武ニュースDiary


* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!


目次前の記事新しい日記


2020年05月21日(木) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・1

金城武は、雑誌「GQ」には中国版にも台湾版にも、何度も登場しています。
(もちろん映画が公開されるときだけですが)
2017年の「智族GQ」は、載ったとご紹介しただけで、
内容については触れていませんでした。

このときは「擺渡人」のプロモーションとしてですから、
自然、ウォン・カーウァイの話になるので、
今度はこれをご紹介してみることにしました。
ちなみに、「GQ」のインタビュアーは毎回違います。





トニー・レオンと金城武:擺渡人、再び世間に舞い戻る
時代の記憶を担う2人の男たちが
コメディを通し、おのれの別の一面を世に知らしめる


それぞれ人生の新しい段階に足を踏み入れたトニー・レオンと金城武が、
再度肩を並べ、世間に復帰した。
「恋する惑星」から「擺渡人(バイドゥレン=(渡し守り)」まで、
2人は4回共演をしている。
始まりはウォン・カーウァイであった。
20余年の後、再びウォン・カーウァイへと回帰した。

変わらないと言えるが、変化もある。
文芸映画から商業コメディへ、得意満面から淡々とした態度へ、
時代が若いイケメン俳優たちの巻き起こす怒涛に席巻される中、
時代の記憶を担った2人の男たちは、軽やかな姿態で、
“コメディ”によって、自分たちの別の側面を
世界に向け高らかに打ち出す。


トニー・レオン 心楽しい人
(すみません、割愛して、後半の金城武の部分だけ)

金城武 シンプルな人

い待機が始まる前から、金城武には予感があった。
それは当たっていた。

「擺渡人」の撮影のため、2015年7月に現場に向かったが、
「着いたら、すぐ始まるよと言われた。けれど、また延期になった」
彼は現場への往復を何度も繰り返し、
3月過ぎになって映画はようやくクランクインした。
「3月過ぎに開始しますよ、と最初から言うのでなく、
多分来週には始まるから来て、と言われる。
ところが、そのときになると、やっぱり始まらない。
また引き返すことになる」

金城武の身に降りかかったこの情況は、過去の再現である。

25年前、彼は初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演した。
長い年月の後、そのときの経験を振り返って話してくれたとき、
あの撮影開始を待った日のことは、
彼の記憶に今なおありありと留められていた。

40〜50人乗りの大型バスで約4時間の道を、
車中睡眠をとりつつはるばるやってきて、
台南の農村の撮影現場にまさに着いたときだ。
「撮影開始の通知をもらっていたんですよ、
それで台北からバスで嘉義まで来て、まだ農村でしたよ、4時間かかった。
現場に行ったら、何しに来たんだと言われました。
『撮影があるんじゃないんですか?』と言ったら、
『ああ、日が変わったんだ、連絡行かなかったか?』って」

この2つの情況はかなり似ていましたか?――
金城武は、あの頃は、また違う大変さだったと答えた。
通信が発達していなかったし、また初めての撮影でもあったので、
何も考えていなかった、と。

しかし、今回の待機は、予想していたものだった。
43歳の俳優・金城武は完全に理解できる。
なぜなら、この映画のプロデューサーは、ウォン・カーウァイだからだ。
撮っては休みで、1本の映画を制作するのに8年かけた、
あのウォン・カーウァイなのだから。

「だから、彼がこうでなくちゃいけないと言えば、ぼくは理解します。
いいですよ、合わせられるなら、できるだけ合わせます」

そして何もできないまま3カ月が過ぎた。
ずっと待っていたのである。

本来、7月から9月までの撮影予定であったため、
撮影班が用意した衣装は、全て半袖だった。
後に俳優たちは摂氏2度の上海で、
半袖姿でアクションシーンを演じることになる。
しかも、それは突然決定され、誰もが大変な思いをしたアクションシーンだった。

これは、実にウォン・カーウァイらしい。
ひらめき、不確実性、それに厳しい基準によって、
自身の映像世界を構築するのが彼のやり方だ。
金城武にとって、苦労もしたが、忘れがたい経験でもある。

まだ若かった頃に、このようなやり方の中で、
初めて演技することの歓びを味わい、
そこから俳優になろうという思いを固めていくことになったが、
その後、長いこと、彼を困惑させる原因にもなる。
「監督とはとても仕事をしたかったのだけれど、
また同じことを繰り返すのか、という心配もあったんです」
(続く)





原文はこちらで読めます。写真もあります。



   BBS   ネタバレDiary   10:00


前の記事あさかぜ |MAIL

My追加