2002年11月17日(日) |
「ファン、松井に最後の別れ」(京都は嵐山紅葉画象3枚目付) |
さっき、ヤフ−のホームページに行ったら、 「松井、ファンに最後の別れ」とニュースの欄に書かれていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021117-00020808-jij-spo
成程、松井は来シーズンはアメリカ行き。 ファンの中にはアメリカまで試合を見に行く人もいるだろうし、 少なくとも松井が活躍する度にテレビで流れるのは間違いないので 「最後の別れ」というのは大袈裟な気がしなくもないが、 東京ドームその他の国内球場で松井の姿を見ることを喜びとしていた ファンの方々にとっては、確かに最後の別れのように感じられるの かもしれない。
ところで、松井あっての松井ファン、ファンあっての松井である。 別にファンがいなくても、松井ならガンガン打って、巨人も彼を手放しは しないかもしれないが、とりあえずファンあっての選手、選手あっての ファンである。しかも松井は、常にファンのことを大事に思っていると よく報道されてもいる。
仮にファンが最後の別れのように感じていても、松井は日本で応援して くれていたファンを、決して忘れないだろうと思う。いつも日本のファンの ことは彼の心の中にあると思う。
多分、最後の別れと感じているのはファンの方ではないだろうか。 すると、「松井、ファンに最後の別れ」というよりは、
「ファン、松井に最後の別れ」と言うほうが適当なはずである。
しかしながら、もし記事の見出しが「ファン、松井に最後の別れ」(!) だとしたら、何だかとても縁起が悪い。なんだか松井のお通夜のような 感じがしてくる。全国の野球少年の泣き声まで聴こえてきそうだ。
「ファン、松井に最後の別れ」
「長島元監督、いま涙ながらに御焼香をすませました。」
「ファン、松井に最後の別れ」
「原監督も泣いています。」
「ファン、松井に最後の別れ」
「外にはファンの長い列ができています。訃報を聞いて新幹線で駆け付けた というファンの方に話を伺ってみます。」
(以上、ワイドショー風に)
やっぱり縁起でもない。 「ファン、松井に最後の別れ」では困る。
念のために書いておくが、私は巨人ファンでもなければ、アンチ巨人でも ない。ただし読売新聞は嫌いである。これは感覚的なものなのだが。
それと、中村に対して髪を黒く染めるようにとの発言は非常に不快である。
もっと言えば、ここで金をけちって中村をとりにいかない阪神の球団幹部は 人間のくずである。
「黄色と黒のトラ刈りにして、うちに来てくれたらええ」
くらいは言ってほしかった(笑)。
銭無い、銭無いて言うとるみたいやけど、あんなけ百貨店流行ってて、 毎日電車に人乗せとって、金ない訳ないやろ。ケチなだけとしか思えん。
こうなったら、阪神はどうすればいいのか? もはや東大阪あたりの町工場で「メカバース」でも作るしかないのでは? ハイテク野球の最たるものとして。
そうせえへんと、このままでは大阪、破滅してまうんとちゃうやろか。 「食い倒れの街」が「飯も食えない行き倒れの街」になるのは見たくない。 大阪があかんようになったら、どこで働こう?京都、、、かな。 今の内に京都を研究、、。というわけで、嵐山の紅葉写真3枚目。

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