坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年03月06日(土) |
歳はとりたくない!! |
若い人と話をしていると、ついつい自分の昔話をしてしまう。何かの時に言われた事がある。『若い頃は』とか『気づかないうちにため息をつく』など、気づけば年寄りじみた会話になってしまう。平均寿命を考えれば、まだまだ先は長い。 単純な掲載なのだけれど、その長い期間に対する不安が一杯になる、その事も歳のせいだと感じる。二十代の人と意気投合というのは、多少無理があるだろうけれど、せめて、30代の人と位は会話の共通点が欲しいと思う。 多くの夢も持っていた事もある、歳をとるに従って、夢は夢だと諦める気持ちが強くなってくる。
昨日は、取引先の人と話をしていて、ちょうど私が初めて辞表を出した年代の人。勤め人と経営者との違いはあっても、信じてこれまでつきあいをしてきた。 人を信じる事の怖さは、何度も過去に経験をしている。 決して、人は他人のために人生を進もうとはシナイ。当たり前の事が、当たり前にならない事が通用していているし、それが現実なのだ。 私のしている事だって、相手にとっても同じような感情を持っているかも知れない。 苦しいときほど、その人の人間性が出て来ると思っている。また、信じる気持ちが大きいほど、裏切られた時のショックは大きくなる。だから、心底信じる事に躊躇してしまう。そして、慎重になってしまう。 この事は今に始まった感情ではない。若い頃から、こんな風に考える事が多かった。どちらかと言えば、人つきあいが下手の方で、自分の世界で生きて行ける道を見つける事ができれば、気持ちが楽になると思っている。 子供が小さい頃は、子供が喜ぶ姿を見る事が楽しみだった。それは、きっと自分が親との会話がほとんどないまま、両親が他界した事へのコンプレックスの様なものが心の中にあるのだろう。子供たちも、長女は結婚を考えて自分の人生を考えているし、長男も自分の世界を持ちたくて家を出て行った。 もう、あれこれと言っても始まらない。こうなれば、自分の生きる道を見つけて欲しいと祈るばかり。末っ子はまだこれからが正念場なのだけれど、親としても手助けを出来る事はあまりない事は、上の二人でよくわかった。
今の自分には生きている事の証が欲しいと思う。それが何かはわからない。 焦っている訳じゃないけれど、早く自分の生きる目的を見つけたい!!
同じここの日記で活躍している事の日記は、いつも見ている。すごくプラス思考で物事に向かっている事がよくわかる。男女の違いはあるけれど、同じ事はできないけれど、うらやましく感じる事がある。
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