Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
2002年10月08日(火) |
アニメ思い出館 第4回 「Dr.スランプ アラレちゃん」 の巻 |
今回で4回目を向かえたこの自己満足評論シリーズ。今回は「Dr.スランプ アラレちゃん」を取り上げたいと思います。因みに今回は「パーマン」とは逆に旧作版の方を中心に語りますのでご承知のほどをお願いします。
簡単あらすじ ペンギン村に住むスケベな天才科学者・則巻千兵衛(センベエ)博士は一体の完全自立型の女性アンドロイドを作り上げることに成功した。「アラレ」と名づけられたその少女は、しかし博士の思惑とは別にとんでもないパワーと思考回路を持つメチャンコガールになってしまった!キーンと走ればドドンがドン、ガッちゃんをお供に近所の悪ガキ友達木緑あかねや空豆タロウ・ピースケ兄弟と今日も恐怖の「よいこっこ」。アラレちゃんの行くところ、必ず嵐が吹き荒れるのであった。
個人的解説 いわずとしれた鳥山明原作の大人気漫画のアニメ化である。原作付きのアニメは往々にして出典とのイメージが合わず、アニメ単体としては失敗作に終わるケースがままあるが、本作では原作の雰囲気を上手くアニメ的文法に置き換えることでアニメ作品としても成功に帰している。一方、同じ鳥山明原作の「DRAGON BALL」は鳥山の画力が発達しすぎて、アニメスタッフがついていけられなかったきらいがある。漫画のアニメ化はなかなか難しいのである。
話を元に戻そう。アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん(以下『アラレ』とする)」はとにかく原作以上に勢いがあり、何物をも寄せ付けぬパワーを内包していた。またアラレ役の小山茉美の熱演や主題歌の大ヒットも手伝って「うる星やつら」と並ぶ80年代初頭の記念牌的作品となった。お腹を抱えて笑うような面白さはないが個性的なキャラクターが集まってワイワイガヤガヤやっているのがなんとも楽しい。お日様やお月様、山や木、果ては建物や小物にまで人格が与えられ、ゴジラやガメラが違和感なく存在する世界の素晴らしさ。明らかにこれまでのアニメとは一線を画している。また少々Hな描写もあるのだが「スケベであってもエロくはない」というさじ加減が絶妙で、総じて健全で家族揃って楽しめるアニメとして定着したのである(それでも、当時「アラレを見るのは禁止」という規律が作られた家庭も多かったそうだが)。
キャスト 先述したように何といってもアラレの小山茉美に尽きる。なんとも可愛らしく、そしてとびっきりバイタリティーに溢れている。あの声はおいそれと常人が出せる代物ではない。小山氏自身も「アラレ」の頃は何度も喉をつぶしてしまったそうだ。まさに役者生命を賭けた「熱演」であった。そしてその演技が認められ「小山氏の声こそアラレブームを牽引した一番の要因である」と言われるほどの名誉を獲得したのであった。 その他でも本当は主人公であるはずの則巻センベエは内海賢二がベテランゆえの味わい深い演技を披露しているし古川登志夫や杉山佳寿子は健康的不良学生をのびのびと演じている。また山吹みどりは洋画のマリリン・モンローの吹き替えで有名な向井真理子が演じ絶対的な存在感を出している。
考察:「アラレ」が支持されたわけ さて、ここからは何故「アラレ」があれほどまでに受け入れられたのか、ということに関して一歩踏み込んだ考証をしてみたいと思う。原作とアニメをない交ぜにすることをご承知願いたい。
「週刊少年ジャンプ」にアラレが初めて姿を表したのは1980年の1月であった。高度経済成長による栄華の極みとして大阪万国博覧会が開かれ、その後ドルショックやオイルショックを経た激動の70年代は終わりを告げ、先行き不透明、混迷の80年代の幕がいよいよ上がったばかりのことである。時代はまだ明確な方向性を打ち出せていなかった。
そんな時代の趨勢の中、新連載として「Dr.スランプ」は始まった。当時まだ24歳であった鳥山明が創り出した世界はそれまでの漫画界の常識を幾重にも打ち破る革新的なセンスに満ち溢れていた。完全にデフォルメされているのに細部まで徹底的に描き込まれた画法。イラストレーター出身の鳥山だからこそ描くことの出来たワンダーランド。ディズニー風でも手塚風でもない、「鳥山風」がここに確立されたのであった。 そして作品の雰囲気も極めて異彩を放っていた。ドロくさいわけでもなく、かといって洒落込んでいるわけでもない。言うならば乾いた情景。どこまでも陽性でカラリとしている。作品に情緒性の入り込む隙はほとんどない。
結果論ではあるが80年代はこんな漫画の登場を待ち望んでいたのだ。80年代初頭、バブルという狂乱の経済成長に入る前にして人々はただひたすらに「パワー」を渇望していた。そんな折に突然登場したアラレはまさにパワーの塊であった。両手を広げ、意味も無くキーンと走り回るアラレは時代のけん引役にうってつけなのであった。
かくして漫画「Dr.スランプ」は読者から圧倒的な支持を受けることになる。いつからか「アラレブーム」が巻き起こり、それに後押しされる形で一年余りのタイムラグの後にテレビアニメ化を果たすことになる。これがブームをさらに加速させる。視聴率は回を重ねるごとにうなぎのぼりに上昇し、81年年末には最高視聴率37%弱を叩き出す。「んちゃ」を始めとして「キーン」「ばいちゃ」「ほよよ」「うほほーい」「きゃはは」などのいわゆる「アラレ語」をみなが使い、あるいは主題歌「ワイワイワールド」が空前の知名度を得、劇場用アニメの興行収益も上々、東映アニメーションの看板作品として不動の地位を築き上げ、最終放送年数5年というロングヒットアニメとなった。時代は「アラレ」を全面的に支持し、「アラレ」は時代のパワーを作り上げ、そして後押しした。この一見「異様」とも取れる相乗効果によって「アラレ」は視聴者の心に残る永遠性を獲得したのであった。
97年のリメイク作品「ドクタースランプ」が今ひとつ人気を得られなかったのはスタッフ・キャストを一新したことによって生じた違和感もさることながら、やはり「時代」が噛み合わなかったのが一番の理由として挙げられるだろう。バブルの夢はとうの昔に破れ、企業倒産・金融不安・官僚汚職が続発し、さらには消費税が3%から5%に引き上げられ人々は行き場のない不安に包まれていた。最早、新しきパワーを作り上げる意欲すら湧いていなかったのである。時代はアラレの再来を望んでいなかったし、アラレは時代にパワーを与えることが出来なかった。旧作の溢れ出るマグマのような勢いを出すことが出来ぬまま結局小さくまとまった作品として2年弱でブラウン管から姿を消すことになる。このことからも「アラレ」と80年代の並々ならぬ関係性が浮かび上がってくる。
漫画「Dr.スランプ」およびアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」は時代の雰囲気にジャスト・フィットすることで絶大な人気を得た作品である。まだ日本がとどまることのない経済成長を信じていた時代だからこそ受け入れられたワンダーワンドの具現化。まさに桃源郷なのであった。<第4回 終わり>
橋本繁久
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