武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
2020年06月14日(日) |
「南方人物周刊2017-4-24」 2人の金城武 |
「恋するシェフの最強レシピ」公開時に、 中国の週刊誌「南方人物周刊」が金城武を表紙に載せ、 12ページの特集を組みました。 リクエストを頂いたので、これを今度はご紹介します。
3つの部分に分かれています。 今日はまず、特集巻頭の文章を。

2人の金城武 本誌編集部
「うわあ、今日は随分話をしているなあ」 2017年3月15日、映画「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」の記者発表会で、 ピーター・チャンは台上の金城武を見上げ、 驚いたというように隣席のプロデューサー、許月珍に声をかけた。
このときの金城武は、ただ普通に司会者の質問に答えていただけで、 軽やかに話に花を咲かせているとはとても言えなかったが、 10数年の付き合いのあるピーター・チャンから見ると、 これはもうめったに見ることのできない金城の状態で、 自分のチャンネルを頑張って切り替えないとできないことだった。
果たして、台から降りた金城武は、ややぼんやりとした様子で、 「台の上にいたのは、あれは誰だったんだ?」と自身に問いかけていた。
このような戸惑いは、デビュー20周年の年にもあった。 所属事務所が1枚のDVDを贈ってくれたのである。 中には全出演CMとテレビ番組が収められていた。 家に帰って昔の番組を再生し、金城武は飛び上がった。
1990年代、台湾のバラエティ番組は、大勢で賑やかに騒ぐのが主流だった。 彼は他の若手タレントと一緒に、番組でバスケットのシュートをしたり、 料理をしたり、クイズに答えたりしていた。 また、司会者が手に騒音測定器を持ち、 スタジオ内のファンたちに大声で応援するよう促し、 どのスターのファンの声がより大きいか競わせたりすることもあった。
これらを見直した金城武は、「こいつ、誰?」と自問した。 その人物の表情も仕草も話していることも、まったく記憶になかったのだ。
デビューして20年余りたっても、 金城武は芸能界の歯車の一つであることに慣れ切っていない。 彼は自分を“2人の金城武”に分けて考えている。
1人は、彼自身である。 ほとんど物欲がなく、普通の服装をし、プライバシ―を非常に大事にし、 一般の人々とは映画だけで繋がっている。 もう1人の“金城武”は、人々が作り出したイメージで、 人によってそこに投影するものが違う。
「ぼくは、絶対あの金城武ではないんです」 彼はあの”金城武“のことを「彼」と呼ぶ。 「ぼくはただ、当時、その殻の中に訳も分からず入って、彼についてきた。 今までずっと」 ピーター・チャンとの対談で、彼はこのように語っている。
新時代のスターは、自分の中に人に受けそうな属性を見つけて、それを強調する。 例えばダジャレの名手とか、気の強い女王タイプとか、 禁欲系とか、家庭円満とかだ。 時には、それまでの固有のイメージを壊して全く違うものに換え、 コントラストを作り出すこともする。 つまり、「こんな人だったのか」という驚きが、 スターの魅力を高める上で重要なカギにもなれるということだ。
だが、昔気質の金城武は、このような時代の潮流には無関心だ。 彼は人々が20年以上にわたって作り上げてきた、 あの”金城武“をひっくり返すことはしたくない。 ”彼“は守りたい。
或いはこうも言える、あの”金城武“が彼を守っていて、 本物の金城武から何かを取り出して 人々に見せなくてもいいようにさせているのだと。 役の人物を作り上げること以外に、 世間と公におしゃべりをしたいことは、彼には何もないのである。 (この項終わり)
BBS ネタバレDiary 23:00
|