大企業の不正を看過できず、内部告発した経営者の企業が廃業寸前に。
未成年の万引を看過できずにいた、店長が店を止めた。
『正義』は諸手を上げて歓迎された時代などなかったのかもしれない。
声高に宣伝される『正義』の影で、泣く人が多いのかもしれない。
「不正を告発する事は正しいのか、正しくないのか?」
「未成年の犯罪を止めさせようとするのが正しいのか、正しくないのか?」
その問いも、すり替えられ、ゆがめられ、二者択一の答えが出ない。
とても明確で、単純な問いのはずなのに、利害、しがらみの為に答えられない。
「考たらんと欲すれば、忠ならず、忠たらんと欲すれば考ならず」。
「正しい事」が天下の往来を行きすぎる歪んだ歴史を知っている。
「正しい事」の基準があいまい過ぎる時代にいる事も。
それでも、「正しい」と信じる事を行動に表すのは、
とても勇気が必要なことだという事も、嫌という程思い知っている。
だから、その『勇気』だけは後悔して欲しくはない。
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