が勝つとおじいちゃんは満足げにうなずいていた。看護師も患者も「よかったねえ、もうすぐ決勝だね」などと声をかけていた。おじいちゃんも「早実が勝った次の日は新聞を買っておいてもらってんだよ」と応える。本当に楽しみなんだなあと思っていた。
そして例の決勝戦。 その日はいつもより多くの人たちが食堂に集結していた。私も普段は野球を見ないのだが何となく顛末が気になって、試合開始から食堂にいた。ど素人の私から見ても面白い試合だったが、結局再試合となる。 「いい試合だったけど、決まらなくて残念だったねー」との看護師の言葉に「いいんだよ、明日もまた見られるんだから」と言うおじいちゃん。何とも良い笑顔。
翌日の再試合、ご存じの通り熱戦の末早実が優勝した。 この日は「教授総回診」などもあり、ちょうどいいところで患者全員が病室に戻らなくてはいけなかったのだが、回診が終わった途端(確か8回か9回か、その辺だったと思う)、かなりの人が食堂に出てきていた。…教授まで立って見てるよ(笑)。 試合終了の時は歓声と拍手。おじいちゃんは涙ぐみながら校歌を口ずさんでいた。みんながおじいちゃんに「おめでとう」と声をかけている。 この日姐さんは体調が悪く、試合結果(というよりおじいちゃんの様子)を気にしつつも病室で休んでいたのだが、私が「早実優勝したよ」と伝えに行くと、「おじいちゃんに『おめでとう』って言わなくちゃ」と私にすがりつきながら食堂へ。 「よかったねー、おめでとう」と姐さんが言い、おじいちゃんは涙を拭きながら「ありがとー、こりゃ一生の思い出だよー」とそれは嬉しそうに言う。 「何言ってるんですか、来年だって強い選手が入ってきっと出られるから、まだまだ優勝するの見なくちゃ」と私が言うと、「そだなー、長生きしなくちゃなー」と。来年も再来年も甲子園みなくちゃね、おじいちゃん。
その日の夕方、おじいちゃんは自宅に電話をかけていた。かけ終わってからふと私の座っていたソファの所に来て、「明日のスポーツ新聞買っておいてくれって家に頼んだんだよ」とにこにこして言う。 もちろん各テレビ局のスポーツニュースも消灯ぎりぎりまで見ていて、また涙ぐんでいた。(後で聞いた話では、「ニュースとかもビデオにとってもらったら?」という男性患者のアドバイスもあり、また電話をかけて頼んだらしい)
私が退院間近になり、病院の中庭にあるベンチで姐さんと話をしていたら、一時帰宅していたおじいちゃんが夫人を伴って帰ってきた。「お帰りなさい」と声をかけた私たちにおじいちゃんは「おいしい物たくさん食ってきたよー」とご機嫌な様子。 私「優勝の時のビデオとか新聞とか見た?」 爺「見たよー。また泣いちゃったよ」 奥様は私たちに「もー、うるさくて大変だったでしょ」というので、私は「いやいや、旦那さんのおかげで高校野球が楽しかったですよ」と応えた。これは本当の気持ち。
今年の夏はこのおじいちゃんのおかげで、本当に高校野球を楽しむことができたと思う。
(続く)
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