2002年04月01日(月) |
君は歓送迎会と身内のお通夜を同日にこなしたことがあるか? |
午後4時頃、お昼寝をしていたら携帯が鳴り出した。 着メロはこの前変更したばかりのバッハのトッカータとフ−ガニ短調。 教会のオルガン風の音がなかなかそれなりにリアル。
電話の主は父であった。こんな時間に電話してくるのはたまにはあるが 滅多にないこと。この前そんな電話があったのは、大阪の親戚が亡くなった 時だった。
さては、と思ってみたらやっぱり祖父が死んだとのこと。 あいにく母と妹は旅行中なので父が電話してきたらしい。 明日がお通夜になるそうで、空遊も実家に帰ることとなる予定。 また連絡すると言って父は電話を切った。
祖父もベッドに寝たきりで呼吸補助装置を付けてから1年半以上が たっていた。途中ICU(国際基督教大学ではなく、集中治療室の方)に 入ったり、ずっと24時間体制で看護が必要な状態になったり、看護していた 祖母、大叔母、(空遊の)両親の精神的、時間的及び経済的負担は大変だった。ただでさえ心理的に不安定な妹の精神状態がさらに悪化する間接的要因の一つにもなっていた。
空遊にしても、幼時にいつも優しくしてくれていた祖父がずっと寝たきりで 呼吸補助装置(喉からパイプを差し込んでいる)を付けている姿を見るのは 胸の痛いものがあり、許されることなら介錯つかまつりたいくらいの気分で あった。なぜこんな無様な姿で延命させられながら人が生き続けなければ ならないのか?お見舞いの度に口に出しこそしないがそんな思いがやってきた。
だからある意味で、哀しい気持ちなどより「やっと終わったね」という 気持ちのほうが先に来た。祖父にしてもああなるならきっともっと早く この世を去りたかったと思う。祖父はかっこわるいことと人に迷惑をかけることを 何より嫌う人だったのだから。
いろいろ思い出していると再び父から電話。 今度は途中で祖母に代わった。祖母のこんなに弱々しく、かなしげな声を 聞いたのは初めてだ。当然、今迄にも曾祖母(祖母の実母)が死んだ時とか には、激しく泣いていたことがあった。しかしながらそれはもっと張りのある 泣声というか慟哭というか、力あるかなしみであり、今回のように脱力した 状態ではなかった。
不謹慎ではあるが、このまま生きるモチベーションを失ってそんなに遠くでは ない未来に後を追うように逝ってしまうのではないかと心配してしまうような状態。 普通の葬式はしたくなくって、本当にこじんまりとした身内だけのお別れ会の ようなものにしたいそうだ。
と言う訳で、のんびりしようかと思ってたのにまた忙しくなることに(涙)。
明日は午後3時半から三宮で派遣会社の登録更新、午後6時半から新神戸オリエンタルホテルで 前の職場の歓送迎会、その後電車を乗り継いで奈良県内の実家に帰る。 そしてお通夜→(明後日の)御葬式。
なんかハードなスケジュールだ。 しかもその次の日には京都国立博物館に雪舟展を見に行く。
あああ、のんびりまったりできるのはもう少し先になりそう(涙)。
|