起承転結ということを、昔学校で習った。 文章を書く時に、始まり、その続き、くるりと変わって、結論。 4つの部分に分けて書く。
例えば、
起-地球ができて、生命が誕生。 承-生命は進化し、知性を持つようになった。 転-ところが、方向性を間違えた人間が環境を破壊し、 結-地球の生命は、滅びてしまったとさ。
適当に書いたら、変に考え込ませる例文になってしまった。 要するに、適当に文が収まるということです。
起承転結はエッセイなどには向いているのだろうが、 日記にはどうだろうか?日々の生活に起こることは 無軌道であり、定型にはめることは困難だろう。 日々起こったことをそのままの順序で書いて行ったら、かなり 混乱した文章になるだろうな。ニュースにしたって、編集という作業が なかったら、とりとめもなくなってしまう。
そこからさらに類推していくと、歴史なんかも編集されているからこそ まとまっているように見えるのだろうなと思う。 私達は歴史小説を読んだり、大河ドラマを見たり、映画を観賞したりして 歴史の壮大さに感動するが、そこにあらわされている秩序やドラマは 歴史の神秘や運命というものによるよりも、作家の技法や監督のセンスに よるものと言っていいと思う。
逆に言えば、秩序あるもの、整然とした論理、納得の行く話などは 全て徹底した人為的作為のあとに完成するものだ。主題にとって都合の悪い ものを徹底的に取り除いた後に現われるもので、実は取り除かれたものの 中にこそ、真実があったりもする。
まっとうな論理に気をつけろ。どんな手が加えられているか分からないから。 前提条件を疑え。最初から前提条件であった前提条件などないのだから。 もし、あなたがその嘘を真実と誤解して信じれば、得をする誰かがいるの ではないのか?安全なところからあなたを支配しているのは誰なのか?
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