Espressoを飲みながら

2002年05月03日(金) doubt

 起承転結ということを、昔学校で習った。
文章を書く時に、始まり、その続き、くるりと変わって、結論。
4つの部分に分けて書く。

例えば、

起-地球ができて、生命が誕生。
承-生命は進化し、知性を持つようになった。
転-ところが、方向性を間違えた人間が環境を破壊し、
結-地球の生命は、滅びてしまったとさ。

適当に書いたら、変に考え込ませる例文になってしまった。
要するに、適当に文が収まるということです。

 起承転結はエッセイなどには向いているのだろうが、
日記にはどうだろうか?日々の生活に起こることは
無軌道であり、定型にはめることは困難だろう。
日々起こったことをそのままの順序で書いて行ったら、かなり
混乱した文章になるだろうな。ニュースにしたって、編集という作業が
なかったら、とりとめもなくなってしまう。

 そこからさらに類推していくと、歴史なんかも編集されているからこそ
まとまっているように見えるのだろうなと思う。
私達は歴史小説を読んだり、大河ドラマを見たり、映画を観賞したりして
歴史の壮大さに感動するが、そこにあらわされている秩序やドラマは
歴史の神秘や運命というものによるよりも、作家の技法や監督のセンスに
よるものと言っていいと思う。 

 逆に言えば、秩序あるもの、整然とした論理、納得の行く話などは
全て徹底した人為的作為のあとに完成するものだ。主題にとって都合の悪い
ものを徹底的に取り除いた後に現われるもので、実は取り除かれたものの
中にこそ、真実があったりもする。

 まっとうな論理に気をつけろ。どんな手が加えられているか分からないから。
前提条件を疑え。最初から前提条件であった前提条件などないのだから。
もし、あなたがその嘘を真実と誤解して信じれば、得をする誰かがいるの
ではないのか?安全なところからあなたを支配しているのは誰なのか?


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空遊 [MAIL]

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