坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年03月03日(月) 脚の具合と心の変化

今日は、いろんな事があってそのたびに脚の痛みの状態が違っていた。

朝一番から、社長から呼び出しがあり1時間位しか準備時間が無く、その準備に追われていた。その最中に、あいつ(K取締役)から電話で予定を通告してきた。私の都合が悪い事を伝えていたのに、ムシされていた。
とりあえず、社長の方が先立ったので焦っていた。部下があれやこれやと言ってくるが、全て後回し、電話もかかってくるが居留守。
バタバタしていたけれど、社長の用事が済んだのは、もう11:30頃になっていた。この間も痛みは変化をしていた。
痛い時、冷たく感じる時、深呼吸をして整える余裕もなく待たせていた事を、依頼をして指示をしてあわてて12:00頃に会社を出た。





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病院で根ブロックを予約していた時間が迫っていたので、急いで病院へ向かった。
移動中に考えていたのは治療の事とTMSのことだった。TMSの掲示板の内容は、既に見ていたので「どうしよう」と悩んでいた。あれこれと考えると、その気持ちの変化と痛みが同調するような感じがした。
闘っているのだろうか・・・・、と思った。

ギリギリでレントゲン室の前に着いた。
10分ほどで声をかけられて、レントゲン台の上に横たわる。この日は、はじめからO医師だった。狙いは、4番と3番。
初めてすぐに強烈に痛みが脚を襲う、レントゲンの撮影、薬の注入とわずかの時間が異常に長く感じた。薬で麻痺した脚の状態になってホッとする。
次に始めた3番はダメみたいだった。
この時は、ブロックの痛みとの闘いしか頭には無かった。約20分くらいで済んだ。1ヶ月ぶりに味わった強烈なブロックの
痛みと麻酔の麻痺で脚を動かす事は出来なかった。
その後、2時間ほど外来の診察室でストレッチャーの上で横になっていた。

この時も、痛みの変化とTMSの事を考えていた。考えていたはずなのに、幾度が寝てしまっていた。痛みの事も、仕事の事も、TMSのことも何も覚えていない状態があった。
15分か20分くらいの時間だと思う。そんな事の繰り返しで2時間くらいが過ぎた。
ようやく、何とか脚に感覚が戻って、外来も閉まる時間なので帰る事にした。

帰ろうとして携帯を見ると珍しく長男から電話がかかっていた。
子供の中で、この子だけが自分事を私に言う事を、いつも遠慮するので寂しく感じていた。どうして、欲しいものやして欲しい事を言わないのだろうと普段から思っていた。
そんな子も、いよいよ大学生になろうとしている。
電話の内容は下宿先に荷物を運ぶのを手伝って欲しいと言ってきた。
治療を受けたその日は、ぐったりとしていたのでいつもは、ただただ横になっているだけだった。この日もそうしたかったけれど、「いいよ、行ったる」そう言って電話を切った。

夜もだいぶ遅くなったけれど、荷物を車に積み込み車の運転に着いた。
地図を見て行き先を聞くくらいの、簡単な会話だけだった。この子はそれなりに、自分の事を考えて自分の道を進みはじめたのだろうか。
そんな風に考えると、正直な所、寂しさがこみ上げてきた。最後まで、こんな感じで親離れをしようとしている。声に出すと泣けてきそうなので、黙って運転をしていた。時折、足の先が痛む。

これは、きっと気持ちの持ち方がいけないんだ、そんな事を考えて深呼吸をして、気持ちを整えていた。
帰る時も、子供が車を見送っている姿がバックミラーに見えた。どうして、そんなに急いで生きようとするんだ。もっと、家にいてもまだ未成年なんだから急ぐ事無いじゃないか。
この子は中学・高校と大きな問題は起こさなかったけれど、何もなく優等生でも無かったからいろいろとあった。どんな気持ちで、車を見つめていたんだろう?
そんな気持ちでとても寂しかった。

今日はいろんな事があり、そのたびに脚の痛みとその時の気持ちの変化を考えていた。考えながら、考える事を投げ出したいのを必死で耐えていた気がする。その時の素直な気持ちを言えずにごまかすように平然と装う様にしていた気がする。

楽しい事を考えなければ、気持ちと裏腹に自分の気持ちは鬱に入っている気がする。
明日は朝から勤務で泊まり勤務、とっても気が重い。
この事は、TMSの掲示板に書き込んだ。


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