2002年10月22日(火) |
負け犬も犬死にも許さない |
私の嫌いな言葉に、「負け犬」と「犬死に」がある。 理由は至って単純で、犬に対して非常にアンフェアであるからだ。
負けた人間のことを、「負け犬」と言う。 「あいつは負け犬だ」と言うように。
犬には何の責任もないことだ。負けてるのは人である。
しかも「負け犬」という言葉はあるのに「勝ち犬」と言う言葉はない。 こんな不当なことがあってよいのだろうか。 犬の喧嘩の相手は基本的に他の犬である。 だから、「負け犬」がいるなら必ず「勝ち犬」がいるはずだ。
人間が、「負け犬」を敗者を意味する言葉に対して使うのなら、 勝者や成功者に対して、ちゃんと「勝ち犬」と言うべきである。 そうでないと、決してフェアではない。 「負け犬の遠吠え」と表現するなら、例えば「勝ち犬の咆哮」 という表現も作ってあげてほしい。
一匹の負け犬がいるなら、必ず一匹は勝ち犬がいるはずなのだから。
「犬死に」に至っては、もっと許せないものがある。 なぜ、地球上にこんなにたくさんの種類の動物がいるのに、 犬の死だけが、無駄死にの象徴にされなければならないのか?
猫や、猿や、猪の死に方は犬に比べてそんなに立派なのか? そもそも人間が死ぬのと犬が死ぬのとではそんなに違うものなのか?
その前に、死に価値があるとか無いとか言えるものなのだろうか とも思うが。
何よりも、多くの場合、犬の死は「犬死に」などではないのだ。 身体が弱ってとても苦しいはずなのに、飼い主の方を変わらぬ優しい目で 見つめ、なおも遊んでくれようとしたり。健気なまでに最期の最期まで 人懐っこかったりもする。同じ時間、結構長い時間を人生と犬生として 一緒に過ごす最期の日々。たくさんの思いで。そしてさようなら。
それを何故に「犬死に」などという酷い言い方をする。
最近、使われなくなって滅びていく日本語の言葉が多いことが 危惧されているが、こういう言葉にはできるだけ早く消滅してほしいと 心底願うものである。
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