Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
2003年11月24日(月) |
掛井真砂子の素敵な一日 |
私の趣味に「父の本棚を漁る」というものがある。別に好きでやっているわけではない。本は大好きだが、最近の本は無闇に高くてケチな私には手の出せないものが多い。となると懐を痛めずに本を得るには図書館で借りるか古本屋を渡り歩くぐらいにしか方法はなく、それでは好きな本の準拠所としていささか心細い。帯に短したすきに長しというか、ふぐは食いたし命は惜ししの心境で、どうにか無償で本を手に入れられないかと頭を絞りにしぼった私の記憶の片隅に、ふと父の本棚が思い浮かんだ。私の父もまた本が好きで、趣味趣向に多少の違いはあるものの、何と言っても血続きなわけであるから、私の好みそうな本もきっとあるに違いない。そんな淡い期待に胸をときめかしながら敢えて埃とカビがはびこる部屋に身を投じたのであるが、期待は見事に空振りとなり、数時間後、時代小説の山を抱えて呆然とする私の姿を母が認めてしまうのであった。それでも私の本棚通いが趣味になるまで続いたのは、ごく稀にとんでもない掘り出し物に遭遇することがあったからだ。前述の通り大半は時代小説で、要するに私にはあまり興味のないものばかりだが、たまに世間の評価とは別に私が個人的に敬愛する作家の作品を見つける。まあ、丁半博打みたいなもので、良い本を見つけられるかどうかはその日の運と言った感じだった。今回もそういう軽い気持ちで本棚に趣いて、徒然なるままに散策を開始したのだが、早々に一冊の変わった雑誌を見つけた。表紙が破け、紙が黄ばんだかなり古そうなものだ。右トジ・縦書きで236ページ。どうやら同人誌のようで、あまり上質とは言えない小説や評論が載っている。どうも素人臭の抜けないものばかりである。これ以上見るべきところなしと本を脇に置こうとした時、執筆者一覧の中に新村健介の名を見つけた。私は驚きのあまり心臓が飛び出る思いがした。私は新村の大ファンであり、それ故に何故こんなつまらない本に彼の文章が載っているのか不思議でしょうがなかったのだ。本の発行年月日(1973年12月7日)から考えるとおそらく彼がまだ無名時代の頃の作品であろう。 そこにはこんなことが書いてあった。
(まえがき) これは私の友人である、とある大学講師の平穏なる一日を、彼女が言うままに記述したものである。従っていわゆる物語や小説のような起承転結や序破急、都合のいい展開あるいは予定調和といったものは存在しない。同時に文章の上手さやストーリーの面白さも一切ない。何故ならこの文章は単純な日常生活を切り取ったものだからである。読者諸兄の中にもしもこの話を面白くかんじた人がいるとすれば、それはよっぽどの物好き(下手くそな文章を読んで面白がる変態)か、あるいは日常生活のちょっとしたことにいちいち興趣を感じる奇特な方なのであろう。どちらにしてもこれは子供の遊びのようなものだから、もっともらしいオチ・感動のラストシーン・涙の出るような引き際その他各種の望まれるべき決着が全くつかないうちに終わってしまうのでそういう筋で期待して読んではいけないことを前もって警告させていただく。しかし、私も自己顕示欲の強い人間であるから、「日常をありのままに書く」といっても多分に修飾過多になってしまうことを加えて警告しておく。当節は物価も上がり、紙の値段も馬鹿にならないが、10年来の親友である佐藤良のたっての希望とのことだったから、僭越ながら寄稿させていただいた。同誌の一層の発展を心から祈っている。 1973年 8月19日 新村健介
題名:掛井真砂子の素敵な一日
※掛井真砂子は福井県生まれ。東京都在住。職業は私立大学の講師(助教授の昇進待ち)。数年前の破乗賞のパーティーで同席して知り合いになった。
1971年 12月10日 5時15分:起床。今日はことさら寒いようだ。硬直した冷気が掛け布団の重みに加わって覆い被さってくるような錯覚を覚える。床を上げると、真砂子はすぐに暖房をつけ(前夜のうちに予約しておけば良かった)、お湯を沸かして砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲みながら部屋が暖まるのを待った。それから机に座って3番目の引き出しから原稿用紙の束を取り出し、横に外木庭重吉が編纂した「日本生活移転史」とその関連書籍、それにクリップで留めた数枚のプリントを置いて来年刊行が予定されている「日本と旅の効用」の残り4分の1の執筆に取り掛かった。真砂子は日本文化についての書籍を既に3冊ほど出版しているが、一時的な生活の移動、すなわち旅行から逆算した日常生活の有用性を言及した今著は学術的な重要性、そして真砂子自身の精神的充実感もそれまでのものよりも格段に高かった。よって筆も普段より快調に運んだ。人間には朝型と夜型の二種類があり、特に物書きを生業としている者は皆が寝静まった夜更けにこそ活発に行動するというのが定説になりかけているが、真砂子にはこれが納得できない。そもそも人間は日の出とともに起き上がり、日の入りとともに眠るように体が構成されているのであり、ことに日本人は農耕民族だから、完璧に計算された規則正しい生活を送るのが最適であるように遺伝子的にインプットされているはずなのである。だから真砂子が本や論文を書くのは朝起きてから学校に出向くまでの2〜3時間のうちと決まっていた。自分は変わり者であると感じていたが、これが一番性に合うのだから仕方がない。雀の鳴き声や朝刊を配る新聞配達員のバイク音を聞きながら、真砂子は紙とペンの世界に没入していった。
8時10分:家を出る。今日は執筆が思いのほかはかどり、危うく出勤時刻に遅れそうになった。従って朝食はまだ取っていない。駅の購買で小さなチーズパンを2つ買い、大学に着いたら食べることにした。真砂子が今勤めているのは私立のR大学。授業があるのは月・火・金曜日。それに土曜日にはQ女子学院で非常勤の講師をしている。私立は給料が良いし、設備も充実しているから不満らしい不満はなかった。ただRもQも自宅から少し離れているのが多少心の重みにはなったけれど。だが、大学の講師をしているものは大抵この通勤時間の長さに悩まされているのだから、たかだか1時間強の我慢に文句を言うのは贅沢であろう。真砂子の仲間内にはもっと苦労している者もいるのだから。電車に乗ると、真砂子は旅のお供として水無瀬京子の「シシパラウムからの脱出」を読み始めた。これは尊敬する先輩教授の中田史雄先生が大変お褒めになっていらっしゃった本だから、真砂子としても一読の価値あり、と踏んでの選書だった。実際、列車に揺られている間、もう何年も前から見飽きている外の景色や、毎日車内で繰り広げられる魑魅魍魎とでもいうべき様々な出来事にいたずらに目移りすることはなかった。
9時30分:1時限目開始。大学に到着すると、真砂子はまずコーヒーを買い、先ほどのチーズパンとともに流し込んで当面の課題を克服し、やはり今日は寒いから、と気付け代わりにもう一杯コーヒーを飲んでから授業に臨んだ。この9時30分始業というのは他の大学と比べて時間的にかなり遅いほうなのだが(実際Q女子学院は8時50分開始である)、それでも生徒達の欠席率は高い。きっと夜型の生活をしているからだわ、と真砂子は当たり前のことをさも自分が見つけた新発見のように恭しく感じ入った。一方、そういった寝坊者とは違って、やたらに気合の入った生徒もいて、そういう人は大抵席の最前列に1人でどっしりと座り、どこから由来しているのかわからない自信と、早く来ていることをまるで手柄を取ったかのような錯覚に陥ることで得られる満足感に支配された複雑な面持ちで授業を聞いていることが多い。真砂子の場合、もちろん授業に出てくれるのは教師として嬉しいのだけれども、ここまで踏ん張った顔が間近にあるというのもちょっと気詰まりな感じがするので、どちらかというとこの種の生徒もご免被りたいと思っていたのであった。真砂子が密かに(ほとんど無意識のうちに)支持するのは列の中段あたり、2、3人で慎ましく講義を受けている積極性と消極性が上手い具合に混ざりあっている学生でなのである。授業が終わり、真砂子が教室からの撤収の用意をしていると、1人の女生徒―濃紺のセーターにちょっとした刺繍が入った、割かし時代遅れな服装をしていた―が近寄ってきて「鈴木幸治郎の『水の童話』は読んでおいたほうがいいですか?」と尋ねてきた。真砂子が基本的には個人の好みの問題だけど、私はとても楽しく読めたわ、手に取るぐらいの価値はあるんじゃないかしら、というような意味の返答をすると、生徒は「そうですね」と言った後ペコリとお辞儀して足早に駆けていった。真砂子は「そうですね」とはどういう意味なのか、多分「読んでみます」ということなのだろうけど、取りようによっては別の意味も考えられるわね、まあ先生に直接質問するのは緊張することだから、それで思わずおかしな返答になってしまったんだろうな、と7・8年前の、彼女と同じ境遇だったころの自分のことを思い出して少し苦笑した。
12時40分:2時限目が終わり、今日分の講義は終了した。普段なら以降も学校に残って色々な雑務をこなさなければいけないのだが、今日は午後の3時から名古屋で学会に出席する予定があり、従って急いで学校を出て新幹線に乗らなければいけない。それでも研究室には一応顔を出しておく。大学を通じた諸所の連絡や本人当ての葉書きがきているかもしれないからだ。早足で部屋に入ったのだが、残念ながら(あるいは喜ぶべきことなのかもしれない)通達は何も来ておらず、代わりに学生達からの要望・質問を承る目安箱に数枚の紙片が入っていた。こういった質問状は大体が「教室がやかましいので静かにさせてください」とか「黒板の字が小さくて見えないのでもっと大きく書いてください」といった大変耳の痛いご意見や、先程の女学生が質したような「近代日本文学において主流に位置する作家は何をきっかけに傍流に勝ったのでしょうか」「高木福行の作品でよいものを教えて下さい」「鷲尾ロウジについてどう思われますか」などといった至極大学生チックなものが多かったが、たまに「空間を飛躍することが出来ると仮定しますと、時間を飛躍することも出来るでしょうか」というそれこそ真砂子の専門領域を飛躍した質問がくることもあった。質問に対する回答、及び昼食(朝食が軽めだったので空腹感がかなりある)は新幹線の中で済ますことにして、真砂子は急いで駅へと向かった。
15時15分:やっと学会が始まった。遅れた理由は権威者の山元竜治が遅刻してきたせいだ。学者も偉くなれば随分と横柄なことができるものだ。真砂子は自分が満足な昼食を犠牲にしてまでも開会時間に間に合うよう死力を尽くしたことを少し後悔した。まあ今回はあくまで聴講の立場であるから別に良いけれど、かわいそうに今日論説を発表することになっている久谷実は明らかに苛立ちを隠せていなかった。題目は久谷が得意とする古典の「初冠日記」の一節「しぢみ汁」から。この話に登場する「牡丹の女房」は実は王侯貴族の娘ではないか、という大胆な仮説だ。予想通り、反発がかなりあった。貴族文学を専門とする葛西悠一はただのでっち上げだと罵り、彼の取り巻きである秦野弥生も激しく噛み付いた。気の弱い堀智彦は賛成とも反対とも言わない。例の山元は聞いているのかいないのか分からない面持ち。久谷も必死に抗弁するが、どうにも分が悪い。真砂子もこの説には流石に無理がありすぎると思った。大勢が決しかけたと思われた時、もう一人の権威と目される高柳東(コウリュウトウと読んではいけない。たかやなぎ・あずま、である)が重々しく口を開いた。「確かに牡丹の女房が貴族の出、というのはいささかアクロバティックですね。しかし、これは面白い考えであります。少なくとも根も葉もない眉唾ばなしではない。しかるに、我々はこの件についてもう少し掘り下げた研究をする必要があるんじゃないでしょうか。」 この一言で会の雰囲気は和やかになり、久谷は照れ笑いをし、葛西もつられて笑い、さっきまで赤くなったり青くなったりしていた秦野の顔色が人間の肌の色に戻った。真砂子は一言で対立を丸め込ませる高柳の力量に感嘆した。流石は文壇で幅を利かす実力者だ、山元と違って威厳がある、ああいう危険な折に適切な言い付けが出来るのは素晴らしい、など様々な視点で彼を褒め称えた。この穏やかな雰囲気のまま、無事に散会の段と相成り、真砂子が帰途に着く準備をしていると、背後から「掛井さん」と呼ぶ声が聞こえた。高柳だった。彼はスラリと伸びた足を漫画みたいに大げさに上下させてやってきた。真砂子が恐縮していると、高柳は「いやいや、申し訳ない、立ち止まらせてしまって。実はどうしても言っておきたいことがありましてね。」などと息も切れ切れに話す。何だろうと真砂子が恐怖と期待が入り混じった複雑な気持ちでいると、高柳は息遣いを努めて平静に戻してこう言った。「あなたがお書きになった『お箸の日本史』、読みましたよ。実に良い出来だ。日本の歴史を箸の視点で、しかもあんなに面白おかしく書けるなんて素晴らしい。お若いのに立派です。これからも精進して頑張ってください。」あまりのことにシドロモドロになっているうちに、高柳は「じゃあ」と軽く言って、傍にいた堀とともに何処かに行ってしまった。彼女の胸のうちに、高柳に対する尊敬の気持ちと、自著を褒めてもらった嬉しさと、満足に礼を言えなかった後悔と、そしてその感謝の気持ちを言えぬままに去ってしまった彼への僅かな恨みごころが交錯し、混ざり合って体に染み入ってくるようにゆくような感じがした。
19時40分:東京に帰還。真砂子には今日のうちにこなす行事がもうひとつあった。学者仲間の辺見光太郎と人形浄瑠璃を観劇する約束をしていたのだ。真砂子が待ち合わせの場所に行くと、この男は既にそこにいて、連れがくるのをボンヤリと待っていた。辺見は真砂子よりも4つ年上で、それ故に学術的な知識も経験も真砂子より豊富だった。真砂子が今日学会で高柳東に褒められたことをやや自慢気に話すと、彼はニヤリと笑って「それはおめでとう。ただ、あんまり鵜呑みにするのも危険だな。あの人は何でも大げさに褒める癖があるから。」と言った。真砂子は内心ムッとしたが表情には出さないで「そうかもしれないわね。でも、あれで俄然やる気が出たわ。いま書いている『日本と旅の効用』、自分でも良いのが出来そうと思っているけど、襟を正してもっともっと完成度の高いものにしようという気が湧いてきたの。」と言った。辺見は「その意気その意気!掛井先生には来世紀まで残る大傑作を書いてもらわないとね。じゃないと君を最初に評価した僕の目が疑われる」と茶化す。こんな具合の他愛もない言い合いを続けながら、二人は会場までの道のりを歩いた。実はこの二人、まんざらでもない御様子で、この後も紆余曲折があるのだけれども、結果的には結婚という形にめでたく収まる訳なのだが、そんなことはどうでもいい話だ。
1時50分:帰宅。辺見と浄瑠璃をみた後、近くの居酒屋によってつきだしの魚や焼き鳥をつまみながら芝居の感想やら日本文化の今後のあり様についての意見やらを話しているうちにすっかり遅くなってしまって、その後さらに諸々あって家に着いた時には彼女が当初予定していた帰宅時間を大幅に超えてしまった。これでは彼女の提唱する農耕民族の生活が貫徹できない。すぐにお風呂に入って体をもみほぐした後、ウイスキーをシングルであおった。疲れは確かにあるが、概して言えば心地よい疲労感である。布団に寝転ぶと自然と目がまどろんでくる。真砂子の脳裏に、今日の様々な出来事が浮かんできた。例えば、「日本と旅の効用」のある一文、例えば、「シシパラウムからの脱出」の一行、それに濃紺セーターの女生徒、高柳教授、辺見光太郎の顔・・・絵の具の色は単独では鮮やかな色合いを出すのに、それらを一つに混ぜ合わせるとたちまちどす黒い褐色になってしまう。それと同様に、今日頭に染み付いた色んな記憶が混ざり合って周りが暗くなり、彼女を漆黒の世界へと落とし込んだ。今日の彼女は多分夢を見ないであろう。充実した日を過ごした人間はその濃密な(良い)疲れによって目が醒めるまで深く深く眠る。真砂子にとって、今日は大変に素敵な一日だった。後々までその思い出がずっと残るくらいに。
橋本繁久
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