武ニュースDiary


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2020年05月21日(木) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・1

金城武は、雑誌「GQ」には中国版にも台湾版にも、何度も登場しています。
(もちろん映画が公開されるときだけですが)
2017年の「智族GQ」は、載ったとご紹介しただけで、
内容については触れていませんでした。

このときは「擺渡人」のプロモーションとしてですから、
自然、ウォン・カーウァイの話になるので、
今度はこれをご紹介してみることにしました。
ちなみに、「GQ」のインタビュアーは毎回違います。





トニー・レオンと金城武:擺渡人、再び世間に舞い戻る
時代の記憶を担う2人の男たちが
コメディを通し、おのれの別の一面を世に知らしめる


それぞれ人生の新しい段階に足を踏み入れたトニー・レオンと金城武が、
再度肩を並べ、世間に復帰した。
「恋する惑星」から「擺渡人(バイドゥレン=(渡し守り)」まで、
2人は4回共演をしている。
始まりはウォン・カーウァイであった。
20余年の後、再びウォン・カーウァイへと回帰した。

変わらないと言えるが、変化もある。
文芸映画から商業コメディへ、得意満面から淡々とした態度へ、
時代が若いイケメン俳優たちの巻き起こす怒涛に席巻される中、
時代の記憶を担った2人の男たちは、軽やかな姿態で、
“コメディ”によって、自分たちの別の側面を
世界に向け高らかに打ち出す。


トニー・レオン 心楽しい人
(すみません、割愛して、後半の金城武の部分だけ)

金城武 シンプルな人

長
い待機が始まる前から、金城武には予感があった。
それは当たっていた。

「擺渡人」の撮影のため、2015年7月に現場に向かったが、
「着いたら、すぐ始まるよと言われた。けれど、また延期になった」
彼は現場への往復を何度も繰り返し、
3月過ぎになって映画はようやくクランクインした。
「3月過ぎに開始しますよ、と最初から言うのでなく、
多分来週には始まるから来て、と言われる。
ところが、そのときになると、やっぱり始まらない。
また引き返すことになる」

金城武の身に降りかかったこの情況は、過去の再現である。

25年前、彼は初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演した。
長い年月の後、そのときの経験を振り返って話してくれたとき、
あの撮影開始を待った日のことは、
彼の記憶に今なおありありと留められていた。

40〜50人乗りの大型バスで約4時間の道を、
車中睡眠をとりつつはるばるやってきて、
台南の農村の撮影現場にまさに着いたときだ。
「撮影開始の通知をもらっていたんですよ、
それで台北からバスで嘉義まで来て、まだ農村でしたよ、4時間かかった。
現場に行ったら、何しに来たんだと言われました。
『撮影があるんじゃないんですか?』と言ったら、
『ああ、日が変わったんだ、連絡行かなかったか?』って」

この2つの情況はかなり似ていましたか?――
金城武は、あの頃は、また違う大変さだったと答えた。
通信が発達していなかったし、また初めての撮影でもあったので、
何も考えていなかった、と。

しかし、今回の待機は、予想していたものだった。
43歳の俳優・金城武は完全に理解できる。
なぜなら、この映画のプロデューサーは、ウォン・カーウァイだからだ。
撮っては休みで、1本の映画を制作するのに8年かけた、
あのウォン・カーウァイなのだから。

「だから、彼がこうでなくちゃいけないと言えば、ぼくは理解します。
いいですよ、合わせられるなら、できるだけ合わせます」

そして何もできないまま3カ月が過ぎた。
ずっと待っていたのである。

本来、7月から9月までの撮影予定であったため、
撮影班が用意した衣装は、全て半袖だった。
後に俳優たちは摂氏2度の上海で、
半袖姿でアクションシーンを演じることになる。
しかも、それは突然決定され、誰もが大変な思いをしたアクションシーンだった。

これは、実にウォン・カーウァイらしい。
ひらめき、不確実性、それに厳しい基準によって、
自身の映像世界を構築するのが彼のやり方だ。
金城武にとって、苦労もしたが、忘れがたい経験でもある。

まだ若かった頃に、このようなやり方の中で、
初めて演技することの歓びを味わい、
そこから俳優になろうという思いを固めていくことになったが、
その後、長いこと、彼を困惑させる原因にもなる。
「監督とはとても仕事をしたかったのだけれど、
また同じことを繰り返すのか、という心配もあったんです」
(続く)





原文はこちらで読めます。写真もあります。



   BBS   ネタバレDiary   10:00


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